仕事を休んでも休められない頭
心の非常ボタンを押して会社を休み始めた日から、1か月余りが過ぎた。
今年度後半に万一何か精神的な問題以外で体調不良や家族のために必要になった場合に全て欠勤にならないよう、7日間だけ有給休暇を残しているものの、既に昨年度からの繰り越し分も含め、17日間分の休暇は使い果たしてしまったため、今は欠勤状態にある。
会社の仕事から暫く離れた方が良い。という判断が産業医から下された時、産業医からも、会社の人事責任者からも「ゆっくり休んでください。」と言葉を掛けられた。
しかし、いざ休業期間に入ってみると、皮肉にも、ストレスになるようなことを一切考えず、心穏やかにゆったりと時間を過ごすことが不可能だということが分かった。そればかりか、今まで考える必要のなかった別の不安が新たに加わることとなった。
新たに加わってしまった不安要素
具体的には以下のような不安が頭の中で複合的に絡み合い、一人でいくら考えても安心できる解決策が見つからず、焦燥感で常に不機嫌な状態になってしまう。
これまで在宅勤務で仕事のために無条件に確保されていた8時間~10時間の時間が空き時間になるため、その時間帯に、それまでは当てにされていなかった家事や突発的な家の用事の対応をお願いされることになり、フリーな時間が細切れになることで気ぜわしい状態になる。
仕事をしないで家に居ることは、給料が入らなくなることを意味するため、家族に迷惑を掛けていることに罪悪感を感じ、無給期間が当初予定より長くならないように、早く仕事に復帰しなければならない。という焦りが生じる。
今の仕事や会社の環境が自分には合っていないことが前々から分かっていて、それでも自分の気持ちに蓋をし続けて目をそらしてきた。正直なところ、欠勤期間が終了して業務に復帰しても、会社の風土や環境が変わらないために、また今のような心理状態に逆戻りしてしまうのが分かりきっている。それでも経済的理由から辞めることが出来ない。どうしたらいいのだろう。という悶々とした気持ちが常に頭から離れない。
仮に今の会社を去ろうと思っても、50歳を過ぎた自分のような人間を必要とする会社は、あったとしても、これまでのキャリアを活かせる同業他社や同じ業種しかなく、自分はその仕事が嫌いで自分の能力にも疑問を持っており、管理職の職務を全うできなかった人間であり、またそのような類の会社で働くことは本望でない。かと言って、全く未経験の職種・業種の会社に転職しようとしても、自分のような年寄りで育成しても数年で定年になってしまうような人間を採用するインセンティブがある会社など存在しない。仮にあったとしても、新入社員同様の安い給料しかもらえず、経済的に立ち行かなくなってしまう。それじゃ、どうすればいいんだ。という思考の堂々巡り。
洗脳から解放されたい
このような、出口の見えない暗いトンネルの中を歩きながらも、何か少しでもいいから自分の思考パターンを変えて前向きに物事を考えられる方法はないか、もっと自分らしく生きられる方法について知ることが出来る情報源はないか?と、心理学、カウンセリング、コーチング、50代からの生き方などに関する本を探しては手あたり次第に読み始めた。
最近2週間ほどで、既に7冊の本を読んでみたが、自分にとってはとても縁遠い成功者が書いている本ということで書いてあることが素直に納得できなかったり、「なるほどね。」と思っても、だからといってすぐ実践して何かが変わると思える気がしなかったりと、本を読んだからと言って自分を劇的に変えられたり、すぐに生活が一変するように思えない。
自分は何て閉鎖的で、堅物で、意固地で、懐疑的で、素直じゃなくて、自信が無くて、常に他人からの評価を気にし、ネガティブ思考な人間なんだろう。と、つくづく嫌になる。とある本によると、こうでなければならない、という「べき思考」は、自分が子供の頃に受けた母親の影響が背景にあるようだ。
勉強ができて、いい高校、いい大学に入らなければならない、周りの母親達から「いい子だね、おりこうさんだね。」と言われるように、礼儀正しく、田舎の言葉を使ってはいけない、人には親切にしなければならない、人に迷惑を掛けるようなことをしてはいけない、学校の先生のいうことをきちんと聞かなければならない、欲しいものがあっても、我慢して貯金をしてから買うことが正しいこと・・・。沢山の「こうあるべき!」を頭に刷り込まれて自分は育てられた。
そういう積み重ねが、今の自分の性格を作り上げたのかと思うと、確かに繋がっていると感じる。親の庇護下にあった子供の頃であれば、「親の言うことちゃんと守る良い子」で良かったのかもしれないが、大人の、それも50歳を過ぎたいいおやじの頭と心は、この洗脳から解放しなければならない。
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