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走りの意識の変化

速く走るだけがランニングではないということはたびたびいろんな場面で語っている。

おそらくは40〜50代頃のどこかで、タイムも記録も頭打ちになって、速く走ることが辛くなったり、走る旅に遅くなり、記録も狙えなくなってきたり、あるいは故障や怪我で悩まされたりすることで、自らスローランナーになることを心に決めるというようなことが起こる。

「遅いランナーは恥ずかしい」とか「速く走るランナーだけが優れている」とかそんな風に考えるランナーはいるかもしれない。

過去にブログでも書いた、ジョン・ビンガム氏の「走る人は皆ランナー」というお話。

走るのであればあなたはランナー。

どれだけ速く走ろうが、

どれだけ遠くまで走ろうが

問題ではない。

今日が走る第一日目であろうと、

長年走り続けていようと

それも問題にはならない。

合格するべき試験もないし、

取得すべき資格もない、

会員証だって必要ない。

あなたはただ走りさえすればいいのだ。


自分自身も40代まではタイムや記録にこだわって走り続けていたが、走って旅をすることの方が面白くなってPEACE RUNをスタートさせた。

同世代の同じ志向のランナーたちが集まってランイベントもいろいろやってきた。

傾向としては、スピードやタイム・記録にこだわらなくなったランナーが流れていくのおはウルトラマラソンかトレイルランニング。

長く走るか自然のフィールドを走るか、あるいはその両方を好むランナーも多い。

ウルトラトレイルで100マイルを目指すランナーが増えているのもうなずける。

フルマラソンとはまた異なる、旅の感覚でできるだけ長い距離を走ることに意識を向けることで、マインドフルネスを追求する。

速く走ることを否定する訳ではないが、速く走るよりも楽しめる、より走ることの意義や価値を見出せる、そういった思いを持つのであれば、どんな走りでもいいのではないかと思う。

怪我や故障をすることなく、いろんな仲間と交流しながらより自分の走りの世界を広げていくのはランナーとしてとても意味のあることではないだろうか。

日本100マイルクラブ代表の阪本真理子さんのことばも挙げておく。

速い人が素晴らしくて、

遅い人は劣っているという誤解をしている人が多い。

人それぞれいろんな目標を持っている。

突き詰めれば、走ることは手段であって、

本当の目的は楽しむことなんじゃないかな。


その本当の目的「楽しむこと」。

我慢や犠牲はいらない。辛く苦しいものである必要もない(それらを楽しむのであれば別だが)。

とことん楽しもう、自分だけの走りを。

〜アドヴェンチャー・ランナーのメルマガ「週刊PEACE RUN(第668号)から引用

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高繁勝彦(アドヴェンチャー・ランナー)
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