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松本裕樹を推して10年(前半)
2023年3月23日。
松本裕樹という選手を推して10年が経った。
もう10年も経ったのか…と驚いてしまうほどあっという間だった気がする。
でも、26年という人生で10年間松本くん応援し続けてきたと考えると、やっぱり長いのかもしれない。
そう思うと線が細くて、坊主頭で、まだ背番号も8を付けていた高校2年生の高校球児がいつの間にかプロ野球選手になり、二児のパパになっているのも納得する。
やはり10年という年月はそれなりに長いらしい。
初めて見た時、松本くんは甲子園のマウンドに立っていた。
「盛岡大附」と書かれたユニフォームを着ていたその選手は、校名から岩手の選手なんだというくらいのことしか分からなかった。
相手の高校が同郷であることからそっちを応援していたはずなのに、気付けば松本くんのピッチングばかり見てしまっていた。
その才能に一目惚れしていたのだと思う。
初めてきちんと見た甲子園で出来た初めて好きになった選手は、高校生が追っかけをするにはあまりに遠いところにいた。
東京と岩手。私も野球部に所属していたので土日休みはまず無いし、休みの少し増える冬の期間は岩手が雪の中。タイミングすら合わない。
センバツの3回戦で負けてしまった選手の情報はほとんど見つからなくて、同姓同名の記者の方か、選抜の時の情報しかなかった。
だからSNSで「松本裕樹という選手は凄かった。盛附というチームも凄かった。」なんて呟いて満足するしかない日々を送っていた。
すると、徐々に盛附の生徒からフォローされるようになった。
どうやって見つけてくれたか分からないが、盛附生の中には野球が好きな生徒が多くいたようで、その人達が見つけ出してくれた。
その方達は本当に優しくて、野球部のスケジュールやその中の関東遠征の日を送ってくれたりした。
(本当に何でも知ってた。野球部なの?ってくらいなんでも知ってたし教えてくれた。何者だったんだろう。本当にありがとうございました。)
そんなこんなで2013年6月22日。
関東遠征で桐蔭学園高校に来ていた松本くんをついに直接見ることができた。
好きになってから約3ヶ月。
ようやく実在することを確認出来た。
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この時に、一緒に行った方から「ファンレターは書いた方がいい!お守りとかもいいかも!」とアドバイスをもらい、そのままファンレターもお守りも渡した。と思う。
実在するんだということ、直接見てもやっぱりすごい選手だったこと、全てが想像以上で多分渡したような…?という記憶くらいしか残っていない。完全にキャパオーバーだった。
見れた嬉しさと記憶がない悔しさを感じていた私は、2013年8月12日に国士舘高校、市立船橋高校、盛岡大附の変則Wのために関東遠征に来た時も突撃した。
(この時は国士舘のグラウンドの場所を間違えて大幅なロスをしたことを鮮明に覚えている。事前準備は大事。)
その直前になぜか電話をする機会をいただけた私は、震えながら「国士舘との試合見に行きます!!」と伝えた。気がする。
この時もキャパオーバーを起こした私は話したことのほとんどを記憶に留めていない。
さすがに脳みそがポンコツすぎる。。
それでもファンの為に電話する時間を割いてくれた松本くんの優しさが嬉しかった。
大幅に時間をロスをしたものの、なんとか盛附vs市立船橋高校との試合には間に合った。
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3年生が引退した直後の試合。
この時、松本くんはなんとキャプテンを務めていた。
秋大以降はキャプテンが別の選手に代わっていたため、少ししかない貴重なキャプテンとしての姿だった。
更にこの試合、なんと引退した直後の野球部OBの方が沢山来られていた。
プロ注目だった望月選手も来ており、なぜか写真を撮ってもらえるというボーナスタイムもあった。
試合が全て終わった後、マイクロバスまで戻る松本くんに、ここしかないと思ってまたファンレターとお守りを渡した。
そのまま少しでも見ようとそのまま吸い寄せられるようについていくと、バスの駐車場で選手と関東圏にいる保護者の方、OBの方との歓談タイムが設けられていた。
松本くんを追いかけてそんな場所に出くわした私は、この場にファンがいていいものか…??と頭を悩ませた。
でもその時に一緒に行ってくれた方が「行くなら今!サインもらうのも今!」と背中を押してくれて、気付いたら松本くんの目の前に立っていた。
「あの!サインください!!」
震える声で伝えると、松本くんから
「俺サインまだないんだけど…」
と至極当たり前のことを言われた。
確かに……と思ったが、それでも引き下がれない私は、「署名でいいです!」と訳のわからないことを伝え、優しい松本くんは署名をしてくれた。
(署名て…書類渡したんか…と後々反省した)
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その後他の選手が乗るバスに戻った松本くんは、他の選手からやいやい言われていた。
バスの外まで聞こえてくるくらいにはやいやい言われていた。
本当申し訳ない‥と思っていると、ある保護者の方から、「あなた自分の名前書いてもらったの?」と聞かれた。
いや、そこまで考えてなかったです…と伝えると、その方は私の貰ったばかりのサインを手に取ると、「あなたお名前は?裕樹!裕樹!サインの時は名前も書いてあげなさい!○○さんっていうらしいから!」と松本くんのところまで持って行ってくれたのだ。
しばらくすると、私の名前が追加されたサインが手元に戻ってきた。
ほぼ泣きながら「ありがとうございます😭」
と伝えると後ろにいた別の保護者の方から
「裕樹の初めてのサインだと思うから出来れば大事にしてやって欲しい。」と伝えられた。
もちろんです!家宝にします!と伝えると
「それは息子も喜ぶと思う」とにっこり笑ってくださった。
「「いや松本くんのお父さん!?!」」
まさかのお父さん登場。向こう側には、お母さんと弟の跳馬くんもいた。
驚きすぎて心臓が止まりかけたが、神奈川県出身ということを思い出して納得した。
帰りがけにはOBの方が車から「おめでとう〜!」と声をかけてくれた。
ファンレターとお守りを渡しただけですごいのに、サインまでもらってこんな幸せな日があっていいのだろうかと思いつつも、しばらくの間この日の余韻に浸っていた。
ちなみに律儀な松本くんは、作ったお守りをエナメルに付けていてくれたらしい。
優しすぎて泣いた。
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その後10月には岩手に行くまで至るのだが、その話は別のnoteでしているのでそちらで。
高校2年生の時の話を思い返していただけで2500字を超えてしまったため、残りは後半として書いていこうと思う。
よろしければ後半もご覧ください。