「つくね小隊、応答せよ、」(廿二)
さてさて!
金長が万吉にとりついて接客をするようになると、千客万来商売繁盛客の鈴なりと申すところでございまして、店の者たちも金長の棲む蔵の穴の社を、よくお祀りするようになったのでございます。
毎朝毎夕、社の周りを掃き清め、小さな鳥居を磨き上げ、お供え物も怠らず、毎日柏手が小気味よく響いております。
するとこれまた春夏冬二升五合というところでございまして、店は忙しくなる一方でございました。
そんなある日、金長に感謝した店の者たちが、白い布を、竹竿に通し、青い空にすぱぁんっと、のぼりを立てたのでございます。
店の者たちによって染め抜かれた黒い筆字。そののぼりには、このように記されておりました。
『正一位金長大明神』
これを見た金長、万吉にとりついて、店の主命の恩人、茂右衛門様に店の中庭の縁側にて声をかけます。
「あ、あのぅ、も、茂右衛門さま…」
「お、どうした万吉、…ん?いや、違うな、おぬし、万吉ではないな?もしや金長か?」
「はい。金長にございます。あのぅ、茂右衛門さま…」
「金長、いつも家業の手伝いをすまぬな、おかげで店の者たちも、そしてその家族も喜んでおると聞くぞ。あの社ののぼりは、店のものたちとその家族で銭を出し合って立てたのだそうだ。みんな感謝しておる。私もだ、金長。ありがとう」
「は、はい、いやその、痛み入ります…。で、その、のぼりの件なんですが…」
「ほう、どうした?」
「あののぼりを、その、取り下げてほしいのです…」
「なんと?のぼりを?なぜだ?」
「わっちはまだ、206歳。そして正一位などというたいそれた位をいただける身分ではないんです…。だから、その…」
「お主がそのように思っておらずとも、店の者たちも私も、お主をそのように思っておるのじゃ。謙遜は美徳じゃが、事実は事実だ。取り下げずともよいではないか。私達は誠に、お主に感謝しておるのだ」
「いや、そうなんです。みなさんが、わっちをそのように思ってくださっているからこそ、あののぼりを下げてほしいのです」
「ん?というと、どういうことだ?」
「はい。わっちどもたぬきの世界では、自分より位が上の者に位を授けてもらうというのが習わしでございまして、手前勝手に身分を名乗ってはならんのでございます。
だから、わっちは、阿波の元締めのところへ行って修行をし、位を授けてもらうつもりでございます。
みなさんがのぼりに書いてくださったような、立派なたぬきになって、ここ帰ってきたいのです。
ですので、わっちが帰ってくるその日まで、のぼりを下げておいていただけないでしょうか」
茂右衛門、腕を組んでしばらく黙り込み、金長のまっすぐな瞳に負け、わかったとひとつ、うなずきました。
「わかった。たぬきにはたぬきの道理があるのじゃな。そうか、お主がそこまで我らのことを思ってくれておるのは、誠に光栄なことだ。金長、その修業というのは、辛いものなのであろう。怪我や病に気をつけて、今よりさらに立派なたぬきになって帰っておいで。私達は、その日を待ち望んでおるぞ」
万吉にとりついた金長。
茂右衛門の思いやりのある言葉に、涙をひとつぽろりと落とし、頬を拭って茂右衛門に頭を下げます。
その瞬間、万吉の体がだらりと力なく腑抜けのようになりました。
「あれ、茂右衛門さまぁ、おはようございますぅ」
万吉が寝ぼけ眼で茂右衛門を見上げています。
どうやら金長は、阿波の元締めの元へ向かったようでございます。
金長のいる、阿波小松島から、阿波の元締めの居る阿波津田へは、たぬきの脚で5時間ほど。
金長は津田の元締めの元へ駆けております。おや!金長のその傍には精悍な顔つきのたぬきが一匹一緒に駆けておるようです。
金長の右腕「藤の木寺の大鷹」でございます。
「大将、阿波の元締めの六右衛門、いろんな噂を聴きますぜ。人間を恨んでるってんで、人間に恩義を感じてる大将のこと、よく思わねぇかもしれません」
「やっぱ、そうかなぁ。まあでも、六右衛門さんも800歳ぐらいだろ?いろんな経験をしてきたんだろうし、そこはなんとも言えないよなぁ。わっちだって、何度人間にたぬき汁にされかかったことか…」
「阿波の元締めやってるくれえだから、大将も先方の言うこと鵜呑みにせずに、ちったぁ勘ぐってくださいよ、大将、たぬきがいいのが一番の長所だけども、たぬきが良すぎるのが一番の悪いところですからねぇ」
「大鷹、おまえな、大将って言っときながら、ほめてんだかけなしてんだか。ま、どっちにせよ、わっちには大鷹がついてるから、心配はしてないよ」
「…ほら、そうやってすぐ大将は楽観する。ほんとに、気をつけてくださいよ、大将になにかあったら、俺は小松島に帰れねぇんすからね、わかってんすか、小松島の200匹のたぬきたちを束ねる総大将なんすよ?…ったく…」
「もう!わわかったから!わかったって!ちゃんと気をつける!茂右衛門さまのためにも、お前たちのためにも、わっちは位を授かって、無事に小松島へ帰るから!わかったから!」
なかなかに大将思いの右腕を連れてやっとたどりつきましたは阿波の津田。
小高い山の中程に、津田の穴観音と言われる場所があり、洞窟の奥には観音様がまつられてございます。
そこを根城としているのが、阿波の元締め、六右衛門だぬき。
金長と大鷹、着物を整え、穴観音の入り口へと歩いて参ります。
日はとうに暮れており、穴の入り口にはちいさくかがり火が焚かれてございまして、二匹のたぬきが守衛として立っております。
二匹は金長と大鷹に気づくと、槍の切っ先を金長たちに素早く向けました。
「うぬら!誰かっ!」
暗闇からぬぬぬっと姿を表す金長。
槍の切っ先にも少しも動じる様子がありません。
二匹に頭を下げ、落ち着いた様子で挨拶をいたします。
「わっちは小松島、金長にございます。六右衛門どのに位を授けていただくため、修行に参りました」
後ろの大鷹も、ぬぬぬと現れ、同じように頭を下げます。
二匹の守衛は槍を下げ、言いました。
「失礼いたしました。わが主、六右衛門さまより、金長どののことは伺っておりまする、ささ、こちらへっ」
一匹が門に残り、一匹が松明を持ち、金長たちを先導してゆきます。
松明の灯りだけが頼りの暗い洞窟。蛇の舌のような赤い炎が、ぬらぬらとした洞窟の壁を照らしております。
「大将、出口はここしかねぇんすからね、くれぐれも気をつけてくださいよ」
「んなこたわかってるよっ、心配性だなぁ、大鷹はほんとに」
金長たちは小声で話しながら洞窟を進んでゆきます。
やがて視界が大きく開けたかと思うと、洞窟のなかに数十匹のたぬきが、ものものしい表情で座っており、金長たちをするどい目つきで見つめています。
「小松島より、金長どの、ごおおとおおうちゃああああくぅううう!」
守衛のたぬきが緊張した声でそう叫ぶと、奥から野太い声が響いて参りました。
「おう。待っておった…まあ…近くに来いや」
みると、普通のたぬきの五倍ほどの大きさの大きなたぬきが、あぐらをかいて金長たちを見据えています。
「阿波小松島、金長にございます」
大たぬきのそばまで歩み寄り、金長が両手をつき挨拶をします。大鷹も金長に続き、無言で頭をさげます。
大鷹は頭を下げていますが、目は開けたまま。四方へと意識を飛ばし、何か不穏な動きがあればすぐに動けるようにしています。
「わしが…阿波の…元締め、六右衛門じゃ。金長よ、そっちの若いのは、名はなんという」
金長は顔をあげ、大鷹を振り返り、言います。
「はっ、さ、大鷹、ご挨拶を」
「藤の木寺、大鷹にございます」
無表情の大鷹の挨拶。
金長も同じく頭を下げます。
無言で頷く、どしりと構えた六右衛門。
おおきくあぐらをかいて、盃のさけをあおりながら、金長たちをじっくりと眺めます。
( ほう、こいつが小松島で200匹を束ねるという金長か。もっと豪快なやつかとおもったが、誠実で可愛げのある顔つきじゃねえか、なるほどな、部下の信頼大いに厚いと、そういうことか…。
これだけ大勢に囲まれておるのに、心身ともにわしらを信頼しておるような、そんな気の抜き方だな。肚が座っておる。相当出来ると見た。
で、後ろの大鷹よ。
全身から蜘蛛の糸みてえに気を張り詰めてやがる。金長になにかあれば、命を捨ててでも守り抜く、そういう目をしてやがる。部下でこれだけならば、金長、こいつが本気を出せばどれほどの力となるのか…ふむ、面白いじゃねえか、興味がある… )
「よし、金長、お前は位を授けてほしいそうだな…」
「はい。さようにございます」
「見たところ、かなり骨のある奴のようだ…しっかりここで精進して修行すれば、お前なら、み月ほどで位を授けられるかもしれん。しかし、それはお前の修行次第だ。存分に、精進するがよい…」
「はっ!六右衛門さま!この金長一所懸命誠心誠意精進させていただく所存にございます!」
金長と大鷹はゆっくりと頭をさげました。
「うむ…まあ、長旅も疲れただろう、今日は前祝いだ。皆で、ぱーっとやろうや、おい、おめら、とっとと用意しねえかっ」
六右衛門が野太い声で一声放つと、たぬきたちが大慌てで宴の用意をして、あっという間に準備が整いました。
「金長、明日から、存分にがんばってくれや、な?」
六右衛門が金長に酒を注ぎます。
金長は恐縮し、酒を一気にあおります。
すると大鷹、小声で金長をたしなめます。
「大将っ、あんまり飲み食いしちまうと、毒でも入ってたらどうするんすかっ」
「おい、大鷹、心配しすぎなんだよ、そんな姑息なやつが、元締めをやれると思うか、心配性なんだよ、大鷹、ほら、お前もちゃんと食って飲め、失礼だろ」
大鷹は、しぶしぶ料理や酒を口に運びます。
「おいっ!鹿の子!お客様だ、得意の舞をひとつ、頼むぞ」
宴の中盤、六右衛門が手を叩き、女の名を呼びました。奥から、綺麗な着物を来た女のたぬきが出て参ります。
清流のように毛艶がよく、月のような美しい瞳、ほんのりと紅を塗った唇は椿のようです。
「わしの、一人娘、鹿の子じゃ、さ、鹿の子、この金長たちに、踊りをみせてやれ」
鹿の子はちらりと金長を見て、ほんの少し会釈をして、舞を始めました。
柔らかい春風に絹が揺れるような踊り、かと思えば、春雨を纏う野花のように物悲しい表情、蝶のような指先、桜の散るような柔らかい足の運び。そんな鹿の子からはほんのりと花の香りが漂って参ります。
大鷹は、妻も子供もおりますが、鹿の子のあまりの美しさに、口を開けたまま盃を思わず落としそうになりました。
さて、金長はというと、楽しそうに踊りを見て、うまそうに食事を頬張って笑っております。
鹿の子は、誠実そうな金長を、踊りの間中、なんどもなんども盗み見しました。鹿の子の耳が、桃の花のようにほんのり色づいております。
そして何事もなく、楽しげに夜が更けて参りました。
さてさて!
翌日から金長の修行が始まったわけにございます!
修行と申しましても、お寺の修行や、山伏の修行とはちくと趣が違います。
たぬきの修行、これはすなわち化け修行。
化け学を学び、化け方を極め、自分以外のすべてを騙し、嘘をつき、欺く。これら全てがたぬきの修行にございます。
日々が、騙し合い、化かし合いの連続です。
たぬき同士で森に入り、探す役と化ける役に分かれ、最後まで見つからなかった者と、多く見つけた者が勝利。
木に化けたり、きのこに化けたり、はたまた探し役のたぬきに化けたり、通行人の人間に化けたり、六右衛門に化けたり、化かし、化かされ、互いの化け学を深めてゆくのでございます。
化けて隠れるだけでなく、化けて戦うのも修行のひとつ。
刃物を作り出し、火を作り出し、水を作り出す。
モグラになって土を掘り、鯉になって滝を昇り、龍になって空を飛び、蜘蛛になって糸を吐き、ノミになってちくりと相手の尻を刺す。
やがて一匹が何匹にも分かれ、分身して戦う。極限まで集中力を高め、一心不乱に化け続ける。たくさんのたぬきたちが、六右衛門のもとでそうやって修行をしておりますが、ちょっとでも集中力が切れれば、相手の刃や矢や牙が刺さり傷を負ってしまいます。
鳥になって飛んでいる最中に気を抜いてたぬきに戻れば、あわや地面に真っ逆さま!
六右衛門の修行は、常に死と隣り合わせの厳しい修行にございました。
さて、六右衛門には、側近である四天王たぬきが四匹おります。
津田川島 兄 九右衛門。
津田川島 弟 作右衛門。
屋島の八兵衛。
多度津の役右衛門。
四天王というほどですから、それぞれ化ける力も目をみはるものがございました。
ひょいと刀を取り出して、切れ味の鋭い薄い刃の上を歩くのはお手のもの。
一方が放った数々の矢を、一方が放った数々の矢で撃ち落とすなんて朝飯前。
火を吐き雲にのり、変幻自在に動き回ります。
それを見た金長、おおおおお!と声をあげて、感動し、そして自らも挑戦します。するとあら不思議、四天王たちが何年もかかって出来るようになった大技の数々を、数回試しただけで軽々とやってのけるのです。
「…なかなかにやるではないか、小松島の金長さんよ」
「いや、たぶん、まぐれですよ、みなさんにはまだまだかないませんね、いやほんとにまぐれです」
四天王と金長がそんなやり取りをしていると、六右衛門の娘鹿の子が休憩の茶や菓子を持ってくる。
金長は丁寧にありがとうございます、と挨拶をして、それっきり。鹿の子は謙虚でどこか少し抜けていて、けれども才能あふれる金長に少しづつ惹かれてゆくのでございました。
金長の力量や努力や、ほかのたぬきの懐に入り心を掴む彼を見て、六右衛門の中には2つの心が夏雲のようにむくむく湧いてくるのでございます。
ひとつは、
こんなたぬきはあと数百年生まれてこない逸材だ。ぜひ手元に置いておき、右腕として使いたい。年頃の鹿の子も、金長に惹かれておるようだから、金長を鹿の子の婿養子にとるのはどうだ。という思いにございます。
そうしてもうひとつは、
これほどのたぬきを小松島にやすやすと帰して、力をつけられては、いずれ元締めの座を奪われるだろう。という思いにございます。
金長をじっと見つめる六右衛門!
なにも知らずひたすら修行にはげむ金長!
さあて如何になりますことやら!
気になる続きは、また次回!
ぽぽんっ!