人にがっかりするっていうこと。
子供の頃、ふと目覚めると手のなかにあったUFOが消えていました。
ある日、僕は水色の UFO を手にいれるのです。イメージとしては、トミカのミニカーのUFOバージョンです。水色の塗装で、黄色の窓。底面には三つの半球の膨らみと、トミカっぽい車輪がついていました。
そのUFOは、父親が、おみやげにくれたもの。うわなにこれなにこれすごいすごいとべるのとべないのとべなくてもかっこいいすごいすごいと、とてつもなく喜んでいた僕は、眠る時、それを握りしめて眠りました。
でも、ひとつ問題があります。僕はそれを夢の中で、父親からおみやげでもらい、夢のなかでそれを握って眠っていたのです。
なので、そのUFOには実体がありません。3歳のころの僕の脳波でしか存在していないんです。でも、水色で、底面がぷくぷくして車輪がついていて、4センチくらいの全長で、黄色の窓で、って情報だけがしっかり脳に残っています。鉄の質感や重さ、ひんやりした冷たさまでしっかりと。
翌朝、目覚めたときに、それがないことに気がつきます。しばらく部屋を探すのですが、あるはずもありません。父親にも母親にも聞きます。ねぇ、昨日のUFOは?って。もちろん二人は知るよしもありません。「は?」という答えだけが帰ってきます。
あると思って信じていたものが、実は存在していなかった。
父親に必死に形状を説明して、買ってきてもらうようにお願いしました。父親は店をまわったりひとに聞いたりして探してくれたようですが、UFOやらで遊ぶ子供やらこいつぐらいやろうけん、業者も作らんやろ、そげなもん。と母親にこぼしていました。やはり存在していませんでした。
鉄の質感。重さ。色合い。そして、夢だったとわかったときの失望。そして、現実に存在せず店にも売っていないと理解したときの絶望。結構、強烈な記憶です。
最近、ひとにがっかりすることが増えてしまったな、と思います。そして、勝手に期待や信頼をしていたことに気づきました。ほんとは、最初からなかった。僕が勝手に信頼や期待をかけていただけなんじゃないかと。
そもそもが、僕は君のこういう部分を信頼していて、こういう結果を出すという風に期待しているよ、なんて声をかけていません。だいたい自分のなかで勝手に基準点を設けて、それを下回ると、期待してたのに、信頼してたのに、ってなる。がっかりしちゃうわけです。
信頼とか期待とかって、あのUFOとまったく同じで、実体がありません。実体化させたいのであれば、契約書を交わすべきなんです。
こういう風に信頼しているから裏切らないでよー。こういう風に期待しているから達成してほしいよー。
って。
人にがっかりして、失望したくないのであれば、会話で確かめ合うことが必要です。上司だろうが部下だろうが、親子だろうが。そして、お互いに合意の上で達成出来たり結果が出なかったりすればどうやったら出来るかを話し合えばいい。というシンプルな図式です。
勝手に期待して信頼して、がっかりするのって、
こちらも辛いし、あちらも辛い。
最初から、UFOは手のなかになかったんです。