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「つくね小隊、応答せよ、」(廿一)

「いやぁああああああああとんでもなく腹へったぁあああああああもう!なあ、南国なんだからさ、なんかねえの?果物とかぶりぶりに実ってるわけじゃないの?もっと南国のさ、鮮やかで動きの遅い鳥とかいるんじゃないの?なんで食いもんがなんにもないの?なんでなの?」


「うるせえよ…せっかく気にしないようにしてんのに。お前だけじゃねんだよ、腹減ってんのは」


渡邉を先頭にして、仲村、清水の順に「行軍」している。仲村は、腹が減ったとぼやき、清水がそのぼやきに、ぼやいている。


最後の食料の砂飯を食べたのは昨晩。それから、この夕方まで、彼らは、なにも食べていない。

「渡邉ぇ、俺らどこに向かってんだよぉ」

仲村が先頭の渡邉に訊く。

渡邉は、前を向いたまま黙っている。

「なぁ、渡邉ぇ、聞いてんのかよぉ」

仲村は子供が駄々をこねるような態度でもう一度訊く。すると草木を払っていた渡邉が立ち止まり、持っていた銃剣をゆっくりと下に下げ、呟いた。


「…知らん」


ふたりは、はっとした顔をする。





渡邉は、どこかを目指しているわけではなく、ただ動き続けているだけなのだ。留まれば自分達の痕跡が多く残ってしまう。動き続けるほうが、生存の確率は高くなる。


全滅した秋月たちの集団もそれを選択し歩き続け、渡邉もそれを選択し続けている。


「どこ」かに向かっているわけではない。位置を変え続けることが目的なのだ。いや、目的ではなく、もともと彼らには、選択肢が3つしかない。一つは、生き残るために敵と遭遇しないこと。一つは、敵に投降すること。一つは、自決すること。



自分より経験も知識も技術もある渡邉が放った「知らん」という言葉は、他の二人に衝撃を与えた。


渡邉は、軍服の隠しから、折り目のついた紙をおもむろにとりだした。二人はその紙を覗き込む。

シミや汚れがついて、やぶれかかったそれは、この島の地図だった。


ひし形の島がふたつ、ひょうたんのように重なっている。

大きなひし形の島が左、つまりは西側にあり、小さなひし形が右の東側にある。それぞれの島には山があり、その山からは小さな川がいくつか海へと流れている。




1年ほど前、島の西側に、日本軍が飛行場や港を作った。

しかし、数ヶ月前から開始された敵の爆撃や艦砲射撃で今ではその設備はすべて破壊されてしまっている。

そして敵の上陸部隊と交戦していた日本軍は、徐々に押され、拠点を奪われ、ほとんどの部隊が壊滅した。


この島は、断崖絶壁で覆われ、環礁が広がっており波も荒い。船舶は港以外では近づくことができず、西の港以外、敵が上陸することは不可能だ。

撤退する生き残った日本兵たちは、東の島に向かって逃れて行った。


渡邉たちも、そうやって東に逃れていくうちに知り合った。



「まあ、でも、考えがないわけじゃない」


地図を広げながら、渡邉がそう言って、ふたりに説明する。


「恐らく、西側から上陸した敵さんたちは、港や飛行場をさらに増強させて、自分達の拠点を作るだろう。いや、もうすでにできてるかもしれん。

そして俺たちの夜襲が怖いから、艦砲射撃で俺たちを東へ追いやってる」


清水が顎に手をやり、真剣な顔で地図を見つめる。


「確かに。心理としても東に逃げるのは必然だな」


渡邉が頷いて続ける。


「ここのところ、敵さんたちとは交戦してない。大体は偵察機を飛ばして艦砲射撃で攻撃してくる。要は、交戦したくないんだ。艦砲射撃で手を汚さずに安全に俺たちを殺したい。じゃあ、仲村、お前が敵さんなら、どうする?」


仲村が答える。


「え?…そりゃ、おれなら、東の、このちっちゃい島の方に俺たちを追い込んで、間のくびれのところをぎゅっっと紐で結んじまってよ、それで、身動きとれなくなったとこを、ぶっ潰すだろうな…川魚捕まえるときと同じだな。

石を並べてどんどんどんどん狭くしていって、浅瀬に誘い込んで川原に蹴り上げるみたいな」


清水がさらに付け加える。


「そうだな。普通はそう考える、よな。え?じゃあもしかすると、渡邉は東の島には行かずに、こっちの島にとどまるって考えてんのか?」


渡邉は頷かずに清水を見て言う。


「分からん」


二人は驚いた顔をする。清水が訊く。


「分からん?とは?」


渡邉が帽子を脱いで頭を掻きむしる。


「こっちに留まっても、おそらく、爆撃や艦砲射撃は今よりも激しさを増すだろう。森を焼き払うようなこともするかもしれん。とにかくやつらは、物量にものをいわせて、攻撃してくる。

だから、この西側の島に留まるのであれば、上空からの攻撃に耐えうる場所で、なおかつ見つかりにくい場所を探さねばならん」


すると、清水が、ああ分かったなるほど、というように頷く。


「わかった。そういう意味での分からん、ということか。俺たちは、あるかないかわからんもんを探すことになるんだな。だから、分からん、のか」


渡邉が、そうだ、と頷くと、仲村がため息をつく。


「ああ、なるほどなぁ、探しながらかくれんぼってことか…この年にもなって、まさか本気でかくれんぼすることになるとはな…しかも、鬼に見つかれば、殺されちまうかくれんぼ…はぁ…」


渡邉が帽子をかぶり直す。


「ただ隠れるだけじゃだめだ。隠れて生存できる場所だ。だから、隠れる場所に、水、食料、この三つが揃う必要がある。なにか案はあるか」


清水が目をつむって考える。


「そうだな。まず飲み水は、川に頼るしかないだろ?でも海近くの川は海水が混じるから、できれば海からは離れたい。けれども、貝や魚や海草は食料にもなるし、波は便所の痕跡を消すのにも好都合だ。

だから海にも近いほうがいい。かなり矛盾するけど。

だから、その両方の利点を得られるような場所が理想。あ、滝のようなものがあれば海水と真水を遮断できるはずだから…海の近くで傾斜のある…場所…かな?」


渡邉が頷き、仲村が、にやりとする。


「おっ!じゃあ、この川は急斜面を通ってるぜ?で、海にも近い」


仲村が、西側の島の北東にある場所を指差した。


「うん。俺もそう思う。本当に滝があるかどうかはわからんが、滝があればこちらの音の気配も消せる。とりあえずは、そこに向かおう」


渡邉が言うと、清水も頷いた。

続けて渡邉が説明する。


「一応、俺らのいるこの島は、日本名で「菱島」という。西側のおおきな島を、白菱島。東側の小さな方を、赤菱島と呼称している」


「な、なんで色が赤白なんだ?」

仲村が腕を組んで素朴な顔をする。渡邉が答える。


「菱餅からきてるらしい。菱餅の一番下は白で大きいだろ?だから大きい方が白菱島。で、一番上は赤で一番小さいから赤菱島だって噂だ。

まあそれはともかく、俺たちは今から、白菱島北東部の、この滝と思われる場所へ向かう。

俺たちの現在の想定位置は、だいたいこの島の真南、海岸線から600メートルほどの場所だ。ここだな。で、ここから滝までは、直線距離だと、おおよそ20キロ…か。警戒しながら、回り道ありきの行軍になるから、まあ、たぶん、11時間、ぐらいか」


夕日が、渡邉の左目を照らす。


「もう日が暮れる。明日の朝、日の出前に出れば、夜には滝の付近に着けるだろう。今日はとりあえず、この近辺で休もう」


渡邉は立ち上がり、あたりの葉っぱに溜まっている雨水を飲む。


仲村が座り込み、うなだれる。

「腹減ったなぁ…」


渡邉が仲村を見て、銃剣を握り、空に投げた。


ずさっ 


落ちてきた銃剣が、地面に突き刺さる。清水と渡邉は、なにごとかと渡邉を見上げる。


ぼたぼととと


頭上から、緑色の玉のようなものがいくつか落ちてきた。大人の頭くらいの大きさで、細かな凹凸が多数ある。どうやら果実のようだ。


渡邉は銃剣をしまってから、真鍮製のライターで小枝に火を起こす。そして煙を枝葉で扇ぎ、煙がたちのぼるのを防ぎながら、緑色の実を棒切れに刺し、火にかざしてゆく。


「……なんだよ…それ…食えるのか?」


清水が不安そうに訊ねる。日本にはない姿形のもので、ぶつぶつした見た目もなかなかにおぞましい。これはツブテネズミといって、アルマジロの仲間なんですよ、とガイドに説明されればあっさりと信じてしまうような見た目をしている。


渡邉は、仲村に枝葉を渡して、煙を扇いでくれるように指示を出し、火に息をふきかけて火力を強めてゆく。


「ああ、ちゃんと食える。こっちに俺が来た当初は、島民が何百人といてな。

土地のことや、食べられるもんや、毒をもった虫やなんかについて教えてくれてたんだ。この木の実もそのひとつ。果物なんだが、果物じゃないような、不思議なくいもんさ。まあ不味くはない。食ったら分かる」


清水が、へえと相づちをうち、仲村は生唾をごくりとのみこんで一生懸命、煙を扇いでいる。そして渡邉は棒をくるくると回しながら、実に均一に火が通るように調節してゆく。


やがて緑色の実の表面が小麦色に焼けてきて、実の中から、


ばぶちっぷしゅうううううう


と、汁や蒸気が溢れてきた。


そしてなにやら、果物を焼いたとは思えない、香ばしい香りが漂ってくる。仲村は、とろんとした顔つきでヨダレを垂らしている。


渡邉は実を火からはずし、半分に割ってふたりにに手渡した。


最初は固そうな実だったのに、火を通すと簡単に2つにちぎって割ることができた。いただきますっ、と切実な声で言って、ふたりはその実にかぶりつく。


「な、なんだ、これ…」


清水が一口食べてからそう呟く。

対して仲村は無心になって食べている。清水の顔をみて少し笑いながら、渡邉も実を半分に割ってかぶりつく。


「うん。まあまあ熟れてるほうだな。どうだ。まあ、なかなかに面白い食いもんだろ」


渡邉のその言葉に、清水は不思議な顔つきで何度も頷く。

「これって、あれだよな、果物じゃなくて、あれだな、」


「パ、パンじゃねえか!」

仲村が2個目に手を出しながら言うと、渡邉が火を踏み消し始めた。調理が終わったから、自分たちの痕跡を早く消したいのだろう。そして、実にかぶりつきながら、近くにあった木の幹を叩いた。


「この木は、パンの木だ。この実にはデンプンが含まれてるから、焼くとパンのような香りと食感になる。こういう南国では、けっこうみんな食っとるらしい。この付近の島では、この実を主食にしてる部族もいるそうだ。だからまあ、滋養はあるんだろうな」


「パンと言えば、あんぱんだよなぁ。あと、シベリア、食いてぇなあ…」


仲村が悲しそうな顔をしながら目をつむり、あんぱんの味を想像しながらパンの実を食べている。


「甘いもんばっかじゃねえか、おまえ、蟻かよ。しかも、シベリアなんて女子供しか食べねえよ。あんなおぞましいもん」


清水が顔をしかめる。シベリアとは、羊羹をカステラで挟んだ菓子パンのようなもので、昔はパン屋によく置いてあった。


南国の島で、パンの実を食べ、そんな話をしながら時間が過ぎてゆく。


日が沈み、星空が広がる。

渡邉が横たわると、木々の隙間から星座が見えた。南十字星だ。


遠くの波音が聞こえ、涼しい風が吹き、夏の虫が鳴く。


三人は満腹の腹を抱え、ゆっくりと眠りに落ちていった。





「ななななんだあいつら!」


翌朝、仲村の動転した声で他の2人が目を覚ました。まだぎりぎり日は昇っていない、薄暗い朝。


2人は慌てて歩兵銃を構えるが、仲村は銃を構えず、森に向かって指をさしている。


仲村の指差す方を見ると、いくつかの小さな目玉が、3人を見つめていた。


渡邉が立ち上がり、目玉のそばに歩いていく。振り返り、片方の眉を吊り上げて仲村を見下ろす。

「起床ラッパみてえな悲鳴で目覚めるのは、御免なんだが」


「いや、す、すまん。いや、目あけたらよ、そいつらに見つめられてたからよ、妖怪かな、って思って…すまん」


仲村が渡邉に謝り、清水が渡邉の傍に歩み寄る。

「妖怪って…でも、な、なんなんだ、その、目玉…」


薄暗い暗闇の細い枝の上、目線ぐらいの高さに、いくつかの小さな目玉が並んでいる。木の枝にコブのようなものがあって、そのコブに目玉がついているようにも見える。


「ターシャ。夜行性の、世界で最も小さい猿だ。日本では、フィリピンメガネザルというらしい」


枝をよく見ると、キウイのような茶色い生き物が、枝にしがみついている。手足が4本あり、指もちゃんとある。目玉がとても大きく、茶色の体に茶色の輝く目がとても愛らしい。彼らは4匹集まって、人間たちをじっと観察している。


「いやぁ、寝起きでみたら気持ち悪くてびっくりしたけどよ、あらためてみると、なんか、めちゃくちゃかわいいな…こう、肩とかに乗せて飼ってみたくなるよな」


仲村がそう言うと、渡邉が「ああ」と返事をして、突然一匹のターシャを鷲掴みにした。夜から徐々に夜明けになり、彼らにとっては明るすぎて目が見えない時間帯なのかもしれない。


鷲掴みにされたターシャは、


ぷきゃああきゃああぎゃああ


と悲鳴をあげている。

渡邉はターシャの小さな首をポキリと折って、銃剣で首を少し切り、尻尾をベルトのところに結びつけた。傷口から血が滴っている。他のターシャたちは、何が起こっているのかわからずに、怯えて震えている。


仲村は一瞬怯んで、渡邉に何か言おうとしたが、やめた。そして自分も、可愛らしい小動物ターシャを掴んですぐに首を折った。


清水も、何も言わずにターシャを捕まえて、すぐに首を折る。首のところを少し切って尻尾を雑嚢のところに結びつける。血を抜いて、腐敗しないようにしているのだ。


残りの一匹は、親だろうか、子だろうか、兄弟だろうか、一匹で怯えて、ふるふる震え、ゆっくりと周りを見渡している。


清水は、「すまんな。お前たちも大変だが、俺たちも今、大変なんだ。すまん」と、生き残りに話しかけた。


渡邉が銃を背負いながら言う。


「よし、じゃあ出発しようか。北東へ向けて、山麓を進む。とにかく、最短で行きたい。方角を間違えんようにしよう。最初は、」


渡邉は地図を取り出す。


「この川に行き当たるはずだ。今丁度日が昇ったから、あっちがおおよそ東だな。遠くの景色を見ながら、山の頂上や特徴的な岩肌を目印にして進んで行こう」


渡邉は地図をたたみ、帽子を目深に被り歩き出す。

ターシャの遺骸が、血を垂らしながら渡邉の腰元で揺れている。


歩きながら、仲村が渡邉に訊いた。


「こいつは、美味いんかな?」


「俺も食ったことはないからわからん。虫や木の実や小鳥なんかも食べるらしいから、雑食だ。くさみが強いかもしれん」


日が昇ると、一気に暑さが強さを増す。

密林の中には風が通らない。

それぞれの植物が、夜の間に吸い込んだ余分な湿気を吐き出すから、湿気と熱気で汗が常に吹き出してくる。

その中を三人は進んでゆく。


「あ、おい、仲村、そういえば、お前のほら、阿波のなんか、たぬきの話、途中じゃなかったか?」


先頭の渡邉が振り向かずにそう言った。


「いやぁ、暑いよなぁ、これじゃ俺、中華街の焼売だぜ、ったくよ…あ、阿波狸合戦のこと?」


仲村がそう言って、渡邉が頷く。


「え?聴きたい?聴きたい感じなの?」


仲村は振り返って清水にも訊く。


「え?学徒も聴きたい感じ?」


すると清水が、汗を拭って答える。 

「無心になって歩くより、なんかそういうのがあったほうが、気が紛れそうだ。渡邉は先頭で忙しいし、俺は早太郎の話したから、次仲村いけよ」

「あら、そうなの?おふたりともお聞きになりたいのねあらそれならそうと早く言ってくれなきゃね、じゃあどこからお話しようかしらねあらやだ、どこだったからしら」

「えっと、たしか、染め物屋のなんとかっていう男に助けられて、染め物屋の蔵に住み着いて、で、たしか、なんとかってやつにとりついて、染め物屋の主人に挨拶してなかったか?たしか…」

「学徒ちゃんよく覚えてるわね。そうによ。子供たちにたぬき汁にされかかっているところを、染め物屋大和屋の主人、茂右衛門に助けられましてね!

そして恩返しをしようと蔵に住み着いたら、お次は従業員が穴にお湯をぶっかけて穴を埋めようとされちまってね!

そしてそれも茂右衛門が助けてくれて!で、助けられたたぬきは、従業員の万吉にとりついて、接客をして店を大繁盛させたわけですね!

ほいで、茂右衛門に万吉の姿のまま挨拶するわけですよ!

『あのとき助けていただいたたぬきです!』って!」

渡邉が前を向いたまま仲村に訊く。

「狸の恩返しというわけだな。と、なると、『この部屋は絶対に開けないでください』と言ってた部屋を、茂右衛門が開けちまって、狸がどっか行っちまうという話か?」

すると仲村がニヤリと笑う。

「それがね、そこが違うのよ!こっからがね!このお話の面白いとこなのよ!」


少し離れたところで、三匹の獣が彼らについていきます。
白い大きな犬。
茶色のたぬき。
満月色の狐。

「金長、おめえの話、始めたみてえだぞ」

「みたいですねぇ。その昔話の登場してるわっちがこんなとこにいるなんて、まさか久蔵も、思ってもみないでしょうねぇ」

「で、金長さん、茂右衛門さんの大和屋さんを大繁盛させたあと、どうなったんですか?」

金長がニヤリと笑って、昔を懐かしむような顔をしました。

「店が大繁盛したので、わっちが住み着いた蔵の穴に、お店の方々が立派な社と鳥居と、のぼりをたててくださったんですよ!そして、そののぼりには、なんと、」


仲村が祖母のマツに聴いた昔話を戦場で語り、そこから少し離れた場所では、その物語の主人公が、思い出話を始めています。



























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