Profile 変容の旅を共にいたしましょう
青木 麻奈 Mana Aoki Peace Makin'Labo 主宰
1967年 東京生まれ。
日本におけるフィドホーン財団リソースパーソンの一人
フィンドホーン日本語体験週間オーガナイザー
Innerlink社認定トランスフォーメーションゲーム上級ファシリテーター
フィンドホーンフラワーエッセンス認定プラクティショナ−
神楽坂の路地に立つリノベした古民家の一室、「間」Persimmon **と
国立を拠点に活動中。
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活動内容の詳細はこちら
Website: http://manahouse.jp/
Information&Blog: http://blog.manahouse.jp/
Transformational Coaching: https://transformationalcoaching.love/
「どうしたら、人は仲良く暮らせるのか。」
「どうしたら、私の住む世界は安全になるのか。」
この二つの問いかけが、Peace Makin’Laboの根っこにあります。
幼少期、緊張感の高い父の感情の糸が切れれば、大きな声で怒鳴り、時には暴力にまで発展した苛立ちとやり過ごしながら日々を生きる、というのが家族の苦心で、決して平和とは言えなかった家庭の中で育ちました。
家で根を詰めて仕事をしている父のエネルギーは圧倒的で、家族を養う為にがんばり、理想的な家庭を築こうとすればするほど、空回りするエネルギーは時に抗えない強さで家族へと向けられました。 上の姉兄から年が離れて生まれた末っ子である私は、幼いながらも、この中で生きるにはどうしたものかと感じていたと思います。
そんな中で、この二つの問いかけは、当たり前に、自然な形で幼い私の心の中に生まれました。
その後、11歳で両親が離婚、以後、母と共に二人三脚の母子家庭で成人するまで暮らしました。
何事にも前向きで好奇心おう盛な母のお陰で、二人の生活は楽しく、解放的な10代を過ごしました。解放されてどんどん世界を広げていく母と、これでいいと(恐らく)信じてきたものが崩壊し、寂しさの中に立つ父。バラバラになった家族の間で、心の中は複雑な想いが行き交い、必死に自分の立ち位置を見つけながら、なぜ人の心は変わるのかという問いかけとともに『心の世界』への関心がこの時期から始まりました。
まずは地球を歩いてみた
武蔵野美術短期大学の生活デザイン学科にて学んだ時代、恩師である「旅する建築家」故・鈴木喜一氏が授業の中で、ご自身が旅してきたインドの風景をスライドで映しながら「地球にはね、たくさんの時間が流れているんだよ。それを知らずにこのまま就職してもいいものかなあ?」という柔らかい呟きが耳から離れず、卒業後、一年半季節労働の住み込みで働いた後、14ヶ月にわたり、アジア、東アフリカ、ヨーロッパへ片道切符の旅に出ました。世はバブル真っ最中。同じ年頃の女の子たちはブランド品を買いに海外へいく中で、私は14kgのバックパックと共に真逆の方向に歩き出しました。
人の汗と埃にまみれて歩くアジアの町、美しく景観が整えられたヨーロッパの街、キリマンジャロの標高5000mの山小屋で朝日を拝み神様の存在を全身で感じ、地上では満点の星空の元、砂漠に寝っ転がり、世界には、私が想像もしていなかった人々の暮らしや、自然界の大きさがあることを体感。抱えきれない程の体験と刺激と共に帰国。家族と学校という小さなコミュニティから一気に「世界」へ飛び出した旅でした。
以後3年間、旅を通じて知り合った仲間とエコツーリズムを主題にした国際NGO立ち上げのPRパーソンとして、バリ、ネパール、タンザニア、ロンドン、パリ、バルセロナの拠点を回りながら、サポーターたちの賛同書を集めるという、一風変わった「旅」を経験。ただ旅をしていただけでは出会えない、世界の「プロフェッショナル」に出会い、その寛容さを知る時間が与えられました。
しかし、26歳の時、拡大していくプロジェクトの方向性に対し、自分自身のコミットメントの限界を感じ、その活動から身を引き完全帰国。移動を重ねる旅はここで一旦終了。全てがゼロになりました。
挫折、混沌、そして自立への旅
帰国後、当時自然食品店を営んでいた母を手伝いながら、燃え尽き症候群による無力感と、何をしていいかわからない恐怖を感じる時間を過ごしました。ここ数年の自分自身の許容量を超えた体験を消化する時間であり、また、自分自身の共依存的な傾向にも向き合う中で、専門家のアドバイスを受けて実家を離れ、1からの起死回生を計る「旅」が始まりました。
アルバイトで生活を繋ぐ中、不思議なご縁で28歳の時に無形重要文化財大倉流大鼓方大倉 正之助氏と出会い、事務所の職員として共に仕事をさせていただきました。3年間、伝統的な能公演の制作アシスタントや日本の伝統芸能と世界の民族音楽とのコラボレーションといった異色のイベント制作に携わり、日本の「藝」の根底に流れる精神世界、東洋の美意識、また伝統的な世界の斬新さと創造性に触れる貴重な時間となりました。
30歳を前に、改めて自分自身の成長を進め、経済的な基盤を築いていく為に、外資系企業の在日代表の秘書となりました。
会社員にはなるまい。というのが20代の私の信条であり、このときの私はもう一つの「挫折」を感じていました。 しかし、実際に働き始めてすぐに、それは浅はかな色眼鏡でしかなかったということに気づきました。
当たり前のことですが、「会社員」という人は存在せず、そこには一人一人の血の通う人々が働いており、何かすれば「ありがとう」と返ってくる。その「当たり前」があっという間に「思い込みの挫折感」を払拭したのでした。もちろん、会社それぞれのカルチャーはあり、全てに同じことは言えないかもしれませんが、少なくとも私が経験した「企業」での時間は、私に自己受容と自信を育んでくれる場となりました。 以後、45歳になるまでの16年間、秘書として幸せな会社員生活を送りました。
フィンドホーンのディーバと出逢う
安定した収入ときちんと与えられた「休暇」を利用し、再び旅をすることが可能になった頃、ニューエイジの道を果敢に歩き続けきた母から伝えられ、2004年に初めてフィンドホーンを訪れることが叶いました。それまで、人の心には関心があったものの、スピリチュアルなものには一種の抵抗感があったのが、ある時不意に「人はみんな死ぬんだ。」と気がついた時に、「そのことをもっと知りたい」思ったのが、人の肉体と心の先にあるスピリチュアルな世界にグッと意識を向け始めたきっかけでした。
様々な母のスピリチュアルなグループやワークの中で、フィンドホーンだけが直感的に「これ」と思い、早速、誰もが最初に受けるという「体験週間」に参加。初めて、みんなが集う「コミュニティーセンター」と呼ばれる建物の中に入った時「ここは私のホームだ」と直感的に感じ、みるみる身体と心がほぐれていきました。かつて、地球を旅した時の感覚が蘇り、ここには私が旅で出逢った「全て」があると感じました。
様々な国籍のメンバーと過ごした「体験週間」の一週間は、あっという間に、私の心の中の乾いたかさぶたがポロポロと剥がれるように、古傷が癒される時間でした。私がわたし自身を承認し、その大きな癒しとともに、10年間、心の中にしまい込んだ20代の「挫折感」を手放し、そして幼少期からの知らず知らずにしまい込んだ「とるに足らない小さなわたし」を抱くセレモニーとなりました。溢れ続けた涙と共に解放され、大きな大きな転換点となりました。その体験週間での「心の再起動体験」がその後、日本とフィンドホーンを繋ぐ、今の私の活動の礎となりました。
そして、人生後半の旅へ
震災を経験し、改めてこれから自分の人生の時間をどう創造していくか。
そんな、問いかけを胸に向かった2012年の体験週間でフィンドホーンを訪れていた時に、朝の散歩の中でいきなり
「Be Present」
と、しゃがれ声の年老いた女性の声が聞こえ、その意味はすぐにはわからなかったけれど、帰国後、現実が思いがけない方向に動き、タイミングを感じ、45歳で円満に退職。経済を優先して生きて来た時間を「人生の目的」を中心に置いて生きていくことを決め、2015年に「世界が平和になるために、一人一人が幸せに生きる実験場」として「Peace Makin'Labo」を屋号に活動を開始し、現在にいたります。
東日本大震災の直前に、長いこと音信不通となっていた古い友人である現在の夫と再会し、お互いセカンドハーフを共に生きるパートナーとして、2015年に結婚。現在は国立市にて2人暮らしをしながら、リアルにも「Peace Makin'Labo」を日々実験中。
「世界の平和は一人一人の内なる変容から始まる。」
私がフィンドホーンで受けとったメッセージはシンプルに、世界の平和は一人一人の内側の変容から始まる、ということであり、その為には、わたしという個性のありのままに在り、それを生きることだと思っています。そして「変容」とは、何か別の存在に変身することではなく、本来の自分に戻ること。社会を生き抜く為に身に付けた鎧や殻を脱ぎ捨てて、本来の自分を生きていくことだと思います。
身体感覚から始まる変容の旅
30歳でフラメンコと、40歳で全身を使って書く「書」・古代文字(甲骨文字)アーティスト集団「天遊組」と出会い、表現者としての旅もしてきました。踊ることと書くことは「身体感覚」から探求する心の世界を深める旅。そして、わたしから表現することで人生にエネルギーが循環することを味わっています。人目に触れるものを表す、ということは魂の自立にも通じるのです。
私がこれまで学び、精進して来た実感の中で、カラダで感じる感覚に真実があると確信しています。 20代の旅で体験したキリマンジャロやヒマラヤを歩く中で、30代から続くフラメンコを踊る、書を書くという中で、いつも身体を通して得た気づきは確実に根を張り、わたし自身の細胞となり、真実を伝えてくれたと思います。
歩く、踊る、歌う、描く、そして食べる。カラダを通して心を解放し、感じながら探求していくこと。私たち自身のカラダには全ての答えを導き出す知性が宿っています。
「カラダと心をつなぐ旅」。ここに、私の中でリフレインする問いかけの鍵があるとようやくわかってきたところです。
Peace Makin'Laboは、一人一人の「カラダと心をつなぐ」その旅を提供します。わたしがこの地上に降りてきたその「意図」を生きるために、あなたがあなたの「意図」を生きるために、そして、このガイアがその「意図」を表現していくために。生きることはいつでも実験であることを忘れずに。
わたし自身が積み重ねて来た身体、心、精神、そして霊性の統合の旅。それはまだ途上ではありますが、皆様の案内役として惜しみなく、この経験を分ち合い、響き合ってまいりたいと思います。
活動内容の詳細はこちら
Website: http://manahouse.jp/
Information&Blog: http://blog.manahouse.jp/
Transformational Coaching: https://transformationalcoaching.love/
よろしければサポートをお願いいたします。ピースメイキングな実験をこれからも持続していくために、皆様のサポートを励みにさせていただきます!