足りないのは夢
わざわざお金に困る状況にしてまで、僕は何を叶えたいのだろう。
かつては高級仕立て服や世界一のネクタイ、靴、イタリア製のバイク。
皆が「すごいね」とほぼ口をそろえることを計算できるモノで完璧なまでの要塞を自分自身に施した。
ひと時の絶大な快楽から、永遠に続くかのような虚無感に苛まれて、僕は一体どこに存在するのか・・・?時を追うごとにその問いの波紋が大きくなって、ついには就業意欲を完全に無くして半年以上の引きこもり生活。
絶望感と虚無感の果てに、ついにメンタルクリニックの門を叩く。
診断は「自己愛性パーソナリティー障害」
ようやく教えてもらえた僕の正体の一つ。ここから少しづつ元気を取り戻して、4月には高級自動車の販売の仕事に就く。思いっきり自分を最高に仕立てて。
しかし、やったことのない業務の連続と、完全なまでのロジカル&システマチックなビジネスモデルの中で息苦しさが日に日に増して、仕舞いにはアストンマーティンを回送中にカーボン性のバンパーを破損させる事故を起こしてしまう。まるで自分の車のように振る舞おうとしてしまったおごりが油断を生んだことと、日々の自分の評価が芳しくないことをビシビシ感じとれてしまった恐れが、自分でも信じられない事態を導いてしまった。
完全に信頼を失って、辞職。
その時、空から
「人生を考え直しなさい」
と声が聞こえた。
去年と違って、僕は働きたかった。もう自分を偽りたくない、ありのままの自分で、こんなにどうしようもないやつだけど、どうですか!?と
心の障害のことも全て、面接で初めて会う店長に打ち明けた。自分が初めに信じる、賭けようと。
それが今バイトをしている 1つ のところだ。
それでも日々の糧が足りない・・・。いづれ貯金も尽きる。
そんな時に観た「全裸監督」「娼年」
ありのままの姿、人間の存在そのもの自体が尊くて、芸術的なものだったんだと31年も生きて来て今頃気づく。
それがこのnoteを付けるきっかけとなった ヌードモデル 。
正直、完璧な要塞を築くしか方法を知らなかったあの時と比べると、
僕は生きている!!!
命の実感が脈々と感じられている。
そこに付き纏う「お金」という現実。
囚われを脱するには今が囚われていることを認めるしかない。そう認めよう。だからこそ、僕は未来に自由を掴みたいのだ。
お金が足らなくても、命の実感が心を温かくしてくれている。
それならば、僕は夢を掲げようよ!現実の苦しさを認めているのならば、一瞬一瞬過ぎていくこの時を大きな宝物にしたいんだ。一瞬一瞬を積み重ねていきたいんだ。
虚無感も絶望感も、それは全て「夢の不在」から。
僕は夢を掲げていいんだ。
足りなかったのは「夢」だった。
去年より、なぜか綺麗に見えたのだから、間違いない。