平和をねがう
8月になると思い出す。蒸し暑い教室で、暗いメロディの平和の歌を歌ったこと。炎天の平和公園で背中を焼かれながら、あの日の出来事を聞いた日。平和資料館の古い展示室の焼け爛れた人形、学級文庫の『はだしのゲン』、佐々木貞子さんのアニメーション映画。幼い自分には学びよりもおそろしさの方が勝って、直視できないものの方が多かった。
あの頃よりもさまざまな視点から物事を考えられるようになった今だって、戦争は怖いし、核兵器が頭上で炸裂して死ぬのは本当に嫌だ。ものすごくシンプルに、誰もが生命を脅かされないような世界であってほしいと思う。その根底にあるのはやっぱり、広島に生まれ育った子どもであるわたしに注がれた、あの平和教育ってやつなんじゃないかと思うのだ。
毎年この時期、だいたい8月6日には、Twitterでこの日についての歌を詠んでいる。数がたまったので、いったんこのページにまとめることで、戦後76年の今日の日のページにしたいと思った。
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われわれは何も知らない
われわれは何も知らない 戦争も飢えも理解らぬままで生きたい
祖父に訊くきょうだいたちをうしなった少年のある一日のこと
裏山の防空壕跡ぽっかりと覗き込む者待ち口開ける
無知であることを夢みてさっき観た戦争映画のオチを忘れる
子どもらは学び続ける七十年前から墨で塗られた平和
(うたつかい2015年10月号自由詠より改)
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雲一つない青空が怖かったこわかったのだ平和学習
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プラハにもアラブにも春 荒れ果てた町に咲くべき名も無い花は
(うたつかい2015年4月号テーマ詠「春」)
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空が落ちてくる
雲ひとつない青空がこわくってぎゅっと目瞑る八月の朝
あの朝の叫びを聞いた川の縁(へり)しずかに水面しずかに揺れる
アオギリが見つめる街を歩くときこんなに平和が重い大通り
夏服の高校生がカクハイゼツ目指し集める署名はまぶしい
ぼろぼろと欠けゆくドーム猛暑日の熱照り返しあの場所に立つ
世界では今日も何処かで空が落ちそれでも人はいつもどおりに
(「歌人のふんどし」2016年 太田青磁さんからのお題で)
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見上げれば空にミサイル鰯雲どちらが敵かどちらも敵か
(2017年9月空き時間歌会 自由詠)
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七十二年前の朝、暑い朝、八時十五分、暑い暑い朝。
抵抗の術奪われたひとびとの名前をなぞるように雷鳴
あのときを忘れぬための資料館さえも建て替えられるというのに
過ちは過ちだからわれわれはいずれ誰かに裁かれるのか
(2017年 Twitter)
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灼熱のコンクリートに浮かぶ影 遠い記憶が甦る空
想像を絶やさぬことがわれわれの力だろうかあの日の人よ
日常はたやすく崩れ取り戻すため積み上げる日々の重たさ
過ちを過ちとして粛々と祈り続けるヒロシマの朝
(2018年8月6日 Twitter)
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ころしあうわれわれ見つめ燃えているゆらゆら揺れる平和のともしび
(CDTNK年越し2018 題詠「平」「成」)
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平和とは何か教えてもらえずに黙々と折る灰色の鶴
(いくらたん2019年2月号 テーマ詠)
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黒い雨は今も何処かで降り続き知らず我らを蝕んでいる
何事もない日々をただ積み重ねわれらの願う平和と称す
戦争を教科書で知る子どもらの人が死なない未来明るい
広島の夏くり返しくり返しいのりの炎しずかに燃やす
(2020年8月6日 Twitter)
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広島は晴れていますか
さめざめと泣く八月の空暗く令和の夏が静かに過ぎる
胸を張る平和七十六年間 戦後も後期高齢者となり
忘れれば繰り返される過ちは挟まれたままの新書の栞
広島は晴れていますかぼくたちはあの街の今朝を知る術もなく
祈りとは風吹けば散る紙切れのことだおりづるどこまでも飛べ
(2021年8月6日 Twitter)
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