別れのとき
2週間前、父は天国へ行ってしまった。
老人ホームのベッドで家族に見守られながら。
今年のお正月は自宅で過ごせたけれど2月には再び入院。退院しても一人暮らしはもう無理なので、5月からは24時間看護師さんのいる施設で暮らしていた。
腎不全の数値が悪化しても人工透析はしないこと
延命措置はしないこと
父はそう決めていて、わたしたちも父の意思を尊重すると決めていた。
9月の上旬に施設から『食べられなくなった』と連絡があり、その後ちょっと食べられるようになったけれどまた食べられなくなり、10月に入ってからは肺炎で高熱が出て、みるみる弱ってしまった。
『夜中にタンがからんで苦しそうなので吸引しました。高熱で呼吸も苦しそうなので酸素マスクを着けます』との知らせを受けて、老人ホームへ駆けつけたときには父はまだ意識があり、みえが来たよと声をかけたら返事をしてくれた。仕事帰りの姉が到着したときには笑顔をみせてくれた。
父は呆けていなかったので、意識が薄れていくなかで死期がせまっていることを悟ってしまったかもしれない。ふだん面会はひとりずつ15分以内ときまっているのに娘が3人そろってずっと傍にいるのだから。
ああ俺もいよいよか、と。
延命措置をしないと、本人も見守る周囲の人間も、とても辛い思いをする。
父は呼吸が苦しそうで、熱が高くなると眉間にシワを寄せてますます苦しそうな顔をしていた。
ずっと口を開けて息をしていたから、のどもカラカラだったはず。けれど父は水を飲む力さえ残っていなくて、冷たいお水を飲ませてあげられなかった。
意識レベルが下がって、別れのときがやってきた。
わたしは父と握手していた。
妹は父のお腹に手をあてて脈をとっていた。
姉は父の頬をなでていた。
お父さんの呼吸、止まっちゃったね。
お父さんありがとう。お疲れさまでした。
静かに息をひきとる、というのを絵に描いたような最期だったと思う。
だけどほんとうは家の畳がよかったはず。
ごめんねお父さん