カウンセリング④回目
今日は渋谷にあるフローラルメンタルクリニックに行った。
乳がん告知から気持ちを整理するために行っている。
当時はガンステージも分からず、明日死ぬのか治るのかも検査の結果次第という非常につらい待ち時間が一か月もあり精神崩壊しないために行った。
いまはガンステージも分かり、なんと5年生存率50%というまた絶妙な結果ではあったのだけど、分子標的療法も効果が見え始めていて、なんとか残りの50%には入れるのではないか、できれば完治の30%に入るかもと言う持ち前の前向きさが出てきた。
もう脱毛が始まっていること、ターバンでごまかしていること、前向きに治療に取り組んでいることなどを話した。
2か月前くらいはふらふらと息も絶え絶え迷い込んだことを考えるとだいぶマシになったなあとおもった。
カウンセラーさんはターバン姿がかわいいと褒めてくれてうれしかったなあ。
病人や介護されている人、障害者などはまず生きるが先決で、ファッションなんて言ってるばあいじゃないだろ!と思われてしまうことが多い。
私も最初は安い治療用帽子を買ってそれをかぶっていたのだけど「いかにもがん患者」と言う感じでとてもテンションが下がった。
これは元アパレルの方で自らも乳がんになった人ががん患者向けにファッショナブルな製品を展開している人がいてそこから買った。
値段はそこそこ高い方だけど、作りもデザインもしっかりしててかわいいのでとてもテンションが上がった。
確かに生きるか死ぬかの場面でファッションなんて言うなと言うのも分かるけど、かわいいファッションをすることで生きる意欲もわく、ということは大いにあると思う。
そんなわけで治療についてはなんとか前向きに取り組めているので今日のメインは父の話。
年末に亡くなってしまった。81歳で糖尿病の合併症から歩けなくなり要介護4と言う状態だったので世田谷の民間の高齢者施設に入居していた。
週に1,2回は会いに行っていて、亡くなる3日前も会いに行き、一緒にフルーツを食べたばかりだった。
あと5,6年は大丈夫だと思っていたのであまりにあっけなく行ってしまった。
骨になった父を見て、もう本当に何も発言できないのだな。そして何もしてあげられない。
ずっと帰りたいと言っていた家に帰れたのがお骨じゃどうしょもない。
もっと何かしてあげられなかったのか。会社を辞めてでも介護をすべきだったのではないかと、猛烈な後悔が襲い、そして死んだら本当に何も取り返しがつかないことにショックを受けていた。
カウンセラーさんに話すと、要介護4での自宅介護というのはなかなか難しかったのではないかと言われた。
たしかに父は猛烈頑固でおむつをいやがり引きちぎって投げたり、実際わたしにおむつ介助のシーンを見られるのを嫌がったりしていたので、自宅は難しいと判断したということはあった。ケアマネや施設の人とも話し合い、自宅介護の難しさを確認していた。
そして父の家に帰りたい、という訴えも認知症があるので家に帰れば元の自由で楽しい生活を夢見ていたところもあり、実際の家族介護で自分も痛い思いをすることはあまり想定できていなかったかもしれない。
そう考えると施設もそこそこ高級できちんと医療的なケアや安全な介護が提供されていて父にとっては客観的に見てよい環境だったのではないか。
また施設にいるからこそ家族も優しい気持ちになり、マッサージをしたり絵をかいたりする時間を持てていたのかもしれない。
そして最後は家族の愛を感じて亡くなったのではないかと言ってくれた。
たしかにお骨となった父と「帰りたい」と言っていたという事実だけを見るともうれつな後悔とさみしさが襲ってきたのだけど、父は不幸ではなかったのかもしれないと思うことができた。
そう、客観的に見たら間違えた判断をしてはいかなったかもしれない。そして父の生き様をこれからも大切にしていくことで親孝行になるかもしれない。
そう思うと少し救われた。
私がガンと言う事実を知らずに亡くなったのはよかった。
最後のつらい宿題はね、もう免除してあげる。という神様のおつげかも。
母は「死ぬのは悲しいねえ。生まれるときは楽しいのに」と言っていた。
そう。人は出会うためにうまれた。
そしていつか亡くなる。切ないけど亡くなる。
わたしはいまだに夢で父が足が治って、前に逃げたインコも連れて家に帰ってくるという夢を見てうれしくなって起きたら、夢かあとなったことがある。
とても切ない。もう戻ってはこない。
しかし、栄枯盛衰の衰で咲くことができた花もある。父は一時はとても稼いでいたせいか母に偉そうな態度を取ることがあった。
基本的にはワガママでクセが強く父を好きになれない時期もあった。
でも衰の時期はとてもしおらしく母も「今のお父さんが一番好き」と言っていて、私も手をマッサージしてあげると父は涙を流した。
現役バリバリの栄の時期はみんなどこか父の顔色を伺っていてこんな優しい時間は流れなかった。
衰から完へ。それは完了のかんではなく完成の完。そんな気がした。
そして思い出や学びや生前の生きざまへのリスペクトというものは消えない。
いつかは衰に向かう。それは悲しいばかりではない衰の素晴らしさもあり役割もある。
そう、もう戻れないからこそ今という一瞬がどれほど大切かもういちどこころにとめて生きていきたいなあと思った。