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川柳閑話vol.7:雅号について

川柳の雅号(ペンネーム)のつけ方は大きく分けて3パターンあるかと思います。
 
①    本名
②    本名をもじったもの
③    本名とはまったく異なる名前

 
 わたしは②で、本名は下の名前が漢字になります。投稿時代は雅号をつけるということを思いつかず本名でやっていましたが、雑誌に所属して本格的に始めた時に改名しました。
 改名する時に、本名とは違う名前をつけるのを躊躇ったのは、郵便物が届く時に「徳道方」と書かれているのがなんとなく嫌だなと思ったことと、「自分がどう見られたいか」を自己申告するようで恥ずかしい気がしたからです(そう思うことが自意識過剰なのですが)。それなら元からある名前をもじった方がいいか、と。下の名前をひらがなにしたのは、当時は下の名前がひらがな3文字という方は少なくて、入選句を探す時に見つけやすいという理由もありました(即物的理由)。
 
 名前というのは不思議で、名づけると新たな人格が生まれるような気がします。わたしはよく「漢字のカズミとひらがなのかづみ」という言い方をして、作者と主体は異なることを示したりします。わたしは「作者=主体」と読んでもらっても構わないというスタンスをとっていますが、それでも「句にあることは全部実体験」みたいに言われると「いやいや、それは違います」と言う必要がある場面があったりするので。きっと、本名でされている方はもっと言われる場面が多いのでは?と想像します。
 
 文芸川柳をやる上で、ふざけた雅号をつけることは避けて欲しいところです。時実新子は「句に名前が付いて回るのが現代川柳の特徴」と言っています。ふざけた名前をつけることで句に対する責任を逃れようとすることは、狂句時代の悪しき習慣に通じます。

 また、ふざけた名前を名乗ることは、作品作りへの誠実さを疑われても仕方ありません。さらに、作品への評価を自ら下げることにも繋がってくると考えます。
 たとえば、わたしが「あほのひょっとこ」という雅号を名乗ったとしましょう(この雅号はいま適当に考えたものです)。
 
生きていく仮面を剥いで唾吐いて あほのひょっとこ
 
この雅号で、本気でこの句意を伝えたいという気持ちを感じられるでしょうか。
  それでも「あほのひょっとこ」で作り続ければ、次第に名前は記号化されて意味を失くすのかもしれません。しかし常に「あほのひょっとこ」という名前が持つふざけた印象は持ち続けることになるでしょう。それは自ら表現を伝えることのハードルを上げていることにもなります。ふざけることとユーモアは異なるものなのです。
 
 公募川柳などでは、ふざけた雅号が散見されます。広く読まれているサラリーマン川柳や時事川柳などから「川柳ではふざけた名前をつけるもの」と思いこんでいる方が多いせいかと思います。本格的に作品を発表する文芸川柳の場ではなく、いっときの遊びの場で戯れにつける雅号にまであれこれ言う気はありませんが、「川柳ではふざけた名前をつけるもの」という認識は正していきたいです。
 
 名前が発信する情報量は少なくありません。自分の作品世界に相応しい雅号をつけたいものですね。

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