クリストファー・クロスを語る
クリストファー・クロスのファーストアルバム「南から来た男(1979年リリース)」は本当に完成されたアルバムだった。原題は”Christopher Cross”で彼の名前をそのままタイトルにしている。
デビュー作でありながら、1981年のグラミー賞の5部門を独占。特に主要4部門(最優秀アルバム賞と最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀新人賞)を総なめにしたのはグラミー史上初の快挙だった。
中でも一番響いたのは「セイリング」という曲。
ビルボード誌で週間ランキング1位を獲得した名曲。
ロッド・スチュアートも同じタイトルの歌を歌っていたが、どちらもしっとりとしたバラード。違うのはロッドとは異なる透き通ったハイトーンボイス、耳にすんなり入ってくる。まるで暑い日に飲む喉越しのいいフルーツスムージーみたいな快感。
まず思ったのは、どんな男がこんな美しい声で歌っているのか…?ということ。
のちに正体は明かされるけれど、この曲を聴いて彼女と二人部屋にいれば、ロマンティックなムードは最高潮に…。
このアルバムはマイケル・オマーティアンのプロデュース。アルバム全体のバランスもよく、バラードもスローなものもあればアップテンポのものもある。
彼は、AOR全盛期に最も親しまれたアーティストの一人だったのかもしれない。
同じくこのアルバムに収録されていたこの曲…
「愛はまぼろし」という邦題。
ドゥービーブラザーズのマイケル・マクドナルドのバックコーラスも渋い。声の質の異なる二人がコラボすると独特のムードを醸し出す。
「もうこれ以上どうしていいか分からないんだ…本当に何も言えない…ただそうするしかないんだよ」
形のない愛というものを追求すること…それは荒野で迷子になるようなものなのだろうか…。
「風立ちぬ」は松田聖子も歌っていたが、こちらは原題が"Ride Like The Wind"でまさに適訳。
当時ランニングしながらよくウォークマンで聴いていた一曲。歌詞自体はメキシコから国境を超えて逃げてきた男の物語を描いている。Wikipediaでは、彼がLSDを使っていた際に自然と歌詞が浮かんできたと言う。
次は、このアルバムに収録されたものではないのだけれど、映画「ミスター・アーサー」のタイトルソングとなった「ムーンライト・セレナーデ(1981年)」。
「君にできる最善のこと」というのが原題なのだが、あえて原題とは違う英語のタイトルをつけてヒットした珍しいナンバー。
バラードを歌わせれば必ずヒットする…そんな風にも言われていた。
マスクはさておき、アメリカ版小田和正のような甘い声…。
僕は当時、友人たちによくこの曲をカセットテープにコピーしてあげていた。
彼らはガールフレンドとしばしばドライブに出かけていたが、カーステレオでは必ずこの曲を流していたに違いない。夜の高速なんかを走るには最適なBGMとなり得るだろう。
80年代、古き良き時代の思い出の一曲…。
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1960年生まれの僕が20代を過ごした80年代。本当にいい時代だった。いろんなアーティストたちがいて、世界は素敵な音楽で満ちあふれていた。
どの曲にもそれぞれの思い出があって、その曲が流れていた当時のシーンやシチュエーションが今も懐かしく思い出される。
「彼女とよく通った喫茶店で別れを告げられた時に流れていた曲」とか、「彼女の部屋を初めて訪ねた際に、彼女が入れてくれた紅茶を飲みながら聴いた曲」というような、曲にまつわるエピソードが潜んでいたりする。
今はもう帰らぬあの時代に思いを馳せることが多くなった昨今。
人は長く生きすぎるといろんなしがらみがまとわりついてくる。そんなしがらみから解放されるために僕らは音楽を聴く。
あの世には何も持って行けないけれど、クリストファー・クロスは、あの世に逝く前にせめて聴いておきたいアーティストの一人である。