2020年、音楽シーンのキーワードは「PUNK」
2020年、待ち望まれた音楽シーンの新たなるキーワードは「PUNK(パンク)」で間違いないだろう。
それは使い古された、「〜コア」や「ラウド・ミュージック」などの名称のもとに形骸化されてしまったソレではなく、古くはニュー・ウェーブと呼ばれたアーリー80'sのそれまでのロックやポップ・ミュージックの概念を破壊しにかかった音楽たちや、90'sのオルタナティブ・ロック、00's初頭のジェームス・マーフィー率いるDFAレコーズが源流となって生まれたポスト・パンク、ジャスティスを初めとするフレンチ・エレクトロが起爆剤となって形成したエレクトロ・シーンの様相に類似している。
そして今回の武器は「美」である。
しかも今までの音楽史を十二分に踏まえ、敬意と敵意、両方ともを持って磨き上げられた、美だ。それが幾ばくかの時を超え、今また閉塞したシーンに風穴を開ける、そんな予感がしている。
と、ここまで言葉で表しても、音楽は直に耳にしないと伝わらないだろう。なので、僕が「これは、、来たな… 」と感じた楽曲を紹介しようと思う。
Ultraísta “Tin King”
ウルトラスタと読む。あのナイジェル・ゴドリッチが中心となって結成されたエクスペリメンタル・バンドとのこと。「誰それ?」という方も彼の音楽をきっと一度は耳にしているはずである。というのもナイジェル・ゴドリッチは、ベックやレディオヘッド、エールといったアーティストを始め、いわゆるロック史の名盤をことごとく生み出してきた名プロデューサーなのだ。
一般的な彼のイメージは、「ストリングス・アレンジの神様」であり、流麗、荘厳、耽美といった要素を自在に操り、楽曲に格式と美を与える魔術師である。その彼が、パンクに舵を切ったのだ。
性急なビート、ひしゃがれたギターなのかシンセなのか正体不明のノイズまみれのコード、一際高らか且つ無神経に鳴り響くシンセ、居場所を無くしたようにさまよう歌声。その全てが切迫しながらも美しさを奏でているのだ。そしてそれは怒りにも似た攻撃性をはらんでいる。
正直この音楽を聴き、自分が脅かされると共に、どこか前方が切り開かれていく感覚を覚えた。あぁ、そうだ。コレが欲しかったんだ… 。
この楽曲が騒がれるかどうかなんて分からないし、どうせ売れはしないだろう。しかし、この曲から時代は変わる、それは間違いないと確信する。
Mura Masa 『R.Y.C.』
そして、ムラ・マサだ。もう去年から何度も何度も言ってる、「次のムラ・マサはヤバい」と。この3曲どれでもいい、いや、3曲中どれもピンとさこなければ完全に不感症を疑った方がいい。
ベッドルームの横に広がるダンスフロアを歌ったかのような甘美な前作から一変。いや一変ではない、甘美さは残っている、しかしどこか壊れているのだ。破綻している。しかもとてつもなく大きな方向に!
詳しい経緯を知るわけでもなく、断片的な情報からの僕の憶測に過ぎないが、おそらくムラ・マサに劇的な変化をもたらしたのは、UKのゲットー・カルチャーだ。死と暴力と薬、そして生への渇望。引きこもりの音楽オタクだった彼が、デビュー作の成功と共に巡り会ってしまったのがこの世界だったのだろう。そしてそれは爆発的な化学変化をもたらした。
甘美なまま、スマートなまま、ムラ・マサは壊れてしまった。いや自分を壊しにかかった。楽曲は協調性を無くし、その代わりに肥大するストーリー性を得た。サウンドはクールなまま、自分の居場所を良しとせずに絶えず変化している。しかしその過程すべてが、美しい、のだ。ムラ・マサは我を失ってはいない。いやむしろ前より確信的にサウンドを奏でている。
心配なのは、彼の音楽だけではなく、おそらく彼自身も薬や陰惨な世界の影響を受けて(いや、もちろん公式にそう説明されてる訳じゃないが)、その生を削っているだろうということだ。生まれながらのゲットー育ちと、その環境に途中から毒される者とでは耐性が違う。しかし、それもムラ・マサ自身が選んだことなのだ。
そんな心配をよそに、彼の音楽は確実に2020年代の音楽シーンの偉大な礎となるだろう。いや、もう始まってしまったのだ。空いた風穴は速度を増し、世界を広げるだろう。
「PUNK(パンク)」はかつて、若者の特権だった。しかし今回は違う。明らかに成熟した音楽たちが、一斉に身を翻して攻撃性をあらわにしたような特異性がある。それは現代の社会に対するアンチテーゼというよりは、眠りから覚めた覚醒に近い気がする。音楽に経済的価値が無くなった今、音楽は新たなる主張を始めるだろう。
「自由の獲得」を謳うYouTube動画やSNSがすべて、既に成功を手にした者たちの新たなる経済活動に過ぎないと気付いたとき、音楽の持つ意味も変わってくるだろう。人々が音楽を聴くことの意味、音楽で踊ることの意味も変わるだろう。
社会の不穏な流れから不意にたどり着いた、熱い流れに今、心がザワついている。