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『お帰り キネマの神様』

2024年9月23日(月・振替休日)晴れ (MCJ045)

九州から上京した友人と、ずっと行ってみたかった渋谷の「茶亭 羽當ちゃていはとう」で待ち合わせをする。早めに行って読書すること1時間。1冊の本を読み終えた。

原田マハ著『お帰り キネマの神様』

原田マハさんの本は何冊か読んでいるが、特に気に入っているのが『キネマの神様』である。主人公が仕事を失うところから物語は始まるが、読んだ当時の私と少々境遇が似ており、好きな映画のタイトルがたくさん出てくる楽しさも相まって、人生が思いがけない方へと好転していく物語の面白さに未来は明るいと大いに勇気をもらったのだ。

その大好きな物語が映画化されると聞いて当初は楽しみにしていたが、封切られるや否や「原作とは似ても似つかない」との噂が耳に入ってきた。友人が「全く別物でがっかりした」とわざわざ手紙に書き送ってきたほどである。私は基本的には映画は、原作通りであろうがなかろうが、面白かろうがなかろうが、実際にこの目で確かめる主義である。けれど、このときはなぜか大好きな物語が別物に成り果てているのを観たくないし受け入れる自信が持てずついぞ映画館に観に行かなかった。

しばらくして、がっかりと手紙を送ってきた友人からまた1通の手紙を受け取った。そこには「原田マハさんの『お帰り キネマの神様』にどうしてあの映画が原作とは違うストーリーになったのか経緯が説明されており、原田マハさんご自身が変更を認めていること、それを読んで納得してから改めて映画を観たところ実に良い映画だった。原作への思い入れというフィルターがかかっている状態で初めて観たときには酷評してしまったが今は正反対の感想を抱いている」というようなことが書かれていた。

映画を観ていない私は、そこまでストーリーが変更されていて、原作者として名を連ねる違和感はないのだろうかと疑問を持っていたが、この手紙を読んでそれなりの経緯があることに興味が湧いた。そこで、まずは映画を配信サービスで観て、その後で『お帰り キネマの神様』を読んだのである。

読後感

『お帰り キネマの神様』は、『キネマの神様』を元にして山田洋次監督が映画化したシナリオを元に、原田マハさんがノベライズしたものである。(ややこしい!)映画を観ていれば、ほとんど同じとわかるが、そこは小説。登場人物の感情の機微が丁寧に描かれており、さらに感情移入しやすくなっている。山田洋次監督が「そのディテールにおいて、心理描写の繊細さにおいて格段の違いがある。」と後書きに書いていらっしゃるが、私も全く同じ感想を抱いた。

好きな場面はいろいろあるが、歩が息子の勇太を抱きしめて
「いいの、借金のことなんて。私が嬉しいのはね、あんたがおじいちゃんの才能を認めて、あきらめずに最後まで引っ張ってくれたことなのよ。それにくらべて、私は…私は、あの人と縁を切れればと思ったこともある。いっそ消えてほしいと思ったことだってある。実の父親なのに…」
と涙ながらに話すところがとても好き。思わずウルっときてしまった。
この勇太くんが本当に素晴らしい。私もどちらかといえば歩のようになりがちなので、他人の言動に惑わされることなく人の本質を見極める視点を持つ勇太くんの賢い考え方や物の見方に感動しきりだった。なんとなく大谷翔平選手もきっと勇太くんのように人を見ているのではないかとふと思ったりして。

そもそも山田洋次監督ほどの人がなんの意図もなく原作を激しく変えてしまうはずもなく、何かしらの確固たる意思のもとに行われていると考える方が自然であろう。それをはっきりと原作者である原田マハさんが示してくれて、さらに面白い良いものを経験できる私たちは幸運である。

その上で、やっぱり私は原田マハさんの小説の中で『キネマの神様』が1番好きである事実に変わりはないと書き添えておこう。

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