古川柳かづみ読みvol.8:テーマ「医者」
この回はお医者様でもある先輩作家の平尾正人さんに「気持ちが引き締まりました」って褒められました。褒められるのはいくつになっても嬉しい。
▽まえがき
私事ではありますが。今年に入って、生まれて初めて入院というものをいたしました。原因は処方された薬のアレルギーだったのですが、いやあ無知とは恐ろしいですね。高熱が続き、身体にポツポツと発疹が出ていたのに、熱は風邪でも引いたかと思い、発疹はダニでも湧いたのかと考えて布団を干していたのだから、おめでたい。
そんなわけで、今回のテーマは「医者」。
▽はやりいしや近所でたのむ物でなし
「医者」というのは、技術も重要ですが、“存在”も尊さがあって欲しいもの。寝起きのボサボサ姿や奥様に叱りとばされている姿なんぞを見知っていては、どうにも有難味に欠ける。それに、遠出して頼る方が“名医にかかる”と思えるのが、人間の心理のようです。
実際問題、通院のことを考えれば近所に名医が居てくれた方がいいんですけどね。
▽今迄の薬をけなしけなし盛り
かかる医者を変えたのでしょう。新しい医者は従来の薬を見て「こんな薬じゃ、治る病も治らなくなる」などと言って、新たに薬を調法したものと見えます。
セカンド・オピニオンは当たり前、と言われる現代でも医者を変えるのは難しいこと。わたしも「このセンセイ、ちょっとなぁ…」と思いつつ、病院を変えられずにいたんですよね。そこで起こったのが、今回の薬アレルギー。単に処方された薬がわたしの体質に合わなかったというだけなのですが、その「薬」より、処方した「センセイ」に憤ったものです。や、お医者様も大変だ。
▽さじ加減素人目にはおしいやう
薬は一歩間違えば毒にもなりうるもの。細心の注意を払って調剤しているのに「薬を惜しんでいるんじゃないか?」と見られてしまうのですね。素人は好き勝手に言うものです。
▽とどめをば余人にさせる匙加減
余人とは“他人”のこと。もう助からないことが明らかな病人を前に、治療しないわけにもいかず、毒にも薬にもならないよう調剤を行った、というのです。「これで効かなければ、××町の○○先生にお頼みしなさい」とでも言っておけば、亡くなった責任を○○先生に押し付けることが出来る。そんなことをするのも…
▽臨終に能(よい)御薬ときよくられて
患者が亡くなった日には「良いお薬をいただいたのに、甲斐なく亡くなりまして…」と皮肉られる(きょくられる)ことになる。家族からしてみれば、薬が効かないせいで死んだと思っているのだから、嫌味の一つも言いたくなるものでしょう。ああ、やっぱりお医者様って、大変。
▽医者の門ほとほと打つはただの用
お医者様のところに来るのは患者ばかりではなく、普通の用事で訪れる客もいるわけで。そのような客は静かに門を叩くという句。これが急患だとドンドンと派手な音を立てて叩かれるはずですからね。
▽薬箱初にもたせてふりかへり
医者になりたての初々しい姿。初めて共の者に薬箱を持たせての往診が嬉しくて、振り返って確認せずにはいられないのでしょう。
とはいえ、医者殿がお出ましになるということは、病人が出たということ。「俺も一人前になったもんだなぁ」と喜んでいる場合ではないはず。皮肉な目つきで得意満面の医者殿を描くのが川柳の目線ですね。
▽病人をとりよせてみる流行医者
流行り医者ともなると、往診には応じず「診て欲しいならこっちに来なさい」とあしらう人もいたのでしょうか。寝たきりで動けない病人であれば、戸板に乗せて運ぶことになるでしょう。薬箱を持たせてウキウキしていた頃を思い出してもらいたいものです。
▽藪医者のとくは逃るが目に立たず
流行り医者の対には藪医者がおり。藪で評判(?)の医者であれば、病人の家族も「もうダメだろう」と諦め気分で迎え入れる。そして病人が亡くなり、藪殿が「出来る限り手は尽くしたのだが…」と言い訳しても、聞き流されてしまうので目立たない、というわけです。責任逃れが目立ってしまうよりはマシでしょうが、それを「徳」と言われてはねぇ。
▽めづらしい内は横根も出して見せ
ちょっとシモの句。“横根”とは性病で腫れた股ぐらのことで、罹った直後は「こんなになっちまったよぉ」と人に見せたという意。
この句をツッこめないのは、わたしも似たようなことをやったからです。アレルギーで皮下出血を起こし、顔をはじめ全身ドス黒い赤色になったのを面白がって、見舞いに来た友人に写真を撮らせたりしてたんす。飯もロクに食べれない状況で、何やってんだかねぇ。
▽医者衆は辞世をほめて立たれたり
病人が亡くなれば、医者に用は無くなります。無言で立つのもナンなので辞世を褒めて「それでは…」と暇乞いをしたのでしょう。
入院して実感したのは、命のありがたさでした。あまりにも言い古されていることだけど“失って気付くこと”。友人の一人は「本当に失う前に気づいて良かったね」とメールをくれました。多少行きつ戻りつはあるものの、快復に向かっている現在。こんな句をしみじみと噛みしめます。
本復に自慢の辞世拍子抜け