スペイン巡礼で見えるもの〜その1
現在私が走り歩きしているサンティアゴ巡礼路、実に多くの人が歩いています。わざわざ800キロもの長旅を歩くために世界各地から人々がやってきます。それも、重い荷物を背負って、時には悪路も進まなくてはなりません。暑さと渇きに苦しめられることもあります。
ここではいろんな風景が見られます。険しい山々の中で、自分がとてつもなくちっぽけに見えることがあります。放牧地帯で牛や馬がのんびり草を食べている場面にも出くわします。広大な麦畑が地平線を描くような風景の中も歩きます。
そんな中で、自分という「個」に向き合う場面が多々あります。
「今まで自分はなにをやってきたのだろう?」
「これから自分はどう生きていけばいいんだろう?」
人は誰しも悩み苦しむ動物なのかもしれません。
でも、自分の中にあるモヤモヤをいったんスッキリさせてしまえば、本来あるべき自分自身と向き合うことが大切なんだということがわかります。
このサンティアゴ巡礼路を歩いている人たちは、本当にごく普通の人が大半のようです。
どう見ても普段運動なんてすることもないような大柄な体型の方も少なくありません。年齢的には60~70代の方々が多いようにも見えます。
そうなんです。サンティアゴ巡礼路は、単にエクササイズとして歩くためだけのものではないのです。サンティアゴ巡礼路を歩く人はアスリートである必要はありません。
誰でも歩ける人なら歩くことができるし、途中で無理だと感じたら、やめることもできます。続きはまた次回に歩けばいいのです。
タイムリミットなど何ら制限のないウルトラマラソンみたいなものかもしれません。ただし、自分の必要な荷物は自分で運ぶことが原則。エイドステーションのように途中で飲んだり食べたりする場所もあるし、途中で写真を撮ってSNSに投稿するというのも誰もがやっていること。
道中でいろんな人と出逢い、語らい、お互いを知る、それもまた大いに意味のあること。私にとってはすべての出逢いに意味や理由、価値があると信じています。
このサンティアゴ巡礼路を歩くことに「チャレンジ」などという大層な名前をつける必要もないのだということを、きっと歩いている人たちは追って感じることでしょう。
もちろん大変なのは大変。でも、それは日常生活の中で起こりうるいろんなトラブルやハプニングと同じ。まったく歩くことに縁のなかった人々が、日々歩き続ける中で、自分の内に秘められた可能性を知ることができるのもサンティアゴ巡礼路ならでは。
一歩一歩の歩みの中で、今感じること、今見えるもの、今聞こえるものが大切。
今という時間しか生きられない私たち人間の、一番大切な「今」という瞬間をまずは自分で楽しみ、そしてそれをそばにいる誰かと分かち合えたら、なお素晴らしいんだということです。
他愛もないことをあれこれ書きましたが、これまでのPEACE RUNの旅で私が体験しているのと同じことを、ここサンティアゴ巡礼路で歩いている人たちもきっと感じてくれているんだろうと思うと、ふと笑みがこぼれてしまいます。
人生は冒険、でも、誰にでもできる冒険がきっとあります。
日常をちょっと抜け出して、非日常が連続する素敵な場面に一歩足を踏み入れてみませんか?
スペイン巡礼で思ったことを走り書きしてみました。
*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のメルマガ「週刊PEACE RUN」の記事をリライト