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黄金のレガシー ウクラマトの評価 ゾラージャの扱い等について思ったこと

だらだらと書き殴ったもの。
まとまってません。
考察なんて高尚なものでもないです。
ネタバレです。ネガです。
ウクラマトやゾラージャの扱いがこれで良いと思っている人は
読まない方がいいです。

上記記事で述べていますが、
ウクラマトは被害者である前提が私の中にはあります。
私が否定しているのはウクラマトではなくリアル、ゲーム内問わず彼女を取り巻く環境です。

また、同様にライターも否定しません。
私に合わなかっただけです。
この巨大なコンテンツとなったFF14のシナリオにチャレンジすること自体が素晴らしいのです。
偉そうにネガティブをダラダラ述べている自分は同レベルのことを引き受けるなんて到底できません。
ただ、もし各国の批判的な意見も参考にするのであれば、ライターの責任にはせず、開発全体で考えて欲しいと思っています。
今後のパッチで今回チャレンジしたライターによるフォローがあったら嬉しいですが、批判への責任は無いと思っています。



ウクラマトの評価


海外で、プレイヤーはウクラマトのシッターであるとの評価が散見される。
彼女の成長の度合いとストーリーとが見合ってないからではないだろうか。

彼女は成長し、他者を頼ることを覚えた。
他者の背景を知り、愛すべき要素を見つけることを覚えた。

が、それだけでは足りなかった。
引くことを覚えず、先達がいても自分が主導し
他者の価値観を知りながらも自分の理想を押し付け(マムークでの宗教観、新生アレクサンドリアの倫理観等)、
自分の力で解決できると思い込み、他者を頼るべき場面だとすら思い浮かばないことがある(永久人を消すことでしか解決できないと思い、救済の可能性を周りに求めない)

黄金のストーリーを踏破するのに、彼女の成長は足りなかった。
我を通すのはある意味王の素質であろう。
が、我を通せるほどには実力は見合っていない

そしてメタ的にも、シナリオが彼女を保護しているとプレイヤーは感じとっており、このまま我を通しても彼女が手痛い失敗をするビジョンも浮かばない。

実力が伴っていないのに運命に愛された独善的なキャラに、
共感が難しい
人が少なくなかったのではないか。


挫折を経て成長する。アルフィノがそれだった。

政治を、世界を知った気になっていた新生のアルフィノは
自らの理想を通そうとして大きく失敗し、
次の拡張の蒼天で自分を見直し、幾周りも成長し、愛されるキャラとなった。

ではウクラマトも同じような成長を期待して拡張単位でプレイヤーは耐えるべきなのだろうか?

黄金におけるウクラマトと新生におけるアルフィノは立場が違う。

新生におけるアルフィノは主人公では無い
なので所謂「鼻につくキャラクター」が出てきたな、で済んだ。
共感できる部分をアルフィノに求めないでも済むのだ。

だが黄金はウクラマトが主人公なのだ。

神視点で純粋に傍観者としてプレイできる人であれば感情的中立を保てるのだろうか?

だが、前記事でも述べた通り プレイヤーが傍観者にならない もアピールポイントになっていたFF14、
エオルゼアはもう一つの人生と公言しているプレイヤーの声を各所の投稿で見かけるくらいなのだ。
その世界に溶け込んだプレイヤーは少なくないのではないだろうか?

フィクションの世界に入り込む中継ぎとして、キャラクターへの共感を頼みとする。
だが、そのキャラクターに触れるにつれて共感し辛く感じた人が多く、
自分の心を預けやすい自機すらも、彼女が優先され、描写がおろそかになっていく。
プレイヤーは入り込みたかった世界から拒否されたように感じてしまったのではないか。

漆黒や暁月はもちろんの事、新生~紅蓮も、ヒカセンの視点で、あるいはNPCに心を沿わせ、
その世界に入り込み、自機やNPCの情動に自分の心を震わせた者は少なくなかっただろう。
その積み重ねで心を預けられる作品だと今までFF14を信頼していたがゆえに今回の評価に繋がるのではないか。


ゾラージャの最期

私は初め「ゾラージャの武」と「コーナの理」と新たに「ウクラマトの愛」で国を治めるようになるのだろうと思っていた。
三つの頭で偉大な父でもできなかったことをするのだと。
(ごめんねバクージャジャ)
なのでこの結果はとても残念だった。
(シナリオに不満の意味ではないです)

ゾラージャにとって「奇跡の子」は呪いである。
奇跡の子などいない。
いるのは双頭ではない、ただの「ゾラージャ」でしかない。

だが、彼はただの「ゾラージャ」では国民にも、弟妹にも、実の父にも見てもらえないと思い込んでいる。彼を取り巻く環境がそうしてしまった
なので偉大な父の実子であることを奇跡の賛美に見合う己であることで証明しようと。
せめて偉大な父のような中身であれば、父に血の繋がった子として満足してもらえると。

だが彼は父の倒せなかったヴァリガルマンダを倒しても満足できない。
なぜなら父は偉大で、自分では到底追いつけないものであるべきだから。

「たかが双頭、こんなものか」
壮絶な親子喧嘩と巣立ちである。
何をもってしても追いつけないはずであった偉大な父が、倒れてしまった。
たかが異世界の文明の力で。
レギュレーター使ったんだから当たり前、なのではない。
偉大な父はレギュレーターを使おうとも倒れないはずだったのだ。
父に対して抱いていた偶像が壊れた瞬間でもあったのだろう。

もちろん自分の力で倒したわけではないとわかっている。
彼はまず強い自己否定を持っている。
レギュレーターを使った彼は
やはり父を超えられなかったという感情に繋がる。

本来であれば偶像からの脱却、巣立ちの場面のはずだったが、
ゾラージャは巣立てない
目標を超えられないまま目標を失い、
父の幻影に囚われ続ける。

(トライヨラの民に手をかけて父から言われた言葉
「ゆるされると思うなよ。我が息子ならなおさらだ」
このような形で「我が息子」と言われたゾラージャの気持ちよ……)

新生アレクサンドリアの連王という父と同等の立場になっていても
トライヨラ連王を継いだウクラマトを倒すことで
父の後継者であることを証明しようとする。
コンプレックスを示すかのような双頭のなりそこないへ変貌する。
最後までただただ父を追い続けるゾラージャ。
そして父の遺したもの(遺志を継いだウクラマト)に負け、
「ついに超えられなかったな、父上を……」

「俺はお前をどうあれとも願わない。
受け継ぐなり、見捨てていくなりするがいい」

これは彼が父に言って欲しかった言葉なのだろう。
そしてその思いは我が子に向く。
青い鱗のフビゴ族のだだのグルージャであるだけでよい
その名に囚われるなと。
自分のような呪いに囚われるなと。

「どうあれとも願わない」己の子に「グルージャジャのようにあれ」と勝手に名前をつけられてたゾラージャの気持ちよ……)


父親から何一つ継げなかった と漏らすゾラージャ。

対して消えゆくゾラージャに青い鱗を継いで遺したと応えるウクラマト……
これ、養子を白人、実子を非白人に置き換えると相当ヤバいやりとりな気がするのだが大丈夫なのだろうか?

ゾラージャにとって自己の存在証明であり、
唯一自分で自分を認めてやれる可能性が王を継ぐことだった。
そしてそれは連王として弟妹が継ぎ、叶わなかった。
に対してゾラージャは青い鱗を継いどるやん!って。

ゾラージャは遺伝的な繋がりの証明に何十年も苦しんでいたわけではない。
血の繋がりだけでは感じられずにいた父からの承認に囚われ続けたゾラージャに、血の繋がりを説くのは救われない。

追い求めても追い求めても足るを覚えられない。
そんな自己否定の塊のゾラージャが自己証明として求めた武。
最後の最期まで武を求めつづけた者に理の鱗を継いでいると伝えるのもまた慈悲が無い。

ゾラージャは同じ青い鱗の己の子の存在を弱き己の過去からの因縁と捉え、討滅戦での幻にためらいつつも手に掛けた。それは明らかに自分との向き合いからの逃避行動であった。
が、討滅戦後、自ら縛り付けていた自分の在り方と向き合い、認め、同じようになるなと己の子に声をかけた。
のに対し、ウクラマトのあの言葉は今際の際に弱い自分と更にもっと向き合えともいうかのようで、この意味でもゾラージャの傷口をえぐるようかで私には辛かった。

青い鱗云々は実の親子であることが羨ましかったウクラマトだから出た言葉なのだろうが、ソレにコンプレックスを抱えていた今際の際の相手に対し最後にかける言葉として適切だっただろうか?
死にゆく兄に自分のエゴを押し付ける人物としてウクラマトを表現したい意図があるのならばともかく、そうではないであろう。
シナリオとして、どうしてもこの場面でこのセリフで必要だったのだろうか?


彼をだれも顧みなかったのも不満である。
グルーパパはラマチラマチ コーナもラマチラマチ
思いが並々ではなかった継承戦に失敗して行方不明になっても
家族全員放置。
石碑にコーナをこっそり刻んでいても、ゾニキのレリーフは無いし、再会しても心配の声はない。
そんなゾに王位継承戦以前から、きっと年単位でついていたのは「連王の血を継ぐ奇跡の子」言うてゾのコンプレックスを煽るだけの胡散臭いサレージャ
もう胡散臭さあからさまのクラスターなのにずっと放置の家族。
生まれてこのかた家族との会話より胡散くサレージャとの会話の方が
多いんじゃないか?

詰んでる。


うっかりIDで道を崩してしまったとき、妨害するつもりは無かったと言う。
本質は誠実だった。他者を思う気持ちをちゃんと持っていた。
ただただ王位継承戦でどんどん追い込まれ、余裕を無くしてしまった。
ほんまパパンの考えた王位継承戦さえなければ……


ウクラマトはゲーム内外による優しい虐待の被害者であり
ゾラージャも情緒的ネグレクトによるアダルトチルドレンであるように感じられた。

グルージャジャは全ての子に同じ愛を注いでいただろう。
だがマムークでの作物のように、環境に合わせた種を。
種に合わせた愛情を
でないと育たないのだ。

黄金のテーマであろう「家族」において、
偉大で人の良い父でもってしてもあの王家は機能不全であった。



おまけ

黄金は、自機の選択肢含め、この場面でこの段階でこのセリフ要る?というような引っ掛かりが多い。
倫理観に疑問をもつ表現があっても、客観的にコミュニケーションが成立していないやり取りがあっても、それを当たり前として進行していく。
そのおかげで没入感が阻害される部分がある。
現実では不全なやり取りはままあることだが、FF14は第三者に理解してもらうことを前提としたフィクションである。

また、色んな方がゾラージャの掘り下げ不足を訴えてるのだけど、
プレイしながら彼を取り巻く状況を行間から想像はしても
自分の感情を動かすまでには足りない。

想像を補強する客観的な情報が足りなすぎる。
これでは考察などもできない。ただただ自分勝手な想像でしかない。

私の場合クリアしたのが7月1日、
モヤモヤして最初の記事を書いたのが7月2日
この記事の下書きを書き上げたのが7月8日と
ゾラージャのことを考えるのにそこそこ時間がかかってる。

掘り下げ描写がしっかりあれば、
想像力うんこちゃんの私でもプレイしながらのあのリアルタイムで
彼に心を沿わせながらプレイできたかと思うとホントもったいない。
なので掘り下げ不足だとを訴えているのですよ。

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