古川柳かづみ読みvol.4:テーマ「息子」
これまでの「自分語り」から「句の読み」に入り始めていますが、まだまだ笑ってもらおうとしてイタイ箇所がいくつかあります。今回も優しい目で読んでください。
▽まえがき
わたし、これでも家父長制度を色濃く残す家風で育てられた人間なのです。家庭内序列がきっちり決められており、基本は男尊女卑思想。男を立て、それに仕えるのが女、と教え込まれていたのですよ。ホントに。
というと、“現代的”な家庭な人には「理不尽な育てられ方をしたのね」と言われたりしますが、さにあらず。娘には甘い父につけいり、やりたい放題の日々。アニキは「ダメ」と言われたことが、わたしだとあっさりOKされたりね。いやあ、息子はツライですね。
で、今回のテーマは「息子」です。
▽左遷(さすらえ)の身だと銚子でまだしゃれる
古川柳の“息子”は、ほとんどが「馬鹿息子」。遊び好きのお気楽ボンボンが大半です。ま、“真面目な息子”より、馬鹿息子の方が「川柳の題材」として面白いからでしょうね。
古川柳で「銚子」といえば、勘当された息子が行く土地となっています。一説には、銚子では身元不明の人間でも漁師の手伝いに雇ってもらえたということなので、“親類縁者に見放された勘当息子が行きつく先になったらしいです。その「銚子」でも、ロマンティックな「さすらいの身」などと嘯いている馬鹿息子。つける薬、ありませんね。
▽あの金をどうするのだと息子いい
息子は手元不如意なのであります。父親が苦労して貯めたお金を遊興費に遣おうと狙っての発言ですね。親父殿は、さぞかし頭を抱えたことと思います。おそらく「どうするもナニも無い!」と一括したと思いますが、親父殿の死後、馬鹿息子はこんなことを言ったりしますからねぇ。
女郎買う金をおやじはためて死に
▽お袋をおどす道具は遠い国
父親より母親がこどもに甘いのは、いつの世も変わらないのでしょうか。母親も息子の放蕩には腹を立てても「金が無いと遠いところへ蓄電するしかない」と言われると、出さずにはいられない。
わたしも前後理屈抜きで「どうしても要るんだよー」とお金をせびるのは、母でしたね(父相手だと使用目的を問い質された)。……あれ? わたし、放蕩息子寄り?
▽どうするか見ろとお袋どうもせず
そう。母親は怖い顔見せても、結果的には何もせずにいることを息子は知っているのです。ナニを言われても、金をもらった時点で“オールOK”になるのが、放蕩息子(と、放蕩娘のわたし)。あー、極悪人ですねぇ。
母親はもったいないがだましよい
▽わがどらを先へ話して意見也
この句、主語はないですが、父親や母親とは考えにくいです。親戚のおじさんか、ご近所の御隠居さんか。“わがどら”すなわち、自分の若かりし頃の放蕩ぶりを話して、「おまえの気持ちもわかるが…」と言った上で、戒めるのは、強面で説教する役割の人ではないでしょう。体験者の話だからこそ、馬鹿息子も聞く気になると思いますからね。
▽太鼓持がっかりとして娵(よめ)に逢ひ
馬鹿息子に、総領息子の自覚を持たせるため嫁を迎えるというのはよくあったようです。
太鼓持ちは、遊ぶ若ボンにくっついてこそ成り立つ商売。嫁をとられちゃ、金蔓を一つ失うことになります。嫁に引き合わされたところで素直に祝福出来ず、がっかりするのも当然なことですね。
▽勘当の噂に遣手泪ぐみ
嫁をとって放蕩時代に終止符を打つ息子もいれば、勘当で終止符を打つ息子もおり。
この句、“冷酷無比な遣手(遊女を虐げる悪者役割)にも、勘当された男の境遇を思って泣く情けがある”と解釈して、イイ話的な意味合いで鑑賞する向きもあるらしいですが、わたし、初めて読んだ時「あんなに儲けさせてくれる人がいなくなってしまった」と、遣手が悔し涙を流してる句と解釈したんですよね。わたしのココロ、汚れてます?
▽勘当を許すは母の産(うみ)直し
もう一度再教育をする気持ちで勘当息子を受け入れるという意。勘当がどういうタイミングで許されたものかはわからないですが、懲らしめてのち許すことはよくあった模様です。
といっても、許すタイミングを逃して、
▽どらにあいたいがまつごの願(ねがい)也
という事態にもなっていたようです。さんざんワガママ放題されて勘当したドラ息子に、死ぬ間際に逢いたいと思う親心。勘当した後でも、そういう気持ちでいてくれるのが親だと信じたいですね…不肖のドラ娘としては。
▽そさう也 戒名忘れ南無おやぢ
やみくもな若い季節を過ごして、親父殿の跡を継いだ息子。けれど、仏事に熱心であったわけはなく、いざ法事の場で戒名を失念して「南無……おやじ!」と叫んだという句。確かに、仏事の場では“粗相”ですね。
でも、そう叫ばれた親父殿は「しょうがねえ奴だな」と苦笑しながら、嬉しかったのではないかと思います。法事に参列した一同も、きっと、微笑ましさの表情を浮かべたはずかと。“粗相”と決めつけた言葉に込められている逆説の温かい視線が、川柳というもの。
わたしの父親も、わたしの甘えた「おとーさぁん」より、切羽詰まって叫ぶアニキの「おやじ!」の方が、胸に沁みたんだろうなぁ。
現代川柳研究会「現代川柳」2012年11月号掲載分を加筆修正
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