もう1つの自己紹介(おばあちゃん子の) 退屈→怒って怒って→想像して→心を寄せるまで
はじめまして。りゆーすの自己紹介をします☺
特記できる特技や職歴、経歴など、培った物がない(^0^;)
ので、幼少期に耕された私の土壌を書かせて頂きます。
10年一昔(ヒトムカシ)と言う言葉を実感している最中なので、私の幼少期は遙か昔。それを書くのは、とても恥ずかしいのですが、当時の体験が心のベースになっているようで、ここに記したくなりました。
少しだけお付き合い下さい。
1973年生まれ。ベビーブームと言われて育った世代です。
中野区の保育園を中途退所して品川区に引っ越した時の話です。
「わずかな期間だから幼稚園とか保育園には入らなくても良いわね」と大人が話し合った結果でしょう。私は小学校に上がるまでの半年間をどこにも所属せずに過ごしました。
目的のない時間
両親はお店をやっていたので昼夜を通して居たりいなかったり。友達と遊びたい盛りの6歳は、寝ても覚めても祖母と二人きりで過ごしていました。祖母も中野のお友達と別れて新しい地での生活。きっと寂しかったと思いますが、私は自分だけが辛い思いをしていると思って気が狂ったようによく泣き叫んでいました。
公園⇔ごっこ遊びのエンドレスループ
近くにある交通公園という大きな公園には、実物の船や電車やD501という機関車などがあり、その中に入ったりよじ登って遊べました。小さな子どもしかいない時間に、私はまるで貸し切りのように走り回って遊びました。私の気が済むまで見守る祖母。
お昼ご飯を食べた午後、今度は家での遊びが始まります。
まずおもちゃの入った引き出しを全部出して床に置きます。
そして、、、
「いらっしゃいまあせ~」
お店屋さんごっこです。
祖母がエプロンで手を拭きながらやってきます。
「はい。何にしますか?」
「あらあ、じゃあこれください」
「はい。10円です」
「はい」
「ほかはどれですか?」
「あ、じゃあ、これと・・・これもお願いします」
「はい。これとこれですね。ちょっとおまちください。いま袋につつみますので」
「はい」
・・・・・・・
この包んでいる時間が大好きです。紙袋だったり包装紙に包んだり。ビニールではなかったな。割と長い時間をこの作業に費やします。時には脱線して、包装紙を切り貼りして袋を新しく作ったりもします。その間祖母は私の手元をじっと見て待ちます。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
「またおいでください」
「はい」
祖母退出。
・・・・・・・・数秒の間
「いらっしゃあいませ~」
・・・・・・・・
エンドレス∞∞∞∞
いつまでもお店屋さんをやりたい自分と、終わりがなくて困る祖母。多分そうだったのでしょう。祖母は1人で遊びなさいとも言わずに何度も付き合ってくれるのですが、結局いつも、祖母しかいないことにイライラして私が泣き出してお店屋さんをぐちゃぐちゃにする。。。終了
☆明日はお弁当を持って公園へ行こうと決めていた日
翌日は土砂降りの雨。今日行きたいと泣いて怒る私を連れて公園に行ってくれた。4人乗りのブランコの上に傘を引っかけて、2人でお弁当を食べた。私は大満足だったのと同時に祖母と2人の世界が永遠に続くような悲しみを感じていた。楽しくて仕方ないのに友達がいない寂しさ。
祖母に当たり散らしてエネルギーの発散。
☆入れない○○○
ある日はいつもより早く目覚めて、公園に行きたいと駄々コネ。外に出ると何やら同じ年の子達が集まってどこかに歩いて行くではないか。私は仲よさそうなその子達を観察しているうちに後ろをついていった。離れたくなかった。着いた先は幼稚園だった。
門から先に入ろうとする私を、祖母は優しく止めた。泣きわめいたかは忘れてしまったが、格子状の柵を握って同じくらいの子達が走り回っている中庭を恨めしく?いつまでも見ていたのを覚えている。その間、祖母は寄ってきた保母さんと、柵越しに会話をしていた。入れて欲しかった。しばらくは、そこに行きたいと、泣いたのだろうか。その後も何度か門の所まで行って中を覗いていたような気がする。
辛抱強く決して怒らずにそばにいてくれた祖母
祖母がいてくれるのに退屈で仕方なかった。むずむずして昼夜問わずに当たり散らして大泣きする私を、なだめたり怒ったり、説得したり、諭したり、そういうことをまったくしない人だった。とにかく私の言うことを聞いて頷き、笑いかけてくれた。そしてやって欲しいことを何でもしてくれた。お裁縫の仕方を教えてくれた。同じ絵本を何度も何十回も読んでくれた。
人生のたった半年間なのに、そばにいてくれる人の有り難さ。どこかに所属していられることの喜び。誰かと遊んだり話したり出来る嬉しさ。無償の愛の大切さ。わがままは寂しさからくるってこと。そんな人生の機微ををたくさん教わりました。
なんて愛しい時間よ・・・
思い出すだけであの頃の祖母と私を抱きしめたくなります。
退屈の先に得た想像力と心の使い方
時間や自然に左右されない行動が最初は楽しかったはず。
けれど
どこまでいっても終わらない様な時間に
寂しいという気持ちが芽生え
仲間を渇望した。
そして
どんなに泣いてもわめいても
現状は変わらないと感じた日々。
旅行なら退屈した頃に帰れるけれど、
そこは退屈してからが本番だった。
膨れていった想像力。
余りにもヒマで、詩のようなものを書き連ねて眠った夜。
祖母に永遠と読ませた1冊の絵本。
ひたすら同じ歌詞を歌いながら
終わらない落書きを続け、そこに言葉を付ける。
常に想像と現実の境界線にいた時間。
晴れて小学校に入学の日には
1人でも大丈夫という自信が付いていました。
どこかに所属して、そこに通えるだけで幸せだったので
基本1人でも平気になりました。
無条件に見守ってくれた祖母からの愛情と
退屈を乗りこなしてきた毎日がセットにあったからついた
不思議な自尊心です。
入学後も祖母と過ごす時間が一番長かったので、私はおばあちゃん子です。外であった嫌なことを祖母にぶつけ、祖母の膝で過ごし、寂しいと祖母と一緒に寝ました。祖母の機嫌がどこに向いていようと、私を全力で受け入れてくれて、一度も拒否されたことがありませんでした。
特別なことをしなくても、そばにいる人に心を寄せる。
そうやってくれた祖母にはどんなに感謝しても足りません。
だから私も
そばにいる人に心を寄せたい
深く知らなくてもいいから
出会っている時だけでもいいから
大切に向き合いたい
気持ちがいっぱいあります。
得意な事は何もない😹😂4人のママです。
日常は
👗心を寄せたいので接客のパート
🌺趣味でフラダンス
🍚想像力を活かしたいのでフードバンクスタッフ
これが最近の生活です。
フードバンクのお手伝いはずっとやりたかったことです。
日記のように呟きを載せています⬇
社会や家庭で余った物や使わない物を回していける仕組みをあちこちに仕掛けられないかと日々考えています。物がなくてもみんなが支え合う世の中の一部分にしたいです。
最初の夢♡芸術の日常化
絵を描くのが好きな方がたくさんいらっしゃる♡
絵を販売して、売り上げの半分はアーティスト。半分は食品の購入に当てて生活が大変な方にシェアする。そんな取り組みをしたいです。
生活に困っている方にも絵や作品を創作できる人がいたら、絵を売って食品を得る事が出来る。言うが易しで、実際には個人で絵を売るのは簡単ではないみたい。でも団体を通すことでそれが可能になったりするんじゃないだろうか。そんな理想の形を実現に向けるために書いている小説が
「こんなふうに」です⬇
また、24年の子育てで唯一続けてきた「絵本を読む毎日」と「学校での読み聞かせ活動」の中で友達になった絵本達を別のアカウント「ねこよんこごころっこ」で記事にしています⬇
「りゆーす」は地域の活動なので神奈川県に在住で
「ねこよんこ」はその限りではない・・・浮遊した心というイメージです
物との付き合い方を表現した捨てない物たちシリーズもあります⬇
大切な物たちを捨てないで手放す方法を考えています。
ぜひ読んで頂けたら嬉しいです☺
長くなりました💦
ここまで読んで頂きありがとうございます🙇
追伸
2016年の連続ドラマ小説「べっぴんさん」の中で、坂東 すみれ(芳根京子さん)がご主人に「いつも自分を見ていてくれてありがとう」と言うような場面がありました。ご主人は、何も言わないんだけれど奥さんが何をしているのかをちゃんと見ていてくれる人です。その言葉を聞いたときに祖母への想いが溢れました。
いつも何をしているのか、ただ見ていてくれた祖母。そして父母兄も。
それがどれだけ幸せなことだったか。
感謝をしながら
出会った人に心を寄せています。
きっとお空でも私を見ていてくれるね。
どうもありがとう。