高校の日本史の最後の授業の話。後編
僕が卒業した学校は生徒が十代の人々や社会人や重い持病や障害を持っている人、高齢者。その高校には文字通り盛りだくさんの生徒がいました。
日本史の先生は40代半ばくらい。小柄で短髪。日焼けしていてよく声が通りました。
その先生は歴史上の人物を教科書の中の人物としてではなく、生身の人間として僕たちに「紹介」しました。その人物がなぜ歴史上の出来事を起こしたのかには「理由」や「感情」があるとして、歴史上の人物のものまねをよくやっていました。
今まで受けてきたの歴史の授業は、教科書の中のただの「文章」でした。年号や人の名前を記号として覚えて暗記するだけのものでした。しかし、先生の授業を通せば、そこに生身の人間がいて、苦しんだり嫉妬したり希望を持ったりしてもがいた人間の痕跡を感じることが出来ました。
卒業の年、最後の授業の日がやって来ました。
そして授業時間残り10分というところで先生が教科書を閉じました。僕の高校の日本史の最後の授業の終わりの始まりです。
先生はジョン・レノンの「イマジン」を流し始めました。
「今回の授業でこの学校を卒業する方もいると思うので、少し時間を使わせてください。まず、お仕事されながら、大変な中、卒業をされるみなさん本当にお疲れ様でした。本当に大変だったと思います。
今回の授業に出席している皆さんを見ると、ほとんどの方が働いていらっしゃるかなと思います。なので、皆さんも社会人、そして私も社会人ということで、先生と生徒ではなく、対等な立場としてお話をさせていただきます。
私の仕事は皆さんご存知の通り日本史の教師をしています。もしこの中で「え!日本史の教師だったんですか?!」って今気づいた方いらっしゃったら手を挙げてください。いないですよね(笑)
日本史の教師になって私は日本で起きた歴史上の出来事を生徒さんたちに教えてお金をいただいて、今までご飯を食べてきました。
教師になりたての頃。自分は何を教えてるんだろう、なんで日本史を教えるんだろう、何か意味があるんだろうか、なんで俺って先生になりたいって思ったんだろう・・・・。
僕は何もかも分からなくなっちゃったんです。心が疲れていたのかもしれません。それは分かりません。でも僕は仕事を休みました。しばらく休んで歴史上の様々なところに行きました。
いろんなところに行っているうちに、自分ではわかっていた気になっていたけれど、教科書の中だけを見て皆さんに本能寺がこうなんだよ浦上天主堂がああなんだよと話をしていた自分が嫌になりました。
もっと本当に自分自身がいろんなことを学ばないといけない、知らないといけないんだとそう思うようになりました。なので今でも休みの日は、できるだけ旅行に行き、歴史上の現場を楽しみに見に行くようにしています。家族はもう飽き飽きしているかもしれませんが(笑)
様々な場所に行きましたが、最も印象的だったのは韓国での出来事です。38度線に行ったんです。北朝鮮と韓国を分けている国境です。ところでみなさんご存知でしたか、北朝鮮と韓国はいまだに戦争中なんですよ。終戦ではなく停戦です。戦争をしていないだけで、終わったわけではないんです。戦争中なんです。
僕がその38度線に行ったときのことです。北朝鮮軍と韓国軍の両方の兵士がそれぞれの国に立っています。そして38度線という線があるんです。こちら側は韓国、向こうが北朝鮮。
あたりはピリピリとしていて、本当にいま今すぐ誰かが大声を出せば戦争が始まるんじゃないかという凄い空気が流れていました。僕が何か変な動きをすれば撃ち殺されても文句は言えない、そんな空気でした。
日本に住んでいると、ああいう空気は感じることが出来ません。鉄砲こそ撃っていないものの、これが戦争の空気なのか、と僕は冷や汗がでました。
話す言葉は同じ。見た目も同じ。でも、境界線を境にまったく違う思想を持つに至り、そして人と人が殺しあうんです。これが世界中で起きています。事実です。いまこの瞬間、皆さんが日本史の最後の授業でおじさんの長話を聞かされているこの最中に人が撃たれて死んでいるんです。
38度線を見ていると鳥の鳴き声がしたのでふと空を見ました。韓国側から北朝鮮側に大きな鳥がゆるやかにのんびり幸せそうに飛んでいくのが見えました。
鳥はあんなに自由に飛んでるのに、線ば勝手に描いてこげんことしとるとは人間だけばい、と思いました。その時に自然に「これを教えないかんとたい」と思いました。
皆さんも、昔のことを思い出してああしとけばよかったこうしとけばよかったって思うことがたくさんありますよね。日本史、世界史は今まで生きてきた人間たちの失敗と成功と努力の物語が詰め込まれています。
僕は年号を覚えてほしい、将軍の7代目が家継だと知ってほしいとは思っていません。勉強として覚えなきゃいけないことはありますが、知ってほしい事はあなたと同じように歴史上の人物やご先祖様たちが生きてきて、悩んで苦しんで間違って努力して成功して、そして今があるということなんです。
たくさんの失敗が確かに歴史の中にありました。そして皆さんは日本で生活している日本人です。もし違う国籍の方がいたらごめんなさい。そしてこれからの歴史を作るのはあなたたち若い世代の方たちなんです。
ただ年号を覚えてもらうだけじゃなく、先人たちのしてきた努力の恵みに感謝して、先人たちの失敗を繰り返さないようにして、そしてみなさんに先人たちよりも幸せで平和に豊かに暮らしてほしい。僕が日本史の授業で伝えたかったことはこれでした。僕はそれを日本史を通してお伝えしたくてここに立っています。
時間が来ましたので、これで日本史の授業を終わりたいと思います。皆様ご清聴いただきましてありがとうございました!」
勉強と仕事って似ています。
勉強する意味も仕事をする意味も人それぞれですが、僕はこの先生から勉強する意味や仕事をする意味を両方教えていただいたように思います。
先生ありがとう。
最後の授業が終わった後に、エロい年上の女性が、「君、もう、卒業するの?今度さ、ちょっと遊びにいこうよ、どこがいい?」と、
声をかけてこないか待っていましたが、もちろん何もありませんでした。
もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。