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天国にいる弟から25年越しのプレゼント~レトロ玩具を息子達へ~

1.私の育った家庭環境は、ちょっと変わっていた

・親指がない弟と過ごした日々

私の家族は、漁師の仕事をする両親・兄・そして「親指を持たずして産まれた2歳違いの弟」というそれぞれちょっと変わった5人家族だった。何が変わってるって父は外ではよくおしゃべりをするのに家では寡黙になる。
母は反対に人付き合いが上手くなく、家ではしゃべるのに外にでたがらない。
兄はなにかと私を馬鹿にしてくるので、嫌で大人になった今も話をしない。
小さい頃は弟が間に入り、なんとか遊んでいた気もする。

もちろん私ももれなく変わっていた。
木から落ちて頭がわれたり、泳げないのにいかだといかだの間をジャンプして遊んだり、落ち着きがなくずっと動き回る男の子と勘違いされるような子
どもだった。

見た目で、他の家族と特に違うのは肢体不自由児が家族にいるということであった。
でも、「親指がない」というと、不便そうだと普通は考えるが、一緒に生活をしていても不便さを微塵も感じたことはなかった。

とても前向きな性格で、加えて器用だったからというのが大きい。
難しい定置網の網を縫う父の仕事に行き、一緒に網を縫っていた。

そして、ちょっぴり、いやかなり生意気で(私もだが)血の気が多い父の性格をしっかりと受け継いだ私と弟はいつも喧嘩をしていた。

ただ外に出れば、あることないこという人もいた。
近所で遊んでいると他の子に「なんで指ないの?」と聞かれ、からかわれることもあった。
「子供は、なんて残酷なんだ」と母はよく話していたが、弟は嫌がる表情一つみせず堂々としていた。
「産まれつきなんだよ!なんで君は指があるの?って僕は聞きたい」と笑って返事をする姿に周りは圧倒されるばかりであった。

・急な出血~入院生活へ

ある日、いつも通りに遊んでいると弟が「鼻血がとまらない」と言った。
ぽたぽたと血がたれて母が必死にティッシュで止血しようとするも、どんどん出血する。
顔色もどんどん真っ青になり、しゃべらなくなった弟は母にだっこされ病院に向かった。その後、父と母だけが自宅に帰ってきて荷物を整理している。
幼かった私だが、とにかく大変な事が起きていることだけは分かった。
「迷惑をかけないようにしよう」と思ったのを覚えている。
そして、すぐに大きな荷物を抱え、自宅から車で1時間かかる病院に向むかった。

それから、約1年の闘病生活に入ることになる。
病名は、「急性骨髄性白血病」いわゆる血液の癌だ。
この病気は、急性期には感染予防が特に大事になるため、当時7歳だった私は小児病棟には入れなかった。
だから、闘病生活の様子をほとんど知ることはできないが、入院した日に私の手についた血液の感覚は今でもよく覚えている。

入院して1年弱たった頃だろうか、旅行なんて贅沢だといつも言っていた母が「みんなで家族旅行に行こう」と言い出した。仕事から離れることができなかった父だけは残り、初めての家族旅行へ向かった。

動物園や遊園地がない島で育った私達兄弟にとってこの上ない楽しさだった。
でも、それが最初で最後の家族旅行となった。

・天国に旅だった日

大きな台風が過ぎ去ってばたばたしていた8月終わりの日。
父親から「行くぞ!」と突然言われ、私と兄は車に乗り込む。

目的地は、弟の入院する病院だった。

「お子様は、入ってはいけません」と書かれた看板の先にある病室に案内される。
ベッドの上にはたくさんの管につながり、酸素テントの中で苦しそうに息をする変わり果てた姿の弟がいた。
あまりのショックに涙があふれた。

「頑張ってるんだから、お姉ちゃんが泣くんじゃないの!」と母親から叱責されたこと。
響き渡る「苦しい、死んだ方がましだ」と叫んでいる弟の声。
その後に、静まり返った病室。
ひとつひとつが昨日の事のように思い出せる。

時が経ち、思い出すように母がこの時のことを話す。
「自分で点滴も酸素テントも、『もういいと!』って言って、止める大人の手を払って逝ったんよね」

最後まで自分で自分の生き方を決めた弟を、私は誇りに思う。

2.親となった私に届いたプレゼント


今現在、私は結婚し、2人の息子に恵まれ4人家族となる。
生活しているのは、夫の職場がある大阪。
私の地元長崎からは、遠い場所。
なかなか帰省するにはお金も時間もかかるため、しょっちゅう帰省はできない。

それでも、毎年は帰れなくても都合が合えば帰りたくなる時がある。
それは、私の元気がない時だ。
弟の前向きな力で私の背中を押してくれないか?
お墓参りをし、なんとなく愚痴を言って「頑張るわ」と心の中でつぶやいて帰る。
それだけで、少し整理ができるという不思議な私だけのリセット法。(勝手にそんな方法つくるなよと天国から怒られそうだ)

ある時、そういえばと母から「これ、掃除してたらでてきたの」と箱を渡された。
開けてみた時すぐには分からなかったけど、少し見て察しがついた。
少しレトロな感じの飛行機、ミニカー、拳銃のおもちゃたち。

それは、白血病の治療で3日に1回の輸血をする度に嫌がる弟に、母が「頑張ったね」のご褒美としてプレゼントしたおもちゃ達であった。
わが子がそのおもちゃを使って遊ぶ姿を見ていると、ずっと6歳の記憶でとまっている弟と一緒に遊んでいるようのではと錯覚した。

元気のない私を空から見てくれた彼からのプレゼントにも思えた。「もう、僕は遊ばないからあげるよ。姉ちゃん頑張ってな」という声が私だけに聞こえてきたように思う。

それから、私は、大好きだったお菓子と少しの花束をお返しした。
「ありがとう、もし生まれ変わっていたらあなたに会いたいよ」という言葉を添えて。


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