もしも人生に勝者と敗者がいるのなら
もしも人生に勝者と敗者がいるのなら、私は間違えなく後者だろう。
40代、独身、病気、子どもの産めない身体、余命は10年を切る。
悲惨だ、悲惨すぎる。書いていても気がめいってくる。
こんな未来を誰が予想していただろうか?
小学生の時の私が今の自分をタイムマシンンに乗ってみたらなんていうかしら?
こんな未来は想像だにしていなかった。
私は小学校のころから「人生を勝ちに行く」ような子どもだった。
家庭は裕福。高級住宅街と呼ばれるまちに育ち、優しい専業主婦の母と良く稼ぎ責任感が強く愛情深い父。
時はバブル、追い打ちをかけるように家はますます裕福に。
海外旅行に進学塾、エレクトーン教室にブランド物の洋服。
自分で言うのもなんだけど、顔は結構かわいくてスカウトは何度もされた。
勉強もできた。
入った進学塾は途中入塾だったのにも関わらず成績は上々。
小4から将来を見据えていた。
大学進学率のよい中学がよいだろうと思い、遊びたい気持ちは抑え勉強した。今遊ぶよりも20年先を見据えたら勉強するほうが賢い選択だろうと思った。
いつだって「将来」を考えていた。
だれもがうらやむ人生だった。
そう、「途中までは」
先を見据えて精巧にテントの骨組みを組み立てていた。
後は帆を張るだけだ。
その矢先、落雷が落ちた。
目の前が真っ暗になった。
全てが崩れ落ちてしまった。
突然の「乳がん宣告、絶望のステージ3C]
仕事はのっていた。
昇格の話も出ていた。
結婚を前提に付き合おうと言ってくれている人もいた。
出産もギリギリ間に合う年齢だった。
これから帆を張れば後は完ぺきな船で航海をするだけだった。
その矢先だった。
全てを失った。
仕事や恋愛どころではなくなった。
治療がうまく行かなければ数年以内の命だろうと言われた。
抗がん剤治療で髪の毛は抜け落ち、顔はむくみ、大きいと言われていた瞳は隙間からなんとか世界を覗けるほどに細くなった。
卵巣機能は停止した。
子どもは産めない身体になった。
ただ家の中で呆然とした。
一つよかったのは「いつも将来を見据えて」いたので
貯蓄はたくさんあった。保険にも入っていた。
想像もしていない将来だったが皮肉にも経済的には困らなかった。
しかしたくさん泣いていっそ死んでしまいたいという思いに何度もかられた。
自殺しないために隣のカフェに毎日通った。
最初は何も目に入らなかった。
幸せそうなカップルや家族を恨めしい気持ちで見ていた。
そんな日が半年も続くとある日ふと気が付く。
コーヒーがいい香りだな、と。
次の日にもう一つ気が付く。
コップの水に差し込む太陽の光がきれいだな。と。
次の日は公園に足をのばしてみる。お花がきれいだな。
と。
足元で猫がミャ―と鳴く。
かわいいな。
「その子はね、ハナちゃんと言うんだよ」
いかにも「ダメンズ」という感じのおじさんが教えてくれた。
ハナちゃんは私を見ると逃げるが、おじさんにはすり寄っていく。
そうか、このおじさんは毎日ここに通っているんだな。
周りをみると同じようなおじ様たちが口々に愛猫の名前を呼び戯れている。
ときは平日の昼。
そうか、ここは「生活保護民」の憩いの場なのだと気が付いた。
それからわたしはその公園に通った。
「人生完全敗者」とでも呼ぶべきおじさまと同じく敗者の一員として猫を愛撫した。
目の前には大きな池があった。
光が反射してとてもきれいだった。
心地よい風が吹いた。
いつもはラッシュに揺られ職場では走り回っている時間だなあ。
こんなにもゆっくりと流れる時があるのを初めて知った。
人生を勝ちに行っていた自分だけど
不覚にも「負けるっていいじゃないか」と思えた。
死んでしまったら、
この木漏れ日も、子猫も、そよ風も、コーヒーの香りもない。
目の前に世界があること、それ自体、とても尊いじゃないか。
そう思える自分がいた。
いつも先々を計算して、「いまここ」はその途中経過にしか過ぎなかった私が「いまここ」をはじめて味わい楽しむことができた。
1年半かけて抗がん剤治療は終了した。
残念ながらリンパに散らばったガンは消し去ることはできなかった。
だいぶ小さくはなったのであとは「生きれるところまで生きる」ということになる。でも「生きる」って奇跡じゃないか。
仕事は復帰した。
残念ながら出世の話はなくなった。
でも毎日誰かの役に立てる仕事ができるって奇跡じゃないか。
前よりも仕事が断然楽しい。
この期に及んでイケメンで賢くて優しい彼氏ができた。
残念ながら将来を考えて付き合うタイプのひとではない。
でも今まで付き合った中では感じられない安心感や楽しさがある。
「結婚願望がない」このひとことで昔だったらぶっちぎってしまっていただろう。しかし死にかけたわたしとしては「好みのメンズと楽しい一日を過ごす」こと自体が奇跡なので何ら不満はない。
というか楽しみしかない。
前の私はいつもイライラしていた。
理想の未来を手に入れるためにいつも計算していた。
いつ仕事で認めてもらえるのか。
結婚するつもりがあって声かけているのか。
その先の未来はどうなのか。
そのために今すべきは何か。
いつも頭が忙しかった。
そんなわたしが「かけがえのない毎日」をかみしめて生きることができている。
人生に勝ち負けがあるのなら私は完全に「負け」だ。
でもそれは世界一の「負け」だ。
この負けている人生を大いに楽しんでやろうじゃないか。
そしてたまにはまたおじさまたちと猫のはなちゃんを愛でに行こうと思う。