ミッドナイト・サン・イン・アラスカ(アラスカの沈まぬ太陽)
〜米・アラスカ州フェアバンクス~北極圏(1994年6月:アラスカ北極圏横断+カナダ横断自転車旅行)
風はいつになく生温かく、それでいて妙に肌になじんだものだった。きっとこれは雨が降る前兆なのだ。
巨大で獰猛(どうもう)な蚊の群れが後から追ってくる。一度刺されたら3~4日は痒みが消えず腫れが残るのだからたちが悪い。
アラスカで凶暴なのはグリズリーベアよりはモスキート(蚊)の大群。ジーンズの上から血を吸ってくるし、一度血を吸われると1週間以上痒みが続く。血を吸われすぎて出血多量になりかねないほど。
太陽が沈まないので湿気を帯びたこの暑さはやや不快である。ペダリングを止めると汗がジト-ッと腋の下にあふれ出てくる。その汗の臭いを嗅いで蚊がまた集まってくるので、虫除けスプレーをシューッと体にひと吹きした。しかし、それもまた汗ですぐ流れてしまう。悪循環とはこのことである。
地球のてっぺん (Top of the world) に向かって僕は走っていた。
なぜここまで自転車でやってきたのだろう?
酔狂と言われればそれまでだが、僕にはひとつのポリシーがあった。食糧と水と鋼(はがね)のような精神力があれば、道の続く限りどこまででも行くことができるということをただ証明したかっただけなのだ。
ダルトンハイウェイはアラスカ州内を陸路で北極海に抜ける唯一の道だ。
フェアバンクスから北へ400キロ、北極圏よりもさらに北へ190キロ、世界最北のトラックステーションがあるコールドフットを僕は目指していた。
道は時として強烈なローリングヒルとなり、登っては下り、下っては登るという、まるで僕の不合理な人生を象徴するかのようにうねりを繰り返していた。
砂利道でタイヤを取られ、小石がゴツゴツ、でこぼこだらけの坂道は自動車でも走行困難な道だと思われる。
熊と、18輪のトラックトレイラーと蚊がもっぱら恐怖の対象だった。
飢えたグリズリーベアの餌食になるか、全長約20メートルのトレイラーにはね飛ばされるか、巨大な蚊に血を吸われて出血多量で死ぬか、さもなくば貧血で倒れるか、いずれにしてもそんな惨めな最期を遂げるのだけはごめんこうむりたい。
湿度が高いので気温が25度を少し越えるだけで蒸し返しを感じるのだ。24時間沈まぬ太陽は一日中走り回っているものにはこたえてしまう。頭がクラクラしだしたら要注意、熱射病にだってなりかねない。
ユーコン河を越えた。一歩ずつ北極圏に近づいている。どんなに道が険しくても、前進している限りゴールから遠ざかることはない。ペダルの1回転が僕の夢に向かって前進しているということなのだ。
舗装路であれば少しはましなのだろうが、でこぼこのダートをかなりの荷物を積んで走るのは危険だ。石のカドにタイヤをぶつけてチューブがバースト(破裂)してしまう恐れもある。路面に気をつかいながらも、体力の限界が近いのを感じる。
強烈な坂道で土を盛っただけの柔らかい地面にタイヤが埋まり、まともに進めない。ペダルを回せないレベルにしばしばなってしまう。何度も心は折れそうになって自転車を押す(実際心は折れっぱなし)。
粘土質の土だとなおタチが悪い。タイヤだけでなく自転車のあちこちにくっついたまま固まってしまうと瀬戸物の様になってなかなか取れなくなる。
これらの道は半年近くも続く冬の間、真っ白な雪の下に埋もれて、春が来るまでは決して太陽の光にさらされることもないのだ。そして、夏になれば太陽は沈まず白夜(びゃくや)の日々が続く。
永遠という時間があるとしたら、それはこれらの大地を育んできた目に見えない力の中に存在しているのだろう。
僕はそんな静寂の時間の中にそっと含まれるように、ゆっくり、ごくゆっくりと前進している。
6月16日、午後7時10分、最後の長い登り坂を越え、右手に“ARCTIC CIRCLE”の標識が見えてきた。すぐ上には広場がある。北緯66度33分、ついにここまでやってきた。間違いなく北極圏に入ったのだ。
僕は北極圏を示す看板の前で記念撮影した後、ブッシュ(茂みの中)でテントを張った。
アラスカの沈まぬ太陽はまる一日かけて東から西へ、ただ水平に移動する。
時間は流れているのだろうか?それともどこかある場所でずっと蓄積されていくのだろうか?
僕は酔った頭でここまで走ってきた道のりを思い返し、そしてこれからたどっていくであろう道のことを考えた。
時間はゆったりとしたユーコン川の流れのように、静かによどみなく流れていた。
そんな時の流れに身をまかせてしまえば、僕はこのままどこへでも行けそうな気がした。
人力で北極圏を突破すると言うのは、ある意味で命懸けとなる。ほんのちょっとした気の緩みが死につながる。そういったギャンブル的要素もまた楽しめれば本物のアドヴェンチャーだ。そんな風に考えれば、僕も一人前のアドベンチャーサイクリストなのかも。
食糧と水を含む50キロあまりの荷物を自転車に積み、一本の道をただひたすら北へ、地球のてっぺんを目指した。ただ走り、腹が減ったら食べ、渇けば飲み、眠くなったら眠る。人生はいともシンプルであった。
願わくば、いつかまた走りたい、あのダルトン・ハイウェイ…次にやるなら間違いなくランニングだな。
アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のメルマガ「週刊PEACE RUN」(第474号) シリーズ「PEACE RUN~人・町・風景」から(一部リライト)