スピッツと春と恋
春になると、なぜかスピッツを聴きたくなる。
あの草野マサムネさんの中性的で儚い歌声とか、幻想的でたまにほの暗い不思議な歌詞が、曖昧な春という季節にマッチするからかもしれない。
ああ、あと、私が春にスピッツを知ったからかも。
ちょっとだけ好きだった人に教えてもらって。
中学校の卒業式の後、クラスメイトの多くとメールアドレスを交換した。
なぜそんなタイミングなのかというと、私の世代は高校入学前に初めてのスマホや携帯を買い与えられた人がたくさんおり、みんなウキウキして手あたり次第連絡先をゲットしあっていたのだ。
その中で私は、時々話すことのあったセンスが良くてじわっと面白い男の子とメールアドレスを交換した。
彼とは疎通確認メールの後、不思議とやり取りが続き、話題は好きな音楽の話になった。
彼はスピッツがとても好きで、おすすめの曲を教えてくれた。そして、それを私が聴いて感想を返事する、というラリーがなぜかほぼ毎日続くようになったのだった。
その時まで私はスピッツの楽曲について、王道の「空も飛べるはず」と「チェリー」しか知らなかった。
彼に教えてもらった曲は上記よりマイナーで、すべて初めて知るものだったけれど、いい曲が多かったので、私は次第にのめりこんでいった。
中学生の頃、スピッツはキャリアがすでに長かったので、沼は広く深く、膨大な数の曲のなかでお気に入りを発掘するのに春休みという暇な時間は打ってつけだった。
布教してもらった中で特に印象的だったのは、「夜を駆ける」とか、「俺のすべて」かな。ヒット曲の影響で爽やかな印象が強かったけれど、こんなにかっこいい曲があるのかと感動した記憶がある。
深夜テンションで「このマサムネがかわいい(^^)」「あのマサムネがかっこいい!!」と、マサムネ氏への愛を語り合ったのはとても楽しかったし、「おっぱい」というまさかの名前の曲や、とある曲の「ラブホのきらめき」という歌詞を共有したのも刺激的だったので忘れられない。
純粋にスピッツの音楽が好きだったのはもちろんだけれど、そこまでのめりこんだのは、曲を聴いたらやり取りを続けられるという下心もあったからだと思う。
彼のことは、在学中「面白い人だな」と気になってはいたけれど、突破口が見いだせず距離が縮まることがなかった。
それが偶然生まれたチャンスで、どんな音楽がなぜ好きかを知ることができ、頭の中を少し覗けているようで嬉しかった。
結局メールのやり取りは、お互いが高校生になった直後に消滅してしまい、仲が進展することはなかった。
彼が私をどう思っていたかを知ることはなかったし、私が彼とどうなりたかったのかもよく分かっていない。
その後一度だけ、同窓会で彼に会ったことがある。
「よっ、ひさしぶり!スピッツまだ聴いてる?」
と話しかけられた。
私は一気に懐かしさと照れが込み上げ、
「う、うん!…たまに!」
と答えるのが精いっぱいで、それ以上会話は続かなかった。
スピッツの楽曲の、ちょっと切なくてモヤっとしていて、あまり上手くいってなさそうな(偏見です)雰囲気は、
私がスピッツと出会うきっかけになった、恋とも呼べない奥手で中途半端な思い出とリンクする。
あれ、ちょっとどきどきしたよなあ。
今日も1曲聴いてみようか。