アニメにおける聖地巡礼のルーツとは
私は、ヲタではありますから、何かと聖地巡礼します。
文字通り寺社仏閣が好きだから、世界遺産が好きだから、京都が好きだから、古墳が好きだから、城がが好きだから、刀剣が好きだから…と王道的なものにほ、当然のごとく惹かれますが、今回はオタク的なテーマで書いていこうと思います。
とはいえ、齢50にもなりますとヴァイタリティも衰えだしてきますし、なんだかんだと日々も忙しいわけでして、正直と腰をあげるのが億劫になってきたりもします。
今後このnoteでも、温泉や旅といったテーマで書くこともあろうと思いますが、なんだかんだで出発するきっかけ、体力やお金や時間を使う自分への言い訳として、“聖地巡礼”というのは、結構大きなウェートを占めてきたりします。
とはいえ、若いころは結構な無茶とかしてきたわけでして…自分の場合、これまでどんな“旅”をしてきたか、ということでイロイロ振り返っていってみたいと思ったわけです。
ですが、その前に、アニメを舞台とした“聖地巡礼”はどうやって世間に意識されだしたのだろうか、…そういった記憶をたどっていってみたいと思います。
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吉野詣やお遍路さん、富士講、さらにはサンティアゴやメッカなどの宗教的コンテクストを背負った正統なものはともかく、庶民文化としての舞台探訪(いわゆる“ロケ地巡り”)は、朝ドラや寅さんを見るまでもなく昔から盛況でした。
が、こういったコンテンツツーリズムとして、アニメの舞台が意識されだした作品はといいますと…ひとつはOVA版『究極超人あ~る』('91)でえがかれた「飯田線」だと言えましょう。
それまでは…たとえば世界名作劇場シリーズを視て現地に行こうなどという酔狂者はごくわずかであったと思われます。
そもそも、OVA版あ~るは、原作を超えた、完全なオリジナル・ストーリーであるにもかかわらずマニア筋にも受けが良い稀有な作品でありましたし、テレビ放送してないがゆえ、視聴年齢もそれだけ高くなるといった要因もあり、さっそく出向iいた方々が多々あったとされています。飯田線が舞台になった理由は不明ですが(原作者、アニメ主要スタッフとも関連はないもよう)、制作前後に行われていたスタンプラリーを話に活用しようとした側面と、18きっぷを活用できて都内から高校生が撮影合宿で行けそうな距離などを考慮して選ばれたのでしょう。
今現在、話のキーポイントとなる田切駅には「アニメ聖地巡礼発祥の地」という記念碑が立っています。
秘境駅として興味を持たれるまえから、そして雅子様がご成婚(小和田駅から)なされるまえから、別の観点から注目を集めていたというわけですね。
そのあたりの背景は、この記事がよくまとめてくれています。
個人的なことを言うと、幼少からよく使っていた生活の一部の路線であり、愛知県内(作品内の多くのシーンは長野サイドに集約されますが、やってることはスタンプラリーなので、なんだかんだと愛知の駅も登場する)に限って言えば聖地というより地元なのですが、一番身近な鉄道が舞台として採用されたことは大きな喜びでありました。
ついでですが、上の記事にも書かれてるけど、山本正之氏によるテーマ曲「飯田線のバラード」も実に素晴らしいので、是非聴いてみてください。
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さて、こうした90年代前半において、部隊の探訪というカテゴリーにあって、もうひとつ印象的な作品として、『天地無用』シリーズ('92~) がありました。
これは、原作者の梶島正樹氏が、自身の出身地である「岡山」を舞台としたOVAシリーズとして始まりました。
この作品は、あ~るくんよりはるかにヒットし、1995年に放送されたTV版も好評、劇場版やスピンオフ作品も数作作られたので、それなりにロケ地として探訪する方も多かったように思います。
今現在、あれから30年近くたっているわけですが、いまもって岡山県の情報サイトにそのトピックがあるのですから、その流れも人も脈々と受け継がれてきているのでしょうね。
思えば天地のTV放送時は、ちょうど、Windows’95が席巻していたころと重なります。当時は、SNSも未発達であり、何かしらの表現を発信する場合、自前のホームページを作ることがデフォルトだったのですが、そういったロケ地探訪記をメインコンテンツに据える…といった“信者”も多く見かけました。そして、意識的に“聖地巡礼”という言葉を一部のページの人々が使っていくようになります。これは、今思うと作品内の舞台に神社が多かったことなども影響していたのかもしれません。
いまとなっては、更新が途絶え、BBSが荒らされまくった当時の残像が、ネット上に残っていたりして哀愁を誘いますが、その熱き思いは、今もコンテンツガイドとして十分活用できるものです。
このときの、個人ホームページという概念は重要でした。
ただの天地ファンだったのに、さらなる“聖地”を求めてより作品を深く探求するようになったり、他の作品の中にも“聖地”を見いだすといった行為につながっていきましたし、私設掲示板を通して情報交換がなされることで、よりマニアックな視座が形成されていったのです。
ここまで来たら、あとはネットの広がりを待つだけ…機は熟していたのです。きっかけとしての2ちゃんねるの開設('99)をもって、当然のごとく「聖地巡礼」の各種スレッドが乱立し、以降言葉として定着していったように思います。
当時のアニメ界はセル画からCGへの過渡期であり、ちゃんと現地をロケハンして…などといった余裕のある状況ではなかったと思いますが、数年後、長野県の「木崎湖」などをとおしてより定着していく流れが形成されていくわけですね。「木崎湖」は個人的に思い入れのある“聖地”であり、実際何度も訪れています。機会があれば取り上げてみたいネタでありますので、こちらはこちらでご期待ください。
本日はこんなところで終了です。
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