スキ
言葉は、絆創膏。
言葉は、毛布。
言葉は、翼。
言葉は、錨。
言葉は、帆。
言葉は、剣。
言葉は、棘。
言葉は、ナイフ。
言葉は、焚き火。
言葉は、眼差し。
言葉は、愛撫。
言葉は、盾。
言葉は、毒。
言葉は、炎。
言葉は、酒。
言葉は、お守り。
言葉は、砂。
言葉は、泥。
言葉は、畑。
言葉は、光。
言葉は、使い。
言葉は、種。
言葉は、灯火。
言葉は、反吐。
言葉は、思考。
言葉は、窓。
言葉は、薬。
言葉は、思い出。
言葉は、わたし。
言葉は、あなた。
言葉は、金。
言葉は、過去。
言葉は、あの人。
言葉は、鋏。
言葉は、未来。
言葉は、動物。
言葉は、嘘。
言葉は、ごみ。
最近、アイルランドの笛ティン・ホイッスルを仕入れて、練習している。運指っていうのかな、笛の穴押さえる動き。「風のミルク」を書いていたときに流していた曲を練習しているのだけれど、まったく動画と違う音が出てしまう。あれ、こんなに、音だすだけでも難しいの?吹けばいいだけじゃなかったの?動画の人々の音色を実現するのは、とても遠い道のりじゃん。この感じ。
音色が違う。厚みが違う。温度が違う。運指の滑らかさが違う。まったく違う。やっぱり、自分でやってみないと、本当の難しさや、すごさはわからない。笛なんて、吹けばいいだけだと思ってた。そして任意の音を出すために、指を動かして音色を変える。それだけだと思っていた。
ブルースハープ(長渕が吹いてるハーモニカのこと)だって、息の入れ方で音が変わる(ベンドという)。だから、笛も息の入れ方で音色が変わるのは理解できる。でも、僕がこのティン・ホイッスルで感じたことは、なんだか、技術で音色を変えるとかっていうものではないような気がする。
昨日、お嫁に絵本の読み聞かせをした。
「ミシュカ」という本と、「ビロードのうさぎ」という本。
本に書いてある文字を、気持ちを込めて読んだ。すると、年上のお嫁は、目に涙を浮かべて絵本を見つめていた。食い入るように、絵本を見つめていた。僕も絵本を読みながら、「絵本っていいなぁ」と心から思った。
絵本って、文章って、適当にも読める。丁寧にも読める。
そして息なんかなおさら、適当にも出せる。丁寧にも出せる。けれども人間は、意図をもって、気持ちを込めて、優しく丁寧に繊細に息を出すこともできる。
息を出すって、赤ちゃんも生まれて最初に出来る子の方が多い。その息で演奏する「笛」だから恐らく、誰でもできる。音を出すことは、おおよそ誰でもできる。でも、僕と、動画の彼らはまったく音が違う。もちろん練習が足りないってこともあると思う。そして、楽器も高いものを使っているのかもしれない。そういうこともあるのかもしれない。
でも、たぶん、やっぱり、すごく月並みな言い方をするならば、想いが違う。想いが、気持ちが息づかいに出てる、と僕は思う。すげぇなぁ、こいつら。と思う。
言葉は、口先や小手先からも出る。でも、想いから出る言葉は全然違うと思う。想いは、口先からは出てこない。
小手先の技術でも、言葉は使える。想いなんてなくても、言葉を駆使することはできる。でも、いづれ、ばれる。誰かに気づかれる。金魚すくいのあの薄い紙のように、ただ駆使される言葉はすぐに磨耗する。だからすぐにばれる。
言葉は、ごみ。
言葉は、うそ。
僕はそう思う。うん、そうだと思う。
でも、
だから僕は、想いを感じたあなたの記事に、スキをする。
うまいだけの言葉なら、世の中にたくさん溢れている。テレビでもラジオでも雑誌でもインターネットでも、文字は簡単に溢れてる。
僕は、今日もあなたのnoteに、想いを感じたnoteに、スキをする。
あなたのことだよ。
あなたのnoteにスキと言う。