受け身の美学
三沢の凄さを語る時、必ずこの言葉が使われる
相手の技を全て受け切って、ともすればポテンシャル以上のモノを引き出す
その上で、それ以上のインパクトとキレを持った技を繰り出し、時には観るものに感動すら与えて勝つ
そんな超人の生きざまが、パンピーの日常生活の中で参考になるはずもないのだが
いつでも、たとえば仕事でピンチに陥った時に思い浮かべるのは「あぁ、三沢ならベイダーの技を全て受けた後でも決して仰向けで3カウントは聞かないんだよなぁ」ということだったりする
いや、自分はそこまで追い詰められてる訳じゃない、と開き直る時もあるが
あの、闘争心。忍耐力。怒りと悲しみ。
繰り返される日々の中でしか磨かれない、ボロ雑巾のような日々でしか醸成できない「感情」
そんなものを得る為に、生きているんだなぁとふと気付く
どこまでも続く平坦な道は、時にいばらのみちよりもはるかに残酷で
何者にもなれなかった自分を憐れむ暇すら与えられない
いや、なまじ道の先を見据えるから葛藤が生まれるのだろうか
頼りない自分の足下だけをただひたすら見つめ続ける事ができればHappy になれるはず
程度の差こそあれ誰も皆、そんな葛藤を抱えている。男も女も、イケメンも不細工も、芸能人も浮浪者も
ただし相手が渾身で繰り出すパンチ、蹴りをまともに受け続ければ、時に立ち上がれない程のダメージを受けてしまう
デフォルトで心に「闇」を抱えていたとすれば、もはや受け身どころではないだろう
自分の立場とか、責任感の強さが故に、逃げ場なく「詰み」状態に陥る危険性
一見して、何の悩みもなく、誰もが羨む地位を手に入れても、命が無くなっては元も子も無い
受け身の美学とは、相手の技を受ける刹那、そのエネルギーをいなすことに他ならない
それが出来てこその「受け身の天才」だろう
どんな理由があったとしても、自ら命を絶つ等と言う事が肯定されることはない、絶対に、だ
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