自然の中で書く事で、追い詰められ感がすーっと薄らいだ話
今朝は、普段の土曜日とは違い、起きがけから何かとせわしない1日の始まりとなりました。
私を除く3人の家族が次々と外出する予定になっている一方、午後に自宅でオンラインのイベントがある私だけが、家族メンバーの準備の合間を縫って、ワンテンポ遅れた毎日のルーティーン作業をしていました。
家族からはのほほんとしているように受け取られがちの私も、頭の中では今日1日の中でやらなければならないと思っているToDoリストがあるのですけどね。
リストには、この約2ヶ月間、ほぼ毎日続けていることが3つあります。
朝ウォーキング
インスタグラムへの鉄道写真の投稿
noteの投稿
この内、最初の2つはさほど敷居が高くないのですが、少し力を入れなければならない(と自分で勝手に自分を追い込んでいた)のが、3つめのnoteです。
私がnoteを始めたきっかけは、自分の心の整理と言語化の訓練のためだったのです。
ですので、最初は
「自分ごときの書いた対して面白くもない文章を読んでくれる人などいないんだろうなぁ」
と、あまり身構えずに書いていたのですが、
次第にスキを付けて貰えるようになり、
フォローしてもらえるようになり、
コメントをもらえるようになり、
となってくると、
グダグダの単なる日々の出来事記録みたいなものや、自分勝手な思い込みを下手くそな文章で晒していることが、心苦しくなっていました。
そもそも誰に指示された訳でもなく、自分の意思で勝手に書き始めたnote。
なのに、知らないうちに、
「人の役に立つ情報を発信しなかったら、誰も自分の記事を読んでくれなくなるんじゃないか。」
とか、
「沢山スキやコメントが付いている人は、内容の濃さや洞察の深さが全然違う。それに引き換え自分の書いている内容の、何と浅い表面的な事か...。」
と、どんどん落ち込んできました。
私は今でも在宅勤務がメインで、仕事の日は朝から夕方まで家の中に篭りっきり。
唯一外に出かけるのは朝ウォーキングの時だけです。
勿論、noteの記事も、仕事をしているのと同じデスクでPCに向かい打ち込んでいます。
こんな閉鎖的な景色も見えない空間に長時間居るから、頭が硬くなっているのだろうか。
そんなふうに考えて、今日は家族全員が外出した後を狙って、近くの公園の遊歩道にやってきました。
今この記事は、サムネイルの写真の風景を見ながら、大きな桜の木下にある遊歩道脇のベンチで書いていました。
すると、なんだか少し緊張がほぐれたというか、肩肘を張った心の状態からふっと力が抜けたようで、
別に、思った事を素直に言葉にすれば良いじゃないか。何か人に伝えたい事、役に立ったらいいな。
と思うことは、そういうネタを見つけた時に書けばいい。
毎日耳寄りの「こんな凄い話がありますよ!」
みたいなことって、ごく平凡な毎日を暮らしていたら、ボンボン出てくるもんじゃないしね。
という感じに。
風のない穏やかな秋の午後に、赤や黄色に色づいた木々の葉のグラデーションを見つめながら、
これでいいんだよな。
と、心の中でつぶやきました。
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