修学旅行の11年後、その宿の隣で失業保険受給手続を済ませた話
本日2021年12月1日、半年に及ぶ失業保険受給手続きを全て終えた。
あとは今月下旬に最後の失業保険が振り込まれるのを待つばかりである。
仕事を辞めたイキサツはこちら↓
さて、私をはじめ葛飾区の失業者は皆、墨田区の同胞と一緒くたにされ、墨田区での手続きを余儀なくされている。今日までおよそ半年に亘り毎月毎月、錦糸町にあるハローワークまでノコノコ出て来ていた。地味に遠かった。
実はこのハローワーク墨田の左に写っている「TOBU HOTEL」、これこそが奇しくも11年前、修学旅行で泊まった宿「東武ホテルレバント東京」である。奇しくも過ぎる。
高知の田舎で高校生をやっていたもんで、高校にもなって修学旅行の行き先が「東京と京都」だった。
田舎のいわゆる「自称進学校」、意識だけはナゾに高く、将来の進路や興味分野に合わせて全10コースから選択する「コース別研修」なるプログラムが存在した。法律コースなら最高裁判所とか、宇宙コースならそれらしい研究所か天文台みたいなとこに幾つか連れて行ってくれるのである。
自分は何となく経済学部に行くんだろうというだけで経済コースを選択した。日銀の見学コースで説明を受け、東証であのまるいパネルに企業名と株価がぐるぐる回ってるトコに興奮し、それから恐らくOBのコネで汐留の某大手広告代理店にお邪魔して40階ぐらいの高さに目を回した記憶がある。なお無職になる人のコースの存在は記憶にない。全10コースあったはずだが。
なんか感慨深い感じがして行ってみた
たぶんこの右のセブンイレブンは当時みんなで来た。
当時高知県にはセブンイレブンは1軒もなかった(!)。どう見ても田舎者の学ラン男子高校生が「セブンイレブンや!」「セブンイレブンやぞ!」と押しかけ、喜び勇んでチキンを買い食いして「普通やな」(そらそう)などとはしゃいでいた。滑稽。
(※セブンイレブンが高知県に初上陸するのは私が地元を離れ大学2回生をやっていた2015年3月。例によって田舎は大騒ぎで、出身中学の制服を着た中2ぐらいの女の子が全国ニュースに映り「レジにドーナツが置いてあるのがすごいとおもいました」と感想を述べていた。レジ横ドーナツあったなそういえば。)
ホテルの1階のケーキセット
細かくは覚えてないが、たぶんこの辺りでめちゃくちゃ怒られた。
(夜中部屋を抜け出した罪で。ベタすぎる)
みんなが朝から自由行動に出ているなか10人ぐらいで拘束されて1時間近く反省文を書かされた。
解放されてやっと自由行動に出かけるとき、ホテル出て錦糸町駅に向かうここの光景だけ妙に覚えている
真北を向いた正面からは立派にスカイツリーが見えるが、11年前はまだ建設途中だった(開業は1年半後の2012年5月)。
2分の1の確率で北向きの客室が割り振られたヤツの部屋からは途中まで組み上がったスカイツリーの、言ってみれば切り株がきれーいに見渡せた。
私はたしか逆、南向きでスカイツリーが見えない部屋だったと思う。
今回来てみて分かったが、南側にも裏口エントランスが存在し、
というように、総武線の線路を挟んでしっかりハローワークが見える。
11年前、スカイツリーが上へ上へとにょきにょき伸びているのを部屋から眺めていたヤツが大勢いた一方で、11年前の私は向かいの部屋からこのハローワークを見下ろしていたのかもしれない。
それから
嵐のようなアホな季節はやはりあっという間に過ぎ去り、「なんとなく潰しが効きそう」の理由だけで無事に経済学部へ進んだ。そして、(ロクに勉強せずプラプラ放浪するなど紆余曲折を経たが、)曲がりなりにも金融機関に就職した。
その後のイキサツは繰り返しになるがこちらに詳しい。全部やめた。
全部やめた暮らし、悪いことばかりではない。失業保険受給者という守られた立場ゆえ見えた幻かとも思ったが、あのまま似合わぬスーツに着られて一生を終えるより今のが遥かに良い方を向いている、という感覚はどうしても現実と思えてならない。その証跡を多く得た半年だったと思う。
いよいよ独力で生き抜かねばならない切実な生活が幕を開けるが、詰まるところ人間が1人生きていけばよいのである。どうせ結局バイトなりなんなりやる。
良い単発バイト(特に家庭教師)の話があればお待ちしています。
(このどれかの部屋でクソはしゃいでた筈。11年後にこのハローワークの駐輪場から見上げられるとも知らずに。)
良い単発バイト(特に家庭教師)の話があればお待ちしています。