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100キロや100マイル、250キロのようなとてつもなく長い距離を一人で走ると思えば辛くて苦しい。


心が折れることもしばしばだろうし、途中でやめてしまいたくなることがあって当然だ。


だが、共に走る仲間がいれば、そういった辛さや苦しさもシェアしあえるし、共に交わす言葉があれば、楽しい会話で気が紛れて、足や体の痛みも軽減されるかもしれない。


砂漠や熱波の平原を一人で走っていた時にしばしば思わされたのは「誰でもいいから話し相手が欲しい」ということだった。


時には40度を超える熱波と、1日走っても1週間走ってもほとんど変わることのない単調な風景、地平線に向かって延々とまっすぐ続く一本のハイウェイ、空腹と渇き…何をとっても楽しいことなんてひとつもない。


「何でこんな馬鹿げたことをひとりやっているのか?」


そういったジレンマは絶えない。絶えず自分に問いかけ、その問いに真面目に答える自分がいるだけ。

砂漠や平原で、一緒に走ってくれる人は誰一人としていなかったけれど、旅をバックグランドで支えてくれている人たちのことを頭に思い描きながら、心はいつも誰かと一緒に「共走」していたからこそ、ゴールへたどり着けたのだろう。

ニューヨークでもシドニーでもクライストチャーチでもパリでも、旅のゴールにはいつも待ってくれる人がいた。


そんな人たちに満面の笑顔でゴールする自分自身の姿を見せたかった。その一瞬のために僕は走り続けた。

この走りは、競わない争わない闘わないことが前提にある。ゆったりまったり、心の平穏を求めて走り続ける。記録よりも記憶に残る走りだ。

自分のために走るエゴな走りではなく、地球(世界)を意識して走るエコな走り。


宇宙の規模で考えるならば、僕らは一人じゃない。

「共存共走」

共に生きて共に走る…友がいて友と走る。そんな走りはランナーをいつも心穏やかにしてくれるし自然と笑顔が綻ぶ。

いつも心に留めておくべきことがある。
この地球のどこにいようと、僕らはいつも誰かとつながっている…ということ。

みんなとつながる、みんながつながる…それがPEACE RUN。

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