レコードチャレンジが回ってきた
FBで、友人のメラメラ伸二さんから、人生で影響を受けたレコード10選というレコードチャレンジ・バトンが回ってきました。昔mixiで流行っていたバトン、絶滅したかと思っていたけど、コロナ禍でヒマな時間が出来て復活したみたいですね。
FBに書くには長くなり過ぎるし、今更note登録してみたはいいが、何書けばいいの?状態だったので、せっかくの機会なのでこちらに書いてみます。
・松田聖子「夏の扉」7inch 81年
松田聖子のデビューが80年4月。ちょうど同じ時期に僕は小学校に入学しました。僕は松田聖子のファンではありませんでしたが、近所に住む3年生に「おまえら好きな女誰や?」と言われて困ってると、その先輩が「俺、松田聖子ばい」と言いました。「松田聖子って誰?」というと、「ほら、あのエクボのたい、オマエらもファンになれよ」と言われ、僕と僕のいとこもファンにさせられました。
それでも、本当は全然ファンではなかったのですが、ザ・ベストテンなどの音楽番組が大好きで、聖子ちゃんはもちろんその頃デビューしたトシちゃんやマッチが番組で歌うととても嬉しかった。どちらからというと、歌手よりも好きな曲という感じで応援していたと思います。この曲はF to the L to the E to the S to the Hより先にフレッシュ、フレッシュ、フレッシュを知った大好きな曲です。
僕の小学校低学年は歌番組と欽ちゃんとひょうきん族とジャイアンツ(今ではアンチ巨人ですが)で成り立っていたようなものですね。
・杉山清貴&オメガトライブ 「ガラスのPALM TREE」7inch 85年
時は進み小6になり、もうアイドルなんて子どもっぽいと思うようになっていたところで(しっかり子どもなのに)、85年春にヒットした「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」で、何このお洒落な音楽!とひっくり返りました。
しかし、せっかくファンになったのに、その年には解散するというじゃありませんか。とても悲しくて、親におねだりしてこの最後のシングルを買ってもらいました。生まれてはじめて自分で選んで買った思い出深いレコードです。
杉山清貴は中学生で洋楽を聴くようになってもCDのアルバムを買っていました。
・荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」7inch 85年
小学生の時の押しアイドル遍歴は松田聖子(これは無理やり)から中森明菜、そして原田知世でした。原田知世は4年生の83年に「時をかける少女」をザ・ベストテンで見て好きになりました。ただ、うちは映画に連れて行ってくれるような家庭ではなかったので、映画のほうは見れませんでした。やっと見れたのが中学に入り土曜の夕方にテレビでやっていたやつですが、それでますます大ファンになりました。その当時リリースされた「雨のプラネタリウム」という曲も大好きでした。
荻野目ちゃんはこの曲をザ・ベストテンの(確か)スポットライトで見た時に一発でファンになりました。アイドルに限らず、こんなかっこいい曲をそれまで聴いたことなかったし、歌もめちゃくちゃ上手いし、踊りもキレキレでした。あの踊りは小学校の友達と一緒にすぐマネしました。それから出す曲、出す曲全部かっこいいし、メロメロになりました。中学の時にはCDアルバムを買ってもらった特典のポスターを部屋に貼っていました。
原田知世と荻野目洋子を同時に好きだったのは、ネオアコとDAFT PUNK両方好きな現在に通じるものがあるような気がしています。いかにも後付けですが。
・SIMON & GARFUNKEL 「SOUNDS OF SILENCE」LP 66年
中学に入学する時に母親が英語に慣れ親しむように、とスーパーで売ってあるようなブートの洋楽コンピCDを買ってくれ、それがBEATLESとCARPENTERSとSIMON & GARFUNKLEでした。勉強させようと思って買ったのが、裏目に出て音楽にはまることになるから、きっと母親は後悔しているでしょう。
中一のクラスメイトに何人か洋楽が好きなやつがいて、一人はなかなかの金持ちの子で中学生ですでにCDを200枚くらい持っていました。その友達にCDを借りたりいろいろ教えてもらい有難かった。その後20年ぶりくらいにFBで再会したら、音楽など全く聴いていないようで、スロットの当たり画像ばかりアップしてて、人は成長するな、と思ったもんです。
中学生の頃は基本的に古い音楽ばかり聴いていたけど、流行っていたU2やGEORGE MICHAELなんかは、友達の家でマージャンやりながら聴いていた記憶があります。
・SOUL Ⅱ SOUL 「CLUB CLASSICS VOL.1 」 LP 89年
小中学時代は週刊少年ジャンプ黄金期で、小5くらいからずっと買っていたのですが、高校に入るとそれと合わせてビッグコミックスピリッツも購入しはじめます。当時はホイチョイ・プロや山本直樹や楳図かずおなんかが連載していて、吉田戦車や中崎タツヤ、中川いさみなどの所謂不条理ギャグ漫画も勢いがありました。いま振り返ると自分のサブカル趣味のはじまりはスピリッツによるところも大きいかもしれません。
中でも好きだったのが、「コージ苑」、「サルまん」でおなじみの相原コージで、コミックもいろいろと購入しました。その一つに「文化人類ぎゃぐ」というエッセイまんががありました。その中でSOUL Ⅱ SOULやAZTEC CAMERAがお洒落な音楽として(揶揄しつつ)紹介されていて、興味を持ちました。
それでAV(現TSUTAYA)で、レンタルしたのがこのアルバムとAZTEC CAMERAの(当時リリースされたばかりの)STRAYでした。はっきり言ってアズカメは全くピンときませんでしたが、SOUL Ⅱ SOULはよくわからないがめちゃくちゃかっこいい、と思いました。
来世では相原コージではなく、フリッパーズギター経由でAZTEC CAMERAに出会うイケてる青春時代を送りたいものです。
・STONE ROSES 「STONE ROSES」LP 89年
高校の同級生にめちゃくちゃ洋楽に詳しい友達がいて、そいつから教えてもらいました。いま思うとそいつの情報もロッキングオンの受け売りなのですが、勧められるものを有難く聴いていました。ローゼズも最初は、曲がなかなかいいな(SIMON & GURFUNKLEネタもあるし)、くらいだったのですが、聴けば聴くほどはまりました。僕ら世代はローゼズとPRIMAL SCREAMはみんな好きだし、なんだかんだで再結成ライブも盛り上がりましたよね。
・BEASTIE BOYS 「CHECK YOUR HEAD」92年
大学1年生の夏休み、今年の春に閉店した熊本PARCOの地下のオクトパスアーミーという古着屋でバイトをしました。そこにはスケーターの先輩たちが働いていて、BGMはSUICIDAL TENDENCIESやレッチリ、そして当時リリースされたばかりのこのアルバムでした。
RUN DMCくらいは知っていましたが、それまではギターロック一辺倒だったので、最初は声の変なラップ・グループだな、くらいに思っていましたが、夏休みが終わる頃には自分も大ファンになりました。
ADIDAS CAMPUSやX-LARGE、GRAND ROYAL、MIKE MILLSにERIC HAZEなどなど、ビースティーズに教えられたことは数え出したらきりがありません。
ILL COMUNICATIONとHELLO NASTYツアーの時の2度だけですが、ライブも見れてよかったです。
・NIRVANA 「IN UTERO」LP 93年
大人になって出会った人とはほとんどNIRVANAの話しをしたことないと思いますが、当時はめちゃくちゃ好きでした。大学1年生の時にSMELLS LIKE TEEN SPIRITで、まだ10代だったのでキターって感じで、周りもみんな大好きだと言ってました。音楽はもちろん、SUB POPやDANIEL JOHNSTON、VASELINES、少年ナイフなどを自分の好きなものを紹介する姿勢もかっこよかったし、影響受けまくりました。
アルバムはNEVER MINDよりもメジャー・セカンドのIN UTEROが好きで、友達と次の来日は絶対にライブに行こうと話していた矢先にカートが亡くなりました。めちゃくちゃ落ち込んだし、それ以来まともにアルバム聴いたこともありません。もうレコード1枚も持っていないし、好きだったと書いたのもおそらくはじめてだと思います。叶いませんが、あんまり売れないソロのフォーク・アルバムとか聴いてみたかったですね。
・UNITED FUTURE ORGANIZATION 「UNITED FUTURE ORGANIZATION」CD 93年
92年に福岡の大学に入学にしてクラブ・デビューしたのがUFOのパーティー。中洲のホテルの地下にあったクロッシングホールという大箱でした。その頃REMIX誌も読みはじめ、いろんな音楽に興味が出たタイミングと、背伸びしたい気持ちががっちり噛み合い、クラブ遊びが楽しくてしょうがありませんでした。
クロッシングホールではUFOはじめ竹村延和やコンビ時代のSILENT POETSなどたくさん見ました。DJだけではなくBEASTIE BOYSなどライブもたくさん見ました。それから小箱クラブで遊び出したり、もっとマニアックな音楽を探すようになるきっかけになった思い出深い会場とCDです。
ちなみに、この頃から、30歳くらいまでは、自分の中で、ザ・ベストテンや荻野目ちゃんはもちろん、杉山清貴やSIMON & GARFUNKLEなどもなかったことにして生きていました。でも、もう照れるような年でもなくなり、素直になんでも楽しめるようになり、よかったなと思います。
スチャダラパー 「11」CD 09年
もっと好きなアルバムはたくさんあり、これはめったに聴かないんですが、この時のツアーで熊本でのライブがあり、それで久々に観たことで、スチャダラパー熱が再燃したので。その時はTOKYO No.1 SOUL SETも一緒で「マジでこのメンツこのやり方でパーティーをし続け」てたんだ、とめちゃくちゃ興奮しました。このあとの20周年から30周年までの10年間は音源、ライブやグッズでとてつもなく楽しませてもらいました。30周年公演の延期は残念ですが、またみんなと一緒に盛り上がりたいです。
まとめ
振り返ると、まあ普通に流行ってた音楽聴いてた感じですけど、ネットもない昭和、平成の田舎ならこんなもんですよね。でも、聴く年齢やタイミングによって、その後の人生に大きな影響を与えるからやっぱり音楽って面白いです。自分の趣味はだいたい10代までに決まって、結構ベタな感じですが、これでもレコード屋になれるから不思議なもんです。資格試験とかなくて本当によかったと思います。