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自分の息子を殺した家康!「徳川家康の幼少期から学ぶ編」
日本人ならば誰もが知っている徳川家康
日本の天下を取った人物だが
彼が息子を殺していたことを初めて知った。。。
殺したというよりも
「切腹を命じた」
ま〜あの時代には同じことだろう。。
どういう経緯なのか。。
桶狭間の戦い
織田信長は当時27歳
今川義元は42歳
当時の42歳はかなりのおっさんだっただろう。。
家康は子供の頃に織田家の人質、そして今川家の人質として行き渡っている。
家康の父、松平広忠は今川義元の家臣、
力不足のために嫌々な家臣だったみたいだけども
その父が敵から責められているときに、仲間の今川義元からの援軍の担保に息子、家康を送ったのが始まり。。
家康は途中で織田家に拉致されたらしい
その時代、今川と織田はバチバチやりあっていて
織田信長もその頃まだ高校生くらいの年代。。
家康は小学生くらいの年代。。
そして信長のお兄さん、信広が今川の人質になっていてその交換条件で
彼と家康を交換し家康は今川に移った。。
なおも家康は今川でも人質扱い。。
大きくなった家康は忠誠を誓うために築山殿(つきやまどの)と結婚
かつての君主今川義元の姪
その間で生まれたのが息子:信康と娘:亀姫
ここで桶狭間の戦いに戻り
今川が破れると人質から解放された家康は岡崎城へ戻り
織田信長と同盟を結ぶ
その忠誠心として息子:信康は織田信長の娘:徳姫と結婚
家康が家に帰ると
自分の嫁(今川義元の姪)と息子の嫁(織田信長の娘)がいる
ものすごい複雑な関係だ。。。
築山殿(今川義元の姪)にとってみたら
今川義元を殺した信長の娘が来たのですからたまったものではない。。
この二人はギクシャクしていて
徳姫(信長の娘)は父、信長に手紙を書いた。。
「父上!築山殿と信康は反逆の悪巧みをしているわ!」
(築山殿と信康は母と子供)
それに激怒した信長は家康に
妻:築山殿と息子と息子:信康の命を奪うように命令したそうだ
信長に逆らいたくなかった家康は妻を暗殺
そして息子に切腹命令を出したという。。
こう考えると
この行動がなければ
家康も天下を取ることがなかったかも知れない。。
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逆を言えば天下を取れたのも「運」がなくてはあり得なかっただろう。。
人質として子供の頃にキャッチボールされていて
いつ死んでもおかしくない状況。。
父からも人質として扱われるくらい。。
だから自分の子供も殺せたのだろうか。。
とにかくものすごい幼少期でもあるし
天下を取るまでもすごい経験をしている。。
織田信長に忠誠を使い
彼の死後、豊臣秀吉に使え
そして最終的には天下を取った徳川家康
こうみると明らかにチャンスを待っていたのか
それともそれが見えていたのか。。
焦らずにコツコツと周りを見て行動しているようにも思える
全てが計画なのか。。。
戦略なのか。。。
でもやっぱり何か人とは違う何かが持っていたのかも知れない
だから今川も家康を人質交換してまでも欲しかったのかも知れない
彼の魅力は何だったのだろう。。
きっとそれは子供の時から何かを放っていたのかも知れない
今日も良い1日を!
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