「つくね小隊、応答せよ、」(29)
「金長の旦那!きいたぜ!大鷹がやられたってな…ちっくしょう六右衛門のやろうめっ!力にものを言わせて汚えことしやがって!!この庚申新八っ、旦那の方につくぜ!!!」
はちまきを巻き、体格がよく、大きな槍を構えたこのたぬき。
佐古の庚申さまの社に住みついておるたぬきで、庚申新八と呼ばれております。
「大鷹とは姉と弟みたいなもんだよっ!弟やられて、黙ってる姉貴がどこにいんだいっ!金長さんっ!あたいもこっちにつくよっ!四天王だが天然痘だか知んないけど、そいつらの金玉ねじ切って提灯にでもしてやるよっ!」
と意気込んだのは、これまた体格のよい女のたぬき。大鷹と大酒の飲み競べをして、大鷹を何度か潰したほどの女。大きな薙刀を携える、臨江寺に住むお松と申します。
「おぉぉ、金長、大鷹が死んだのか。そうか…金長、さぞ辛かったろうに、大鷹はいい男だったよ…うん、いい男だ。
…津田の奴らはひどいことをしやがるなぁ…のう、金長、わしもこの戦に参加させてもらうぞ」
金長も兄貴分として慕い、そしてほかのたくさんの狸に慕われている老たぬき 衛門三郎。
化け術、戦術に秀でており、武器を持ちません。杖を一本携えております。
「金長殿!遅れまして申し訳ございませぬ。この太左衛門、大鷹の剣の指南をしておりました。弟子の命を奪われ、黙っておっては剣が泣きます。ぜひ、わたくしめも参戦したく存じます!」
田浦の太左衛門。
見るからに腕の立つ剣士といった出で立ち。それもそのはず、たぬきの身分にありながら、人間に化けて北辰一刀流を学び極めた、たぬきでございます。
数日後の夜。
金長軍は、勝浦川南側の森の中に集結しました。その数、400。
みな鎧を身につけ、武器を携えております。
「金長さま!わたくしたち兄弟も、戦わせて頂きます!」
と言ったのは、大鷹の子、小鷹。その脇には、弟の熊鷹が真一文字に口を結んで、金長を見上げています。
金長は腕を組み、考え込みました。
15の小鷹はまだいいとしても、熊鷹は7つの子だぬき。
大人のたぬきたちが本気で刃を交える場に行ってよいとは、大将として言えません。
「小鷹、お前はいいとしても、熊鷹はさすがに無理だよ、早すぎる」
「はい。わたくしもそう思いました。けれど、熊鷹はそうは思っておりません。行くと言って聞かぬのです。それでわたくしは、母上に相談をしました」
「うん。母親は止めるだろう。熊鷹、わっちも母上も、お前を戦の場に連れていきたくはない、だからお前は、小松島で、」
「いえ、金長さま。母上は、熊鷹に行ってきなさい、と、そう申しました」
「え?は?え?いまなんて?」
「母上は、熊鷹に、“行ってきなさい”と、そう申しました」
「…え、そうなの?え?な、なんで?」
すると、口を真一文字に結んだまま、うるうるとした瞳の熊鷹、1歩踏み出し、説明を始めました。
大鷹の家。
大鷹の位牌には、線香が供えられていて、母と子らが3匹、向かい合っています。
ちいさな熊鷹は、泣き腫らした目で、しゃくりあげながら、怒ったような顔をして正座しています。
小鷹が、話し始めました。
「母上、実は、熊鷹が、戦に行くと言って聞かぬのです。幼いから危ない、遊びじゃない、お前は家で母上を守れと言っておりますが、まったく聞きません。母上、熊鷹に言って聞かせてやってくれませんか…」
母は、大鷹の位牌を見つめました。今日は風がなく、線香の煙がとてもゆっくり、薄墨でひいたまっすぐな線のように、天井に立ち上ってゆきます。その煙の行方を見つめたあと、ゆっくりと、ふたりを見ました。
「…熊鷹や、お前は、ダメだと言っても、わたしが必死でお願いしても、行くのでしょう?夜中に抜け出してでも、お父様のために行きたいのでしょう?」
熊鷹は、涙を拭って、ぶるんとうなづきます。
それを見て、母は、聞こえないくらいのちいさな短いため息をつきました。
いや、もしかするとそれは、ため息ではなく、深呼吸だったのかもしれません。2匹の子らは気づいていませんが、母の指先は小さく震えているのです。
小鷹が熊鷹に言いました。
「熊鷹、気持ちは分かるが、やはりお前は残りなさい。お前にもしものことがあったら、わたしは父上に顔むけができ」
「おにいだけがおっとうの子供でねぇ!!」
熊鷹が立ち上がり、大声で言いました。
「おらもおっとうの子だ!!
大鷹の子の、熊鷹だ!!
な!なんでおらだけ!なんでおらだけおっとうのためになんにもできねぇんだ!!
おっとうの葬儀のときも!
体がちいさいから、棺も運ばせてもらえねぇ!ただ泣いて、ぜんぶ見てただけじゃ!
おらはおっとうに、
なんにもしてやれねえ!ずっとくやしくて泣いとるだけじゃ!
いやじゃいやじゃいやじゃ!
もう、泣いとるだけはいやなんじゃ!
おらは大鷹の、おっとうの子じゃ!
小松島のみなが戦っておるのに、父上を殺されておるのに、この畳の上に座っておるなんて、そんなことはおらはいやじゃ!
誰が止めても、おらは行く!
死んでもいい!死ぬ気でおらは仇を討つんじゃ!」
ぱちんっ
母が熊鷹の頬を打ちました。
いつも優しくて、1度も手を上げたことがない母が、熊鷹の頬を打ちました。
母は、震える強い声で言いました。
「あの方は、おまえたちに死なれてまで仇をとってほしいだなんて絶対に思っていません。
小鷹、熊鷹、お前達が死ぬ気で仇をとろうと思っているなら、わたしはふたりの出陣を許しません。お前達が行くというのなら、わたしはこの場で自害します」
小鷹、熊鷹、呆然と母を眺めています。優しかった母が、こんなに声を荒らげることはなかったからです。
「小鷹、熊鷹、戦に行くのは、死にに行くことなのです。分かっていますか?」
2匹はうなづきます。
「お父様の大事な、宝物のようなあなたたち2匹の命が、何者かの手によって奪われるかもしれない、そういう場なのです」
2匹は、うつむきます。
「戦に行って、ぼーっとしていれば矢があたり、簡単に死ねます。死ぬのは簡単です。死ぬ覚悟なんて、まったく意味の無いことばです。戦場で死ぬなんて誰にでもできます」
2匹は、何も言えません。
彼らは父上の仇を、なにがなんでもとることしか考えていなかったからです。
2匹のたぬきは、黙ったまま畳を見つめ、母は2匹を見つめています。
沈黙の畳の部屋。
煙だけがゆっくり上へ動いています。
「行ってきなさい。あなたたちが仇をとらずして、誰がとるのですか。行って、仇をとってきなさい」
2匹とも顔をあげました。
先程までとは真逆の言葉です。
「父を超えるのが息子のつとめです。
お父様は、小松島のみなを、金長さまをお守りするために討死なさいました。
ならば、あなたたちはさらに大きな働きをせねばなりません。
あなたたちは、
金長さまを、
小松島を、守り、
そして、お父様の仇をとるのです。
でも、それだけでは絶対にだめ。
最後のことが守れないなら、
戦には行かせません。
よく聞きなさい」
2匹は、小さくうなづき、母の顔を見つめます。
「仇をとって、
無事に2匹とも、
ちゃあんと、
帰ってきなさい。
お母さんの作ったご飯を、
帰ってきて、
元気に食べなさい。
それが、母からあなたたちへの願いです。
…さあ、早く支度をなさい」
戦は、戦場でのみ起きておるのではなくて、家庭の中でも起こっていることなのだと、金長は思いました。
2匹の息子を、戦場にひとり送り出す母の気持ちを思い、金長は涙ぐみました。
「よし、わかった。一緒に戦ってくれ。そして、小鷹、熊鷹、これは、わっちからの命令だ」
金長は2匹の肩に手を置いて目を見つめて言いました。
「死ぬな。いいな?」
2匹は深くしっかりと頷きます。
そして金長は、声をあげました。
「お竹!お竹はいるか?」
金長のまわりのたぬきたちは、きょろきょろとあたりを見渡しますが、誰も現れる気配はありません。
けれども、女の声で返事が返ってきました。
「はい。すぐおそばにおります」
「出てきてよ」
「はい」
すると月明かりに照らされた金長の影の中から、深藍の忍装束を身につけたくノ一のたぬきがぬるりと出てまいりました。
「え!わっちの影に化けてたの?相変わらずすごいね!お竹!」
「金長さま、御用にございましょうか」
お竹は顔を伏せたまま金長に訊ねます。すると金長は、答えました。
「お竹、わっちの護衛はいいから、この小鷹熊鷹の戦いをさ、手助けしてやってほしいんだ」
「し、しかし金長さまっ…」
お竹は、不安げな顔で金長に詰め寄ります。金長は、お竹の両肩に手を置き、諭すように言いました。
「お竹、お前にしか頼めないからさ…頼むっ」
お竹はすこし俯き、寂しそうに言いました。
「そ、そうですか…金長さまが、そうおっしゃるなら…か、かしこまりましてございます」
どうやらお竹は、金長の護衛がどうしてもしたかったようですね…。
金長、お竹の肩をつかんでくるりと、小鷹、熊鷹の方へお竹の顔を向け、言いました。
「小鷹、熊鷹、この戦は、それぞれが全力で戦う戦になる。だから、わっちもお主たちの助太刀ができないような時もあると思う。だから、このお竹を、お前達の影につける」
小鷹、熊鷹は、忍装束のすらりとした美しい女のたぬきにすこし見とれて、すぐに気を取り直し、よ、よろしくお願いいたします、と頭を下げました。
「彼女は、一本松のお竹。大鷹がいないときは、実は彼女がずっとわっちの影となり、護衛してくれてたんだ。気づかなかっただろ?」
2匹のたぬきは、またぼーっとして、お竹に見とれていました。お竹が2匹に挨拶します。
「小鷹殿、熊鷹殿。
金長さまの命により、おふたりの仇討ちの助太刀をさせていただきます。わたくしは忍び。常に影に隠れておきます。姿は見えずとも、常にそばにおりますので、ご安心ください」
お竹がそう言うと、金長が杖を持った衛門三郎に相談をしました。
「衛門三郎さん、六右衛門たちは、どうやって攻めてくるでしょうか。わっちは、あちらからは動かないとみているんですけど」
衛門三郎、たくわえたあごひげをさわりながら、にやりと笑います。
「そうだろうねぇ。どしっと構えて動かない。阿波の元締めとしての戦い方があるだろうからねぇ…金長の言うとおり、こちらの出方を待つだろうねぇ…」
「そうですね、でも、こっちからしかけるには、まず、六右衛門側の戦力を調べないとだめですね…お竹、六右衛門軍の兵力を密偵してきてくれないかな?その数をもとに、作戦をたてるから」
「かしこまりました」
お竹は、片膝をついたまま、ぬるりと地面に消えてゆきました。
小鷹熊鷹が拍手をしました。
翌朝。
金長のそばに、お竹がすすっと現れました。
「お竹、お疲れ様。どうだった?あ、お竹、ちくわ好きだったよね?なんにも食べてないでしょ?ほら、あげる」
小鷹、熊鷹、衛門三郎、庚申新八、臨江寺のお松、田浦の太左衛門が、金長の周りに集まってきます。
お竹は、ちくわをありがたそうに受け取って、ふところにしまいます。
「六右衛門軍。勝浦川北側の森に集結しております。四天王に加え、讃岐より加勢のたぬきたちを呼び寄せているようです」
「数は、どうじゃ?」
衛門三郎があごひげを触りながら訊きます。
「その数、ざっと、800」
お竹が地面を見ながらぼそりと言うと、一同、一瞬息をのみました。
600対400だと思っておりましたが、さらに数が増えて、800対400です。もともと数としては劣勢でしたが、そこでさらに加勢のたぬきを増やしている事実が、六右衛門軍もかなり本気であることが伺えます。
小松島の雑兵のやぶたぬきたちが動揺しているのが感じられました。
衛門三郎が、にやりとして言いました。
「まあ、想定はしておったけれども、まさか800も集めてくるとはなあ…なかなかに…戦い甲斐があるとは思わんか?みなのもの」
するとそこかしこから、鎧を叩く音や、武器をうち鳴らす音が響いてきました。
「元締めとの戦いが、簡単に済むとは誰も思ってねえから、期待通りでよかったぜ」
槍の庚申新八が豪快に言うと、
「そうさそうさ。獲物はでかけりゃでかいほど、狩り甲斐があるってもんだろ?」
薙刀のお松が続けます。
すると、金長軍、動揺した空気から一変、好戦的な空気が流れはじめました。
すると、お竹が続けます。
「六右衛門軍、わが軍を迎え撃つつもりで数日前より森の中に待機しておるようでございます。
そして、かの軍は、軍律厳しく、手勢のたぬきたちは四天王を恐れ、一息つく間も与えられておりません。疲れの色が見え始めておりました」
衛門三郎、ぽんとお腹を叩きます。
「よし、じゃあ、わしがちょっと行ってこようかのおおおうぅ!」
その夜。
六右衛門軍の雑兵に化けた衛門三郎。
音も立てずに、六右衛門軍に加わりました。
整列した六右衛門軍は、暗闇の中、座っています。そこかしこから、小声で小言が聞こえてきました。
「おい、もう5日目だぜ…」
「とっとと進軍して、やっちまおうぜ…」
「いったい六右衛門さまはなにやってんだよ…」
「はやく帰りてぇよぉ…」
しかし、四天王の誰かがそばを通ると、その小言はぴたりと止みます。
衛門三郎、しめしめという顔をして、大声で言いました。
「数のうえではどうせ勝つんだっ!前祝いで酒盛りしてもいいんじゃねぇかんぁ???」
衛門三郎、すぐに石に化け、ころころと森を転げて逃げてまいりました。
だれだだれだ、だれだ今の声は?!と、みながきょろきょろとまわりを見渡します。
けれどもそのうち、
「そうだよなぁ、すこしぐらいいいよなぁ」
「ここ何日も、ろくに寝てねえし、食べてねえんだ…」
「すこしぐらいいいよなぁ…」
六右衛門軍ざわつきだしました。
四天王たちがそこかしこを駆けまわり、だまれだまれ!とたぬきたちを黙らせます。
そこへやってきた六右衛門軍の「千切山の高坊主」化け術に長けた、ちいさな僧のたぬきです。
高坊主は、その様子を見て、六右衛門のところへむかいます。
「六右衛門さま」
「あ?なんだ高坊主」
「兵たちの緊張の糸が切れそうですぞ。そろそろ緩めねば、いざというときに、張れませんでしょう…」
「…」
「たった一晩、兵たちを休ませてやってはどうでしょう。
皆に酒を配り、六右衛門が鼓舞するのです。さすれば、阿波の元締めとしての格も、さらに上がろうというものですぞ」
「…」
待てども待てども金長たちが攻めてこないので、痺れを切らしていたのは六右衛門も同じでした。
ですがここで焦ったように攻めてしまっては、阿波の元締めの顔がまるつぶれです。
逆に、ここで酒盛りをして勝利の前祝いとするのも、元締めとしての余裕を見せつけることになるかもしれない、と六右衛門は思いました。
「よし…じゃあ、一晩だけだ。四天王にもそう伝えろ。俺の代わりに、酒を配ってあるけ、とな」
六右衛門、浮かない顔つきで、陣幕の向こう側へ消えてゆきました。
高坊主、四天王たちに六右衛門と話したことを伝えます。
四天王達が薮たぬきたちに酒盛りの報を伝えると、たぬきたちは飛び上がって喜び、勝鬨のような歓声があがりました。
さっきまで澱んでいた空気が、一気に活気を取り戻したのが一目見てわかります。
衛門三郎、そして彼の護衛についていたお竹が戻ってきました。
「どうだった?」
金長が訊ねると、お竹が答えます。
「衛門三郎さまの計略により、六右衛門軍、酒盛りを始めました。一気に緊張の糸が緩み、大騒ぎしております」
金長、ひとつ頷きました。
「酒盛りは明け方まで続くはず。明け方になれば、夜に動くはずのわっちどもが攻めてくるとも思わないだろう。
だから、わっちらは、明け方、総攻撃をしかける!!!!
あ!でも!!!
たぬきらしく総攻撃するから、ちょっとみんな集まって!」
金長、たくさんのたぬきを集め、こそこそと作戦会議を始めました。