「つくね小隊、応答せよ、」(廿三)
「…大将、ちょっと…大将」
「ん?なに?」
「いや、ん、なに?じゃなくて。どうするんすか?」
「え?なにが?…ぬおっ!…それっ!」
「鹿の子さんのことですよ」
「くっ!…あ、うん。え?鹿の子さんがどうかしたの?…そりゃっ!」
津田で修行をする間、2人が宿泊している小さな屋敷。縁側で月を見上げながら、大鷹が金長に問いかける。
金長はと申しますと、畳の上に腹ばいになり、手のひらに乗せた小豆を、ねずみに化けさせる練習をしております。練習に集中するあまり、話はおろそかになっておるようで。
「いや、どうしたもこうしたもないでしょ…気づかないふりなんて、野暮ですぜ、大将」
「んっ!違うな…よっ!だめだな…こりゃっ!だめか……え?気づかないふりって?」
「え……まさか大将、鹿の子さんが大将に気があること…お気づきじゃ…ないんですかい…?」
「それっ!…だめか…ヨイショッ!…だめかぁ……え?鹿の子さんがわっちに気がある?へぇ、そうなんだ…ヨイショッ!行け!…だめか
…………え?
…今なんて言った?」
手のひらの小豆から大鷹に視線を向け、金長が体を起こしますと、大鷹が断言いたします。
「鹿の子さんは、大将に、惚れてます」
その瞬間、金長の体が真っ赤に。まるでりんご飴のような有り体にございます。
「どうするんすか、大将、小松島に帰るのは決まってるわけだし」
「あがわわがががわがががわがわあががあががわわわわわ」
金長、顎が外れているのかうまく声が出せない様子。
それを見かねて大鷹、金長の顎をがこりとはめてから言います。
「大将、にぶすぎですぜ、ったく。
ま、大将のことですから、色恋よりも茂右衛門さまのことを選ぶのは目に見えてはいますがね、年頃の娘の恋が実らずに散るのは、俺としてもちょっと心苦しいといいますかね、まあ、いわゆるおせっかいなんすけどね」
「あがわがががが…まあ、そうだなぁ、わっちは大和屋へ戻りたいからなあ。でもあんな美しい娘がわっちを好いてくれてるなんて、なんかあれだな、こう、舞い上がるっていうか、なんかこう、いいよねっ、なんかいいよねっ」
「なに15かそこらの娘みてえなこと言ってんすか。
206歳でしょあなた。
でね、大将の修行の様子を見てると、四天王の腕前はすでに超えてると俺は見てます。日に日に、六右衛門さまの指示やダメ出しが少なくなってきて、最近じゃほとんど頷くだけになってきていますぜ。おそらく、位を授けられるのも、もうまもなくじゃねえかな、と俺は思いますよ。小松島に戻れるのも、もう近いわけです」
「え!そうなの!わっちすごいじゃん!」
「まあ、だからなんというか、その気がないならないで、ちゃんと、その、鹿の子さんが次の恋にを、その、迎えるように、なんか、その、いや、もういいや!今の話なしでいいですわ!こんなおせっかいいらねえ!」
大鷹が縁側でごろりと横になり、肘枕で月を眺めております。
「え?なに、大鷹ちゃん、なんか乙女なところがあるのね?大鷹ちゃん、なんか、すごく豪快なところがあるけど、中身は乙女なのねあなた」
「あー!はいはいはいはい!あーもう!ちょっくら酒飲みたくなったから人に化けて飲み屋に行ってきやす帰りは遅くなるんで寝といてくださいそれじゃ」
「あら大鷹ちゃん照れちゃったのね」
さてさて。
翌日も修行に励む金長ですが、鹿の子がそばに来ると、妙に意識をしてしまって集中力が欠けてしまいます。
紙風船に化けている途中に鹿の子が現れ、風船に穴が空き、ぷしゅううとしぼむ。
針山を歩いているときに鹿の子が現れ、足の裏が柔らかくなりチクリと刺さり針山の上を飛び上がる。
それを木陰で眺める大鷹が、ぷぷぷと吹き出す。
けれども金長、初心を思い出し、集中力全開で一生懸命修行に励んで参りました。
そしてある晩。
六右衛門が金長を呼び出したのでございます。
穴観音の奥の間。
六右衛門の部屋。
酒や鎧や兜、熊の毛皮、猪の頭蓋骨。美しい拵えの大きな太刀もございます。
あぐらをかいて、赤い大きな盃の酒をぐぐぐびりとあおる六右衛門。
金長は正座しております。
「まあ、楽にしろよ、金長」
「はいっ」
「お前も、飲め、ほら」
六右衛門が金長に酒を注ぎ、金長は盃を額の上に戴き、酒に口を近づけます。
「おい、金長、この傷を、見てみろよ」
六右衛門、胸にどっかりと空いた丸い古傷を金長に見せます。
「こりゃ、関ヶ原の頃、化け試しによ、侍に化けて、豊臣方について戦ったときの傷よ」
金長、傷をしげしげと見つめ、ふむふむと頷きます。六右衛門は800歳。金長は206歳。関ケ原といえば、この時から200年ほど前のこと。ちょうど金長が生まれたぐらいの時代にございます。
「相手の槍がよ、鎧を突き破って、胸にぐさりっ、よ。思わずぎゃああと叫んだよ、煮え湯を胸の中に流し込まれたように熱くてよ、痛かったぜえ…それで、慌ててその人間の首を噛みちぎってやったよ…」
そう言って六右衛門は、また酒をあおります。
「金長、お前は人間に恩義を感じておるそうじゃねえか」
「は、はいっ!たぬき汁にされそうになっておるところを、染物屋の茂右衛門さまに助けて頂いたのです」
「ほう、義理固い、と、そういうことか。なるほど。人間に義理固いとなれば、たぬき同士の絆はそれ以上だろうな、な?金長」
「そりゃもちろんでございます。六右衛門さまには、毎日稽古をつけていただき、感謝の限りを尽くしても足りないくらいでございます」
金長が頭を地面に擦り付けると、満足したような笑みを浮かべる六右衛門。
「金長よ、もう俺がお前に教えられるようなことはねえ。俺は明日にでも、お前に正一位の位を授けるつもりだ」
目をきらきらとさせ、金長とびあがります。
「え!そ!そんな!ありがき!ありがたきしあわせにございます!六右衛門さま!このご恩は一生忘れはいたしません!」
「ああ…。で、そこで、金長、お前に話がある」
「はい、な、何でございましょう?」
「…お前、嫁はまだもらっておらんのだろう?」
「はい」
「そうか。そこで…どうだ。
…わしの娘、鹿の子をお前の嫁に。
津田に居を構え、わしの右腕として働き、やがてはわしの跡継ぎ、阿波の元締めをやる気は、ないか?」
「…え!そ!そんな!もったいなきお言葉にございます!六右衛門さまには、お世継ぎの千住太郎さんがいらっしゃるではありませんか!!」
「…ああ。あいつは俺の息子だが、すぐに熱くなって後先考えずに動いてしまうところがある。阿波の元締めをやらすには200年早い。わしは金長、お前を婿として養子にとり、お前にわしの世継ぎをしてほしいのだ」
「いえ、で…ですが、鹿の子さんは…」
「鹿の子には、すでに訊いてある。
鹿の子は、お前と夫婦になってもよい、とそう申しておる。
どうだ。小松島へは戻らず、津田のたぬきにならぬか。
お主にとっても、鹿の子にとっても、阿波にとっても悪い話では、なかろう?
位も、地位も、そしてうつくしい嫁も、すべて手に入るのだ。
わしに恩義を感じておるのであれば、その首をどう動かせばよいのか、分かるだろう…」
金長、両手を畳につけたまま、畳を見つめております。
そうしてやがて、ゆっくりぼそりと言い放ちました。
「わっちは…命の恩人の…茂右衛門さまに、まだまだ恩返しが、し足りません…六右衛門さま…大変感謝し、恩義を感じておりますが、そのお話は、…お受け…できかね…ます…申し訳ございません」
六右衛門、赤い盃をぼとりと落とし、酒が熊の敷物を濡らします。
「……なに?断る…と?」
「…はい」
「阿波の元締めの、このわしの、提案を…お前が…断る…と?わしの大事な娘を、お前が、つっぱねる…と?…人間への恩返しのほうが、大事だと…?」
「つっぱねるというようなことは思っておりませんが、しかし…はい…わっちには、返さなければならない恩義があります…」
六右衛門、金長を睨み、わなわなと震え、全身の毛が逆立ちます。
金長、しっかりとした顔つきで、床を見つめ、頭を下げています。
六右衛門、すぐに温和な顔つきになり、言いました。
「そうか。分かった。それでは、明日、位を授けよう。今日はしっかり休め」
金長、深々と長く頭を下げ、六右衛門の部屋から出て参りました。
六右衛門、黙って金長の背中を見つめております。
「は?!大将!?え?!な!なんて?!!」
「いや、だから、そりゃ、断るでしょ。だって津田のたぬきになったら、大和屋戻れないじゃん…」
「いや、戻れないじゃん…って人差し指つんつんされても…え?!で、六右衛門さまは…な、なんと?」
「明日、位を授けるから、今日は帰って休めってさ…怒ってたっぽいけど、位は授けてくれるらしいよ」
「……いや、そんなわけないでしょ!
大将!よく考えてもみてくださいよ!大事な娘を!かわいい娘を大将にやる!って言ってんすよ?それを、六右衛門さんの大嫌いな人間のために、つっぱねるなんて…そりゃ、はらわた煮えくり返るでしょうよ、はいはいわかりました、じゃあ位授けてさようなら!では、すまないと思いますけどね、俺は…」
「…まじかあああ!やっぱそうかあああああああ!やっぱ怒るよね!!やっぱそうだわああああ!どうしよ!え!?位、もらえない?!もう無理?!ねえ!大鷹、ちょ、お前行って謝ってきてよ!ね!」
「は?!いやいやいやいや、俺が行ってどうこうなる問題じゃないですって!いやまじかよこのたぬき!大将!やばいっすよ!すぐ支度して逃げましょう!」
「え?逃げるの?な、なんで?NANDE??」
「NANDE?じゃねえわっ、大将、早いとこ逃げないと、多分、俺らやられますぜ。さ、支度しやしょう!」
だむだんっ
屋敷の、戸を叩く音。
だんだむだんだんっ
金長、大鷹、身構えてお互いの顔を見ます。
だんだんだむだんだん!
なにやら急いでいるような戸の叩き方。
「六右衛門の手下かも知れませんぜ…」
大鷹、小声で言って、大太刀をするするると抜く。
「あーあぁ、もう来たか…」
金長、覚悟を決めたようにそう言って、返事をしました。
「こんな夜更けにどなたでしょうか」
「金長さま、開けてくださいっ、わたくしでございますっ、鹿の子でございますっ」
戸の向こう、鹿の子、慌てた声。
「大将、彼女も、追っ手かも知れません…」
大鷹、首を振りながら、戸を開けるなという顔。しかし金長、ひとつ頷き、戸に手を掛け、開きます。
見ると戸の向こう、鹿の子が息切らし、不安な面持ち。
「…鹿の子どの、こんな夜更けにどうしたんですか?」
金長の後ろ、大鷹、刀を構えていますが、金長後ろ手にそれを制す。
「金長さま、大鷹さま、お逃げください、父が、四天王をこちらへ放ちました」
「なにっ、四天王を…大鷹の言った通りか…しかし…鹿の子さん、なぜ、それを、わっちに?」
うつむく鹿の子。
大鷹は大太刀を鞘へ仕舞い、金長の横へ。
「鹿の子さん、やっぱり、六右衛門さんはかなりのご立腹と、そういうことですかい?」
鹿の子頷き、屋敷の中に押し入ります。
金長と大鷹の布団の中に座布団を詰め、行灯を消し、くるりと舞を舞いました。すると座布団が、まるで息をしているかのように布団の下で上下いたします。術をかけたのでしょう。
大鷹は布団に近づいてゆき、自分の毛を抜き、金長、と自分の布団の中に、その毛をこっそりと忍ばせませした。
鹿の子、金長の方を向き、悲痛な面持ちで語りだす。
「父は、金長さんが怖いのだと思います。四天王たちよりも金長さんはすでに、お強いのです。だから、なんとかして手元に置いておきたかった。
…それで、その…わたくしと、その…結婚…などと…」
「え!い!いや!その!違うんですよ!断ったのは!その!か!鹿の子さんと夫婦になるのがいやというわけじゃななななくていやむしろそんな出来事はわっちにとってはもうそりゃ夢のような出来事でその!鹿の子さんとのそういうお話は、本当にありがたいことなんです!」
真っ赤になって鹿の子の誤解を解く金長。
鹿の子、嬉しそうに笑い、照れた面持ち。
「たぶん、金長さまは、小松島の恩人の方へ恩返しをするという志をお持ちだから、簡単にわたくしと結婚だなんて、お受けしていただけないだろうな、とは思っていました」
鹿の子俯き、少し金長を見上げる。
「でも、わたくしは、父に言われたから、結婚しようと思ったんじゃないんですよ。
わたくし鹿の子は、金長さまのことを、本当に、お慕い、しているのでございます…」
金長、茶釜に化けて煮え湯がたぎり沸騰し、頭の先から湯気を噴出しております。
大鷹、あたまをかきむしり、金長の尻を気付けに叩きます。正気を取り戻した金長、照れた面持ちで鹿の子を見据えます。
「鹿の子さんみたいな美しい娘さんにそんな風に思ってもらえて、わ、わっちは、幸せですよ!」
すると鹿の子、眉をひそめて金長を睨む。
「……そういう時は、嘘でも、わたくしのことを好いておると、言うものなんですよ……」
大鷹、後ろで、自分の額を、あちゃああ、と叩きます。
金長、鹿の子に「あ、ご、ごめんなさい」と頭を下げ、大鷹、両手で頭をかきむしる。
鹿の子は少し笑って言いました。
「そういう正直なところが。たぬきなのに正直なところが。そんな金長さまが、わたしは、大好きです。
さ、四天王たちが来ます。
金長さま、お逃げください、生きてください、それが、わたくしの願いにございます。
ここはわたくしに、おまかせください。大鷹さま、金長さまを、お頼み申し上げます」
鹿の子、深々と頭を下げ、
大鷹、ひとつしっかり頷く。
「さ!行きやしょうぜ!大将!」
「お、おう!そ、それじゃあ鹿の子さん、お、お達者でね、ありがとう…」
「さ、早く行ってくださいっ!」
金長、大鷹とともに屋敷の前の藪の中へ、どさぶりっと飛び込んで消えて行きました。
しかしその藪の中、大鷹から何か言われているようです。小さく大鷹の声が聞こえてきます。
「体張って、父裏切ってまで、大将助けてくれた女に、なんすかさっきの挨拶、んもう、最後に、なんか、ねえんすか、大将っ」
「え…やっぱり、だめかな…」
「もう!206年なにしてたんすか…さ、俺はここに居ますから、もう一度ちゃんとお別れしてきてくださいよっ、さっ!早く!」
藪から飛び出した金長。
すばやく鹿の子に歩み寄り、月のような鹿の子の瞳をしかと見つめ、力強く抱き寄せ言いました。
「鹿の子さん、本当に、恩に着ます。絶対に、わっちはこのことを忘れません。わっちは、いつか必ず、また会って、鹿の子さんに、恩返し、しますから!本当に!ありがとう!」
金長、もう一度鹿の子を力強く抱きしめて、笑顔でひとつ頷き、藪に飛込み、消えました。
呆けたような顔の鹿の子。
やがて両手で胸をおさえ、桃の花が咲くように、ゆっくり柔らかく笑うのでございました。
そうして鹿の子、目つきを変え、ゆっくり舞を舞いはじめる。
美しい指先から花びらが舞い散り、森を包み、金長、大鷹の匂いを消してゆくのでございました。「いや、おまえ、なにやってんだよ」
早太郎は歩きながら金長を覗き込み言いました。
「は?」
「いや、どうせこのあと戦だろ?阿波狸合戦っていうくらいだから、どうせ戦がおきんだろ?」
「え、まあ、はい…そうですけど…」
「その鹿の子って娘、さらって一緒に暮らせよ、なにやってんだよ」
「は?そんなことしたら戦になるじゃないですか」
「いや、どっちにしてもこの流れだと戦になるんだろ?」
「まあ…はい」
「じゃあいいじゃねえかよ、おまえ何やってんだよ、ったく。大鷹ってやつの気持ちが手に取るようにわかるわ。大鷹ってやつと酒飲みてえわ、俺」
唇を尖らせ、俯く金長。
南国の島。
仲村久蔵が話す阿波狸合戦を聴きながら、三人は密林を進み、早太郎、狐、金長の三匹がついてゆきます。
「いやあ、もうぅ、そのぉ、過去のことなんでぇ、ちょっとぉ、あのぉ、ほじくりかえすのやめてもらっていいっすかねぇ?」
金長がいらいらした顔つきで早太郎に詰め寄りますが、早太郎は耳の後ろをかいて呆れた顔をしております。
「人間への恩返しも大事かもしれねえけどよぉ、お前を慕ってくれてる女のたぬきがいんのに、それをほったらかしてたぬきよりも人間とるって、なんかこう、あー、もう、なんか、あーもう、なんなんだ一体お前?」
「…いや、そのぉ、だからぁ、100年前のことなのでぇ、ほじくり返すのやめてもらっていいすかねぇ?まじで関係ないでしょ、早太郎さんには」
その横で、狐はくすくす笑っております。
一方、仲村は話の続きを喋ります。
「夜の津田の山を駆け、小松島へと逃れる二匹のたぬき、金長、大鷹。
月もない、道もない藪を駆け抜ける。草木が邪魔し、なかなか前に進めない。
一方その頃。
四天王の四匹、金長たちの宿の屋敷をとり囲む。
津田川島の兄弟の兄、九右衛門。
津田川島の兄弟の弟、作右衛門。
屋島の八兵衛。
多度津の役右衛門。
それぞれ刀を抜き、襷をかけ、討ち入りのような出で立ちにございます」