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黄金のレガシーネタバレネガティブ感想
黄金のレガシー楽しめましたか?
楽しめた方はコレを読まない方がいいです。
あなたの感性を否定するものではないですし、
私も私の感性を否定されたくありません。
水を差したいわけではないのです。
楽しい気分のままで居たほうが絶対いいです。
また、ライターを批判するつもりもありません。
私とただただ合わなかった。
あるいは、これを良しとした、シナリオチームに限らず開発全体がなんとかならないものかとも思っています。
私は ネガティブな感想を持ったけどまだFF14を楽しみたい のです。
前提
当プレイヤーは家族でオフイベも行き、ファングッズもそこそこ買う、
所謂 信者 の自覚がある旧βからのレガシープレイヤー。
それでも黄金はがっかりした。
漆黒暁月レベルは求めていない。
積み重ねていく物語の最初だから、とハードルはもう滅茶苦茶下げていた。
にもかかわらずだ。
今までの世界を踏まえた新しい土台ができたのではなく、
しっかり10年後退したと感じた。
それまでのスクエニFFブランドを毀損したといわしめた旧版のように、
10年コツコツと積み上げた14の信頼を全部なぎ倒したと感じた。
何故今更根性版の追体験をせねばならないのか……
ネガティブな感想をXで流すと的外れに煽られたり、逆にアンチにいいように利用されるので吐き出さないようにしてたが、
いつもより長いナギ節を楽しみに楽しみに待った上でのこの黄金にモヤモヤしすぎて、文章化しないと消化不良おこしてこの先が楽しめなさそうなのでまとめたい。
このモヤモヤにしっかりと形と正体を与えたい。
※自機…ゲーム内キャラの人格 ヒカセン…あの世界での立場
と感じて下さい。
必要 "以上" に傍観者であることを強いられていないか
プレイ前、ヒカセンの夏休み、ヒカセンの冒険だとアピールされ、
それを自分は楽しみにしていた。
中南米、マヤの遺跡を思わせるアートワーク。
キタンナのような道中ギミックのあるダンジョンがあるのか?
頼もしい仲間と遺跡から蘇った強敵に挑むのか??
ミステリーハンターの気分で楽しみにしていた。
フタをあけてみれば夏休みの冒険を楽しむ子供の保護者役で、
各所でガキ大将の行動を後ろから眺めているだけだった。
ふしぎ発見のカメラマンの気分だった。
基本メンバーが双子、DPS初心者、精神的に未熟な者、というのも保護者感に拍車をかけた。
ヒカセンが主人公から外れるのであれば
"ヒカセンの◯◯"というアピールは要らなかった。
ニャンはしっかり夏休み満喫してた羨ましい。ニャンについていきたかった。
FF14は漆黒でプレイヤーが増えた。
その時、WoWとの違いのアピールの一つに、プレイヤーが傍観者にならないというものがあった。
それを大事にして欲しかったが、ソレ縛りでは展開に困るのも理解できる。
だが、母親を消すエレンヴィルにヒカセンが話しかけるシーンですら一度ウクラマトを通さないといけないとは……
(エレンヴィルがターミナルを操作する場面、メテオマークはウクラマト)
ウクラマトが主人公なのは分かったが、そこまで徹底してプレイヤーが操作するヒカセンを裏方に回す必要はあるのか?
前半で好きになってたウクラマトが後半でゴリ押しすぎて苦手になってしまった。
比較的好みだった前半パート
あまり評判の良くない前半パート、私は結構好きだった。
いろんな部族の文化に触れるのは好き。
にっこり笑顔のハヌハヌ族、お前表情筋あるのかよ!と思った。
可愛かった。
黄金のアルパカを当たり前のような顔で連れて帰るシュールなゾラージャ。
特に表情が変わるわけではないアルパカがしっかりドヤ顔に見えたのも笑えた。
天丼は同じ人物に対しては何回も繰り返さないで欲しい。
最初は笑えたけどちとくどい。
でも彼の知識人としての再登場は安心ができた。
同じく評判の良くないわらしべパートも好き。
今回は予定調和だったし、バイトの方が儲かったけど、
ゆくゆくはサブクエでプレイヤーの交渉次第のわらしべができるようになるのかもなんて期待してる。
この手の、そこに生きているキャラとしての交流の手間は好き。
料理パートは流石にあんまりだとは思った。
試練自体が王を決めるものではないと裏意図があったが、確定で秘石が得られない者が出る=脱落確定だと誤解してしまうような試練は……
料理の成り立ち自体はとても良かったので、試練自体がもっとどうにかならなかったものか。
冒険ではなくツアーだったが、前半は新しいことを「知りたい」私自身の欲が存分に満たされ、自機の生きる世界が広がり楽しかった。
ウクラマトの「知る」の軽さ
私はイキりキャラが自省する流れが大好きなのだ。
バクージャジャはまさにツボだった。
後々のパッチでしっかり反省して償って、是非イイコになって欲しい。
なので前半のウクラマトは好きだった。
己が井の中の蛙であることを自覚し、いろんな部族に触れ、文化に触れ、多彩な価値観を知り、
自分のものとして消化し、成長していくのだろうと楽しみに思っていた。
(ヒカセンの夏休みでやることなんかな……という疑問は常にあったが)
だが、後半でのウクラマトの「知る」は、傲慢さを感じてしまった。
前半「知った」ものは未来あるもの。
更に深く知り続けることができるもの。
対して後半「知った」ものはあくまで一部だけ。
消してしまったら、もう二度と深く知ることもできない。
なのに、「知った」ことに対してウクラマトがこれから先どう向き合っていくのか、インプットするばかりでアウトプットが何も見えない前半と変わらない温度感で後半も「知って」いくウクラマト。
時間制限で全てを知ることができないのを当たり前とし、「知れるだけ知ったからもう消すね」とでもいうように永久人を消していくグロ。
「知って」永久人を消し、祈りも捧げず、その次のエリアではテンション高くて楽しそう。
ウクラマトが「知って」「忘れない」
それになんの価値がある?
と思うくらい後半のウクラマトの行動が軽く感じた。
後半で、もう二度と触れ得ぬものを「知って」「忘れない」ことの難しさを知る構成にはできなかったのだろうか?
永久人の扱い
ウクラマトの関係者の永久人は納得の行くやり取りをして覚悟をして消えていくのに対し、
何かしらやり取りの途中で遠慮なく消されていく一般永久人。
その様をウクラマトはちゃんと見ていたか?
自分が手にかけたその様を見て苦しみ、それを耐えて祈りを捧げ、前を向く覚悟のシーンが欲しかった。
それとも、サクッと消えるような一般永久人なんて心残りも無かろうってことでどうでもよかったのだろうか?
実は後々再起動でデータ復活なんてあるのかもしれない。
けれど現時点で、永久人自身の認識も自機達の認識も「消滅」だ。
(カフキワのセリフより「ターミナルを、稼働終了……シャットダウンさせる。そしたら保存されていた記憶ごと、永久人は消滅するだろう」)
消す前の、今そこに広がる幸せそうな人達をウクラマトがターミナルの前で目に焼き付け、覚悟を決めるシーンでも良かった。
隅から隅まで見て回った自機とウクラマトの温度差がしんどかった。
相応の覚悟を決めた自機でターミナルを操作したかった。
永久人達へのできうる限りの敬意をウクラマトにも払って欲しかった。
博物館前で揉めていた仲良し三人、つまらないことで揉めたままで終わりを迎えていないだろうか?
アイスをねだっていた子、手が離せずお互いに押し付けていた両親。
最後に一つくらい食べさせたかったと思わずに消えられただろうか?
建物を挟んだ待ち合わせで出会えないでいた二人。
彼らは星海で出会えたことを祈る。(星海行けるよね?カフキワさんとのクダリがあったし行けて欲しい)
記憶の残滓、フェニックス戦後のルイゾワが思い出された。
双子に想いを託しながらルイゾワが消えていくこのシーンが感動的なのは
記憶の残滓だと説明を受けても、
残される者果てる者、互いに”生前と同じ熱量”で対峙し、
残される者は意志を継ぎ、果てる者は継がれた想いを確認して満足して消えるからだった。
これが対峙の最中にシャットダウンされても興醒めである。
だがシャットダウンでは身内永久人以外の永久人は唐突に消されてしまう。
自機の中の人は覚悟してた。消した人達の思い、ささやかなやり残したこと、それら全てをヒカセンとして抱える覚悟をした。なのに抱えさせてももらえなかった。
ウクラマトが抱える!と言い張られた。左様か。
そして次のエリアでキャッキャできちゃうのか。
あのメンバーで最後までスフェーンに一番近い熱量で苦悩していたのは、同じように家族とする者が消えることが早い段階で確定していたエレンヴィルだけだった。
彼だけがあのフィールドでのヒントトークが殆ど「………」だった。
彼だけが馴れ合う気になれずメンバーから離れ、
彼だけが他に方法がないのか最後まで求めていた。
ヒカセンですら最初の方でカフキワ自身が消滅したいという「意思を尊重する」を選ばされた。
月に逃げずにギリギリまで足掻いて世界の果てまで行った自機はそんなに物わかり良くない。
漆黒と似た対立構造に対する違う行動
譲れない主張の違いを正誤でなく賛否で捉え、
葛藤の末対立し、戦って決着をつける。
ヒカセンや暁は漆黒でこの重い重いやり取りを経たのに
ウクラマトがスフェーンの価値観に対し間違ってる!と断定したそれを
自機や暁がスルーしたのも辛い。
後方見守りに徹しすぎてはいないか。
・自分の力のためにトライヨラ住民の魂とエーテルを求めたゾラージャ
・自国民を生かすため、原初世界住民のエーテルを求めるスフェーン
・万が一「世界をつなぐ力」が発動しても原初世界とは異なる鏡像世界住民のエーテル(※1)が取られないよう人に言われるがまま"保険"で先に永久人という民間人を消していくウクラマト
前二名と違って、ウクラマトの行動が尊重されるのはなぜなのか?
自分のデータが他人の命を利用して保存されるのは要らないが、自分の子のデータが生前と地続きの記憶と感情と意思を持ってソコに存在し、経験を更新し続けるのが "その世界の常識" なら私は縋る自信がある。
だからスフェーンの気持ちが少しなりともわかる。
スフェーンにとって永久人は、データであろうと家族の命と同等のものであり、何と引き換えにしても守るべきもの。それは絶対であり譲れない。
自機は自分の大切な人達が居る(居た)世界の方が大事。
戦いでしか守れないなら覚悟を持ってそれを選びたい。
そして身勝手に消してしまう彼らをヒカセンとして抱えたかった。
(その抱える役目はウクラマトが持っていったが自機よりも軽く捉えているように思えてならない)
スフェーンの想いも間違ってない、ただ受け入れられない。そうウクラマトにも思って欲しかった。
永久人自身もいずれ消えても仕方ないと思っていたかもしれない。
が、ネズミー観光の時間で心構えさせてやれなかったものだろうか。
二箇所目以降などは他のエリアが消えてるのが見えているのだから、皆の前で演劇するよりも説明して心構えをしてもらいたかった。
そのうえで最後の楽しい思い出を作って欲しかった。
受け入れてもらえず強く恨まれ、呪いの言葉を浴びながら
自機がターミナルを操作することになっても構わなかった。
そんな人達をサブクエで回収できたら私が救われた。
永久人とFF14における命の定義との関係
サゴリー砂漠のハブ、紳士ゾンビー、ヴォイドの妖異、ブラディヒルンドといった者達が存在を尊重されているFF14の世界観において、永久人という民間人は尊重されること無くあっさりと消されていく。
永久人はデータだから?
命のあり方として歪んでるから?
歪んでると捉えるのは 原初世界の倫理観 であろう。
その原初世界の人間も"彼"からしたら「なりそこない」だった。
先がないから間違ってる?
最後まで足掻くのも、立場によっては正義だろう。
リアル自分も自分の子の命のためなら、守りたいもののためなら、相応の力があるのであれば一分一秒のためであろうと世界を滅ぼしてでも足掻く。
自我を持っていても創作物でしかない?
意思を持ったAIに命はない?
では意思を持ったエンテレケイアとして作られたメーティオンはどうなのだろうか?
オメガに作られたアルファは?
最後に心を持ったオメガ自身は?
私はヘルメスが創り出したメーティオンを、オメガに作られたアルファを命持つものとして捉えている。
オメガに対しては私の常識が邪魔をして命そのものをうまく捉えづらいが、
心を持つ彼らの生殺与奪の権を持ったとしても乱雑に行使しようとは思わない。
秘話のヘルメスのように今を生きて未来あるものとして正々堂々向き合いたい、そういう関係だと思っている。
オリジナルはとうに死んでいるからコピーでしかない?
ヒカセンの死の先にいる水晶公を知っている自分には、永久人をオリジナルに劣るものとするのが難しかった。
あの水晶公にとってオリジナルヒカセンは死んでいる。
彼が救ったのは彼からすると並行世界のヒカセンである。
彼がヒカセンを救っても彼が元いた世界線のヒカセンは死んだままだった。※2
自機は水晶公にとって、もしも第八霊災がおきなかったら、のifの存在である。
それでも水晶公は塔の端末となってまでこの自機に命を賭け、
今のラハはこの自機を彼の英雄として尊重してくれている。
そんな立場の者がいる世界観での永久人を自分はifの可能性としか捉えることができなかった。
あの世界での生命体のエーテルの定義「生命力」「魂」「記憶」何かが欠けた永久人だから、命を奪う感覚もなく、葛藤も苦悩も浅いままサクサク消していけるのだろうか?
だが、この手のシナリオでよくあるような再現ホログラムとは違い、感情や意思があり、実体化され、記憶や経験も更新され続けるデータと命の違いは自分にはわからなかった。
スフェーンはもちろん、カフキワ自身も永久人でありながら生者の世界で組織を継ぎ、生者に対し多大な影響を与えている。
スフェーンが言うように命なき空っぽの存在ではなかった。
記憶の残滓として扱うにはあまりにも能動的である。
黄金郷に踏み入れたエレンヴィルが「みな生きていて」と漏らしたくらいだ。それは原初世界の価値観でも命と限りなく近いものではないのか?
マムークでは孵化できなかった卵ですら兄弟だと、命であったと捉えていたし、我々は既にオミクロン族と出会っている。
戦争犯罪者となってしまった自機
アレクサンドリアの侵攻、それに対抗する行為。
となればこのやり取りは戦争であろう。
ヒカセンは、ウクラマトは、カフキワというたった一人の、レジスタンス側の意見により、防衛の"保険"として、ある種の新人類とも言える永久人という民間人に確実に死をもたらすことを理解したうえで、その行動を取った。
リアルで言えば国際人道法における
「軍事目標主義」(攻撃目標は軍事関係に限るとし、非軍事関係へを禁止とする)
「害敵手段の制限」(無差別攻撃の禁止、非軍人への攻撃の禁止、害敵手段の目的は降伏であり殺害を目的としない)
どちらにも反している。
「こちら(ですらない。ターゲットは鏡像世界に移っている)の国民が攻撃される可能性」
これは敵国”民間人”を攻撃していい理由にはならない。
攻撃対象は首謀者のスフェーン、軍属の機械兵やゾラージャであるべきで、永久人は対象となってはならないのだ。
それでもこれらを犯すことの、"戦争犯罪者" に自機がなっても構わない覚悟を私にも持たせて欲しかった。
シャットダウンしかない、そのシナリオの展開を否定するつもりはない。
ただただ自機だけでなく私自身にそれしかないという心理的正当性がしっかり欲しかった。
スフェーンは命を奪うことに相応の覚悟を持って侵攻してきたのに、こっちは保険……
むしろ目的が消費する一方でしかないエネルギー資源の確保としての生命略奪であれば、奪われる命の総量は最終的には減らない(使い尽くす)ので保険にもなっていない。
これではこちらの熱量と行動が見合っていない。
「肉体が無くなったとしても、人々が記憶している限り、そこに生き続ける」というヨカフイ族の教え。
「私が死のうとも君が生きている限りいのちはつづく」というFF9のテーマ。
今生きているアレクサンドリア国民から死者の記憶はシステマチックに消されてしまう。
その代わりにあるシステムが永久人だ。
永久人として残され、生きて、命が続いているのだと示されているのだと感じていた。
それを更に消していくのは私にとって二度目の死を、完全なる消滅を与える行為でしかなかった。
自機が、ウクラマトが覚えているからいのちは続いている?
ぽっと出がそれを担うのは、それはあまりにも烏滸がましくはないか。
再会したウクラマトですら知ろうとしなかったナミーカの30年は誰の記憶にも残らない"無"になってしまった。(それでもあのシーンのナミーカが満ち足りて歳を取った演出は大好きだ)
データとして残すことを前提として死者の記憶を生者から消す。この死生観を私は肯定は出来ない。
ましてや維持エネルギーは自国民以外のエーテル。
肯定はできないし受け入れられないが、ギリギリまでなにか掬い上げられないかと考えることもしたかった。
戦争犯罪者になるしかない、と諦めるまで手を尽くしたかった。
やはりデータだから、コピーみたいなものだからと捉えられれば楽なのだろう。
であれば永久人を「記憶を元に再現された"生命"」と説明されたくなかった。
コンスタンシに「生きている頃と何ら変わりはない」など言わせないで欲しかった。
エリア名をLiving memoryにしないで欲しかった。
ウクラマト物語
黄金はウクラマト物語だった。
ウクラマトが主人公だった。
彼女の成長を願いつつも、自由に振る舞う彼女をみんなでただ温かく見守り、時に優しい言葉で慰める。
黄金は彼女のための路が敷かれた彼女のための優しい虐待の物語だった。
ウクラマト自身はとても良いキャラクターのはずだった。
ただ、彼女の手綱を取るキャラクターが必要だった。
誰かがキチンと彼女を導いていれば、長兄を「知ろう」とせず救えなかった者が、物知り顔で長兄の子に家族を説く、なんてできないはずだった。
長兄のことはウクラマトの挫折と成長の機会だった。
ただ、肯定、慰め、支援、尻拭いばかりの周りの者はではこの機会を経験、成長へ繋がせてやれなかった。
そして全肯定の仲間に囲まれ立ち直りの早いウクラマトとって、アイデンティティである「知る」で長兄のことを救えなかったことは、後悔はあっても挫折に値しなかった。
間違いを指摘する誰かが必要だった。
視野が狭くなりがちな彼女を諭す誰かが必要だった。
それは幼馴染のエレンヴィルだったのかもしれないが、如何せん彼は母親のことでいっぱいで無理だった。
本来ウクラマトはこんなにヘイトを集めるキャラでは無かったはずだ。
その他
もっと言いたいことはある。
うるうる涙目の多発
黄金郷の扉を見つけてUターンな冒険
継承の儀に仲間はずれな北トラル
エピソードごとにぶつ切りリセットで、積み重ねられた盛り上がりに欠ける構成
掘り下げが浅いゾラージャ
貴重な生命エーテルで作られた食物を残すラハと自機(たっぷり残ったポップコーンをその場に置いたまま次の目的へ立ち去った場面。踏まれたタコスはちゃんと拾っていたので、食べ物へのこの扱いにがっかりした)
ワンポチで換えのきく大量生産端末の身体を、オーティスが死ぬ(壊れる)まで守られるままでいたスフェーン
永久人の解決方法をウルティマトゥーレに求めない暁と自機
トライヨラの言語体系からかけ離れたエリア命名「アンロストワールド」
からのエリア名:リビングメモリー
再現された一番幸せだった時がクルルを手放した後だった両親
ファンへの配慮を感じないFF9の扱い etc…
今までの14は、言いたいことは多少あれど、それらを上回る体験をありがとう!だった。
心を震わすような会心の体験は、出会えたら嬉しいが固執していない。
求めていたのは「あー楽しかった!」と思える体験だった。
それで上記レベルのモニョりも
「何かキャラクターなりに理由があったんだろうな」「舞台裏で解決したんだろうな」「後で補完されるのかもな」と流せた。
ただ今回はそれがちょっと無理だった。
あと、自機の苦笑い多すぎる。
人様の行動に対して苦笑いでイベントの引き。
性格悪く感じるやめて欲しい。
メインクエでも辟易してたのにピクトマンサークエ常時苦笑いしてて辛い。
ちょっと続き1
ちょっと続き2
※1
ゾラージャ戦 鍵を手にして消えたスフェーン後
ヤ・シュトラ「(生命力のエーテルに関して)恐らく、原初世界の人から奪う計画だったのでしょうけど、ゾラージャに裏切られ、その望みも潰えた」
ヤ・シュトラ「追い詰められた彼女は「世界を繋ぐ力」を使い、異なる鏡像世界へと狙いを変えた。私たちからの干渉を避け、「命」を奪うために……」
リビングメモリー突入後
カフキワ「その瞬間を待つあいだに、永久人を消しておくんだ。そしたら、万が一「世界を繋ぐ力」が起動したとしても、鏡像世界から奪われる命の数を抑えられるからね」
※2 漆黒秘話より
※3
リビングメモリー突入後
カフキワ「各エリアには「ターミナル」と呼ばれる巨大な装置があってアタシ達永久人の記憶は、そこに保存されているんだ」
その後にスフェーンの記憶が保存されているメインターミナルは演算もするということが説明された。