小山田圭吾インタビューの検証

小山田圭吾氏の「いじめ問題」に関しては、すでにさまざまな言説が公開されました。ですが、『ロッキング・オン・ジャパン』および『クイック・ジャパン』の原文に即して、そこで本当に何が言われていたのかを――是非善悪の判断をいったん棚上げして――整理するものがまだありません。私がこの文章で試みるのは、そういうことです。

以下の検証では、小山田氏が話を〈盛って〉いたか、インタビュアーが話を〈盛る〉ために小山田氏の発言を誇張したかどうかには踏み込みません。その点を解明するには、小山田氏自身に率直に語っていただくしか方法がないでしょう。以下の文章で私が付けるコメントは、あくまで「小山田氏は/インタビュアーは……と言って/書いている」という、発言の事実のみを指摘するものです。

『ロッキング・オン・ジャパン』の記事に関しては、万引きといじめに関連するページしか閲覧しておりません。『クイック・ジャパン』の記事は、全文を通読しました。この点、あらかじめお断りしておきます。なお、『クイック・ジャパン』からの引用にはページレファレンスが付してあります。

『クイック・ジャパン』インタビューには、長谷川氏・朴氏 (ともに仮名) に関するエピソード、近隣の養護学校の生徒たちに関するエピソードも含まれていますが、それらは以下の文章では考察の対象としておりません。沢田氏・村田氏 (ともに仮名) と小山田氏の関係を検証することで、本稿の目的はほぼ達せられると考えるからです。

1. 『ロッキング・オン・ジャパン』平成8年1月号 (1994) 山崎洋一郎編集長によるインタビュー

1.1. 万引きについて

・「調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所みたいなの」における和光の生徒たちの万引きがいつからいつまで行われたものであるか、小山田氏は語っていない。

・カーステレオを盗んだのは小山田氏とは別の生徒。ただし、「僕はそん時には居なかったんだけど」という部分から、「そん時」以外の機会に小山田氏は万引きを働いたか、少なくとも万引きの現場に居合わせたものと思われる。

・被害総額が100万近くになったというのは、和光の生徒による万引きの被害額の総額であり、小山田氏が一人でそれだけの万引きを働いたわけではない。


1.2. いじめについて

・インタビュアーの「で高校は」という文言で話題が次に移っていることから、小山田氏が言及しているいじめは中学時代までのものと推測される。

・「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」といういじめに関しては、小山田氏は「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ。僕はアイディアを提供するだけで(笑)」「『こうやったら面白いんじゃないの?」って(笑)」と述べ、実行犯ではなくアイディアの提供者だったと主張している。

・『ロッキング・オン』のインタビューでは、「全裸にして紐を巻いてオナニーをさせた」「食糞を強要した上にバックドロップした」といういじめのアイディアを提供したのは小山田氏だったということになっている。『クイック・ジャパン』では、この点に関して発言が異なる。

・『ロッキング・オン』インタビューでは、被害者の人数・名前は明らかにされていない。

2.『クイック・ジャパン (Vol. 3) 1995/7/1』村上清氏によるインタビュー。村上氏による文章とインタビューが交互に現れる構成。

2.1. 沢田氏 (仮名) について

・沢田氏が転校してきたのは小学校2年生のころ (055)。

・小山田氏が沢田氏と太鼓クラブで一緒になったのは、小学校5年生のころ。「毒ガス攻撃」(段ボール箱に沢田氏を入れてガムテープで密閉し、空気穴を空けて黒板消しをバタバタやる) や、跳び箱の中に入れる、マットを巻いた上からジャンピング・ニーパッドをするなどの「実験」(057) が行なわれたのは小学校5年生から6年生にかけてと推測される。小山田氏が実行犯の一人だったのか、アイディア提供を担当したのかはインタビューからは不明。

・中学校ではクラスが離れ、高校でまた一緒になった (058)。

・中学校以降は、小山田氏は沢田氏に対する肉体的ないじめに関わることはなくなった。「どっちかっていうと仲良かったって感じで。いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから」(057)。沢田氏の感じについての知識や、学校の名簿を片っ端から暗記する能力は「凄い」と思うようになっていた (057)。沢田氏の下半身を露出させて廊下を歩かせるなどのいじめも行なわれていたが、そのころの小山田氏は、それを見て笑いつつも「ちょっとそういうのはないなー」と思っていた (059)。

・高校で、小山田氏は「沢田」と名前を書いた箱のティッシュを、首に掛けられるようにして沢田氏にプレゼントした。ただし、休み時間や休日に一緒に遊ぶようなことは決してなかった (060)。

・一方、ティッシュのエピソードに続けて、「何かたまに、そういうのを『みんなで見に行こう』『休み時間は何やってるのか?』とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とか含めて三、四人ぐらいだったけど、[図書室に] 見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。」(060-061) と小山田氏は語ってもいる。これがいつのエピソードであるのかは確定できない。

・高校くらいになると、小山田氏は沢田氏に対して「なんでコイツはこうなんだ?」(069)という疑問を覚えるようになっていた。しかし、「その深いとこまでは聞けなかった」。なぜならば、「なんか悪くて聞けなかったっていうよりも、僕がそこまで聞くまでの興味がなかったのかもしれないし。そこまでの好奇心がなかったのかも」(070)。

・小山田氏が沢田氏から年賀状をもらったエピソード (057-058) は、おそらく高校のころか。

・卒業式のときに小山田氏は沢田氏に声をかけ、「ボランティアをやりたい」と言った沢田氏に「おまえ、ボランティアされる側だろ」と言った。ただし、インタビュー時点において小山田氏は沢田氏の「ボランティアをやりたい」という希望を「いい話」と表現している (071)。

・インタビュー当時、小山田氏は沢田氏にもう一回「ちゃんと話したい」と思っている。ただし、「結局一緒のような気もする」とのこと (071)。

2.2. 村田氏 (仮名) について

・小山田氏が村田氏とクラスが一緒になったのは中学校のとき (062)。

・中学校時代、小山田氏のクラスの生徒たちは、村田氏を掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒し、泣き出してロッカーを中から叩く村田氏がうるさいのでみんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした。小山田氏のコメントは「それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。"毒ガスもの"として(笑)」というもの (062)。小山田氏が実行犯なのか、アイディア提供係なのかはここでも不明。

・修学旅行のときに、同室の生徒たちは村田氏にブレンバスターやバックドロップを掛けた。「それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、"ガ~ン!"とかやってたんだけど」(063)という文言から判断すると、これには小山田氏も実行犯として加わっていたらしく思われる。

・村田氏を裸にして洗濯紐で縛り、オナニーを強要したのは、留年して小山田氏らと同学年になっていた先輩。小山田氏のコメントは「なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか」(064)。

・『ロッキング・オン』では「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」といういじめのアイディア提供者は小山田氏ということになっているが、『クイック・ジャパン』では、バックドロップのエピソードは食糞強要から分離され、裸にして紐で巻いてオナニーをさせたのは先輩の発案・実行にかかるものとされ、食糞強要のエピソードは登場していない。

・インタビュー当時の村田氏がパチンコ店の住み込み店員になっているという話を聞いた小山田氏の反応は「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな。いわゆる……根本(敬)さんで言う『いい顔のオヤジ』みたいなのに絶対なるタイプって言うかさ」「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、絶対昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)。『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうとおもうんだけど」「村田とは別に、あんま会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う」 (以上すべて068)。

2.3. インタビュアー・村上清氏のコメント抜粋

・「僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめられっ子に感情移入する事は出来る。でも、いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテイメントだ。『ディティール賞』って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし。
「去年の一二月頃、新聞やテレビでは、いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。『コメンテーター』とか『キャスター』とか呼ばれる人達が『頑張って下さい』とか『死ぬのだけはやめろ』とか、無責任な言葉を垂れ流していた。嘘臭くて吐き気がした。
「それに、いじめた側の人がその後どんな大人になったか、いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、これもほとんど報道されていない。
「誰かこの観点でいじめを取り上げないかな、と思っていたら、昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン』の小山田圭吾インタビューを思い出した。」(052-053)

・「以上が2人のいじめられっ子 [沢田氏・村田氏] の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。」(064)

・「今回僕が見た限りでは、いじめられてた人のその後には、救いが無かった。でも僕は、救いがないのも含めてエンターテイメントだと思っている。それが本当のポジティヴってことだと思うのだ。
「小山田さんは、最初のアルバム『ファースト・クエスチョン・アワード』発売当時、何度も『八〇年代的な脱力感をそんな簡単に捨てていいのかな』という趣の発言をしていた。これを僕は、"ネガティヴなことも連れて行かないと、真のポジティヴな世界には到達できない"ということだと解釈している。」(071)

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