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ホノルルマラソン回想

12月8日(日本時間は9日)はホノルルマラソン。

日本との時差はマイナス19時間のハワイで開催される都市型マラソンのレジェンド的大会。

1973年が第1回大会で今年で52回目。ニューヨーク、シカゴ、ボストンに次ぐ全米で第4位の規模を誇る大会。

過去最高の3万5000人のランナーが参加するが、その約半数は日本人ランナーだという。優勝者の賞金額が2万5000ドルというのもすごい。

バブルの時代、ハワイは日本人が訪ねる最も人気の観光スポットだったと思う。芸能人たちが年末年始を過ごす場所としてもよく知られている。

1988年を皮切りに過去に5度走ったホノルル。

自己ベスト2時間52分台のタイムで人生初のサブスリーを記録したのも2度目のホノルルだった。

ちなみにこの3ヶ月後の篠山ABCマラソンでは、気候もコースもハワイとは全く異なるのにホノルルのタイムを5秒縮めて生涯自己ベストを記録した。


まだ東京マラソンなどの都市型マラソンが日本では開催されておらず、第一次ランニングブームの当時はホノルルマラソンが市民ランナーの憧れの大会でもあった。

朝5時、まだ日の出前の暗い中でアラモアナ公園前をスタート。

12月とはいえ気温は高い。日の出前の時間は多少涼しくても、日が昇れば一気に気温も上がる。涼しい内に距離を稼いでおかないと後半できっとペースは落ちる。

先頭から最後尾まで1キロ近くは大通りがランナーで埋め尽くされていた。

号砲とともに花火が打ち上げられ、あちこちから歓声が聞こえてくる。

暗闇の静けさの中で聞こえてくるのは、ランナーの足音、そしてランナーのスッスハッハという息遣いだけ。

ダウンタウンはクリスマスのイルミネーションが灯されたまま。

ダイヤモンドヘッドを左手に見ながら、右手には太平洋。東の空が白み始める。

海からじわじわと昇ってくる朝日。ランナーたちにも朝が訪れる。

コースはハイウェイ上を通り、ハワイカイという高級住宅街で折り返し。

復路では住宅の前でバーベキューをしている人たちもいて、ランナーにビールを振る舞っている様子も見られる。

折り返してくるトップ集団とすれ違うのもハイウェイ上。

過去5度のレースでは大抵ケニアやエチオピアのトップランナーたち。

脚が長く、カモシカのように飛び跳ねるようにして走っていく。ストライドが異常に長く見えたのが印象的。1歩足を出せば3メートルほど進んでいるのではないかと思われた。


シーサイドコースで湿度も高く、12月とはいえ汗はとめどなく流れる。潮風だけが心地よい。

エイドステーション(給水所)では水を含ませたスポンジをもらえるが、ドリンクは水しかなかった。

毎回地元の学生ボランティアたちが多く参加していて大会を盛り上げてくれている。

フラダンスを踊る沿道のボランティアたち、太鼓を叩いて応援してくれる地元の人もいてとても賑やか。

復路のダイヤモンドヘッド付近が一番辛いところ。最後の峠越え(登り)が待っているのだ。

ただ、登り切ればあとは下るだけ。

圧巻だったのはラストハーフマイル(800m)。

ゴールのあるカピオラニ公園が見えてくるとにわかに人の群れで賑やかになる。

直線道路の両脇には応援の観客がずらっと続いていて、その拍手や声援の凄さに腰を抜かしそうになった。アメリカンホスピタリティというものを身を持って感じさせられたのだ。

ゴール直前に"Katsuhiko Takashige from Japan!!"というアナウンスが聞こえてくる。沿道の応援に圧倒されながら、笑顔でゴールに向かうのは、まるでトップランナーになったかのようでとてもエキサイティング。

当時、日本の大会ではこんなゴールはまず経験できなかった。

こんな大会を日本でも作っていこうということで誕生したのが東京マラソン、そして以下全国主要都市の都市型マラソンにそんな思いが受け継がれていったのだろう。

ちなみにホノルルマラソンは2007年に東京マラソンがスタートするまで日本人が最も参加する大会だったらしい。

ゴールラインを越えてすぐに、貝殻で作られたペンダントを首にかけてもらう。これが完走賞でもある。

過去の大会でもらったメダル

それまでの日本の大会では経験したこともなかったような劇的なゴール…やはりハワイまで来てよかった…と実感させられた。

レースの翌朝、貝殻のペンダントを首にかけ、フィニッシャーTシャツを着て街を歩いていると、地元の方から「おめでとう」と声をかけられたりしたことも懐しい。

1988年の公式Tシャツ

最後に走ったのは1993年だったか。

そもそも今は円安ドル高で、とてもじゃないが国外に出るのは難しい。

参加されているお友達もいるのだが羨ましい限り。


いつかまた6度目を走ってみたいホノルル。

ゴールは笑顔で…という思いは、初めてホノルルを走った時からの僕のポリシーでもある。

のちに送られて来た完走証:ちなみに人生初のサブスリー

*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のメルマガ「週刊PEACE RUN(第660号)」掲載文をリライト
http://archives.mag2.com/0001510910/

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高繁勝彦(アドヴェンチャー・ランナー)
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