【凶悪事件】人民寺院集団自殺事件〜事件詳細編〜
今回は凶悪事件シリーズとして、以前配信でも紹介した人民寺院集団自殺事件(ジョーンズタウン集団自殺事件とも言います)についてnoteにまとめました。
この事件がきっかけとなり、世の中にカルト宗教という言葉が生まれたと言っても過言ではありません。
また、カルト宗教問わず、人の弱い部分に入り込み悪いことをする人達は残念ながら沢山います。
そういう人たちのやり方を知ることが抑止力になりますし、誰でも被害者側になることはありえますので、是非事件について知って頂ければと思います。
さらにこの事件については陰謀論もありますので、その点も含めて【事件詳細編】と【都市伝説編】に分けて紹介しようと思います。
●死者914名
1978年ある教団施設で生活をしていた信者と教祖らが集団自殺をしました。
その数は914人。
死者914人のうち18歳以下が267人。
その中には幼い子供や赤ん坊までもが含まれていました。
1000人近い人々を集団自殺に追いやった人物は「人民寺院」の教祖ジム・ジョーンズでした。
この事件から、社会的に危険とみなされる宗教団体を「カルト」と呼ぶようになります。
つまり、人民寺院はカルト宗教の元祖と言えます。
●教祖ジム・ジョーンズ
人民寺院は1956年、創設者で教祖のジム・ジョーンズによって始まりました。
彼が生まれた町はいわゆる聖書地帯と言われるほど熱心なクリスチャンが住む町で、
父はゴリゴリの人種差別主義者であり、白人至上主義KKKのメンバーでした。
その父はジム・ジョーンズが幼い頃に出て行ってしまった為、ジョーンズは母子家庭で育ちます。
母親は母は父と全く逆に、黒人など貧しい人を支援するボランティア活動家であり、母の願いは息子が立派な宗教家になることだったそうです。
ジョーンズは母親の教えを守り、宣教師の娘と結婚し宣教師になりました。
彼が宣教師として活動したエリアは黒人の貧困層が住む地域の為、宣教師としての収益はうまくいかず、猿を販売するセールスマンを副業として活動資金を稼いでいました。
彼はお金がないながらも貧しい者に食事や住まいを提供するなどの福祉活動に精を出し、徐々に黒人を中心とした貧しい人たちから信仰を得ていきます。
その功績にメディアも飛びつき、ジョーンズは一気にメディアのヒーローとなっていきます。
●有名宗教家となり成功
メディアで取り上げられたことで、入信者も増え、人民寺院の規模も大きくなり自らの思想をアメリカ全土に広げるために大型バス11台を購入し全米ツアーに出ます。
彼はアメリカ全土で集会を開き、宣教師として説教を行いしたが、彼のトークは人々を魅了しました。
貧しい時彼はもともと猿のセールスマンでした。
猿という極めて売りづらい商材を売り狂った彼は自然と話術がカリスマ的なレベルまで上がっていたダメ、彼の説教は各地で大盛況となります。
また、猿のセールスで得たエンタメ力を宗教に活かすことを思いつきます。
ジム・ジョーンズは信者拡大のためにやらせの心霊療法を行っていたのです。
そのやらせで起きる超人的な奇跡+カリスマ的な話術に感動した人々からの献金は、多い時には1回で800万円以上集まったと言います。
この頃から若い頃描いていた貧困層を救うという思想はなくなり、金の亡者となったジョーンズは信者らにこんな事を言い出します。
『最も崇高な献身とは、全ての財産を教団に寄付し教団の中で生活することだ』
この言葉通り、ジョーンズは熱心な信者たちの財産を取り上げ、家族ともばらばらにさせることで、マインドコントロールを強めていきました。
さらに、当時はソ連の冷戦やキューバ危機なども重なり社会が不安定な状態で黒人差別も加速してた為、黒人を中心に信者はさらに増加。
しまいにはアメリカ各地に支部が教団創立16年目には、信者は約7500人にまで増えていきます。
さらにジョーンズはサンフランシスコの住宅当局局長という政治的なポストに就任することで、さらに権力と多額の寄付金をえるようになりました。
ところが、教団が大きくなるにつれてジョーンズに批判的な者も出てくるようになり、脱会者による告発をメディアが報じはじめました。
脱会者からのさらなる告発を防ぐ為、人民寺院は次第に差別・性暴力・拷問で信者たちを支配をし始め悪事が加速します。
●ジョーンズタウンへの逃亡
ジョーンズはさらなる支配を強めるため、信者らを俗社会から離脱させることを考えます。
1974年、1,000人近い信者と共に南米のガイアナに移住し、自給自足の生活を送りはじめます。
このガイアナの土地は「ジョーンズタウン」と呼ばれました。
ジョーンズタウンでの生活は暴力や権力でジョーンズや幹部らが信者たちを完全に支配し、外のとの交流や情報を一切遮断させ、完全にマインドコントロールしていきました。
信者たちは週7日の強制労働をさせられ信者間の夫婦は肉体関係を禁じさせました。
一方で女性たちの多くは教祖であるジョーンズとの肉体関係を持たされ支配下におき、さらに男性にも手を出していました。
ジョーンズタウンに信者らとジョーンズが暮らし始めると、ジョーンズタウン入りを免れた信者らがメディアに人民寺院の内情をばらしはじめます。
また、元信者たちもそこに乗っかり、今まで貧しい民のヒーローとして報道してきたメディアも手のひらをかえし、一気に批判的な報道が加速し始めます。
この頃からジョーンズは信者らとの集団自殺を真剣に考えだし、彼はそれを「革命的自殺」と呼び、来る日に向けて信者らにこう話すようになりました。
「圧政者への黒人の抵抗は、警察の権力行使による死を招くかも知れない。しかし、こうした死は殉教者として自らを捧げるものであり、いわば革命的自殺である」
この革命的自殺論以降、ジョーンズタウン離脱を希望する希望者が増え始めます。
そんな脱退希望者に対しジョーンズはジョーンズタウンの中で武装組織を配備して、脱退者を厳重に取り締まり、希望者に対して集団リンチを実施します。
そして、最悪の事件が起きます。
●最悪のシナリオ
1978年、米下院議員のレオ・ライアンがジョーンズによって奪われた信者の家族会からの要請をうけて調査のためジョーンズタウンを訪れます。
訪れたジョーンズタウンはプロパガンダによって安心で安全な平和的な宗教施設と演出されています。
しかし、調査の中でライアンは複数の信者から「脱会したい。助けてほしい。」と詰め寄られます。
脱会者がいることをライアン議員はジョーンズに詰め寄り、脱会者をアメリカ本土に連れて帰ると伝えます。
そして、ライアンは同行したメディアジャーナリスト3名、そして、教団脱退希望者数名、視察団あわせて16名を連れてジョーンズタウンを出ることにします。
その道中、一人の男性がライアンに駆け寄り自分も脱退したいから連れて行ってほしいと詰め寄ります。
ライアン議員はその男性もつれてジョーンズタウンから出るために空港に向かいますが、その男性はジョーンズの刺客で、空港につくなり男性と人民寺院の武装集団によって銃撃に会いライアン議員、メディア関係者ら全員射殺されてしまいます。
そしてその日の夕方、ジョーンズは集会を開き、革命的な自殺の時が来たと諭し、毒物による集団自殺を図り、ジョーンズ自身も拳銃自殺によってその生涯を終えました。
以上がこの人民寺集団自殺事件の話です。
ジョーンズも最初は貧困層を救いたいという想いがあったところ、富と名声が転がり込み一気に人が変わってしまいました。
凶悪事件におけるマインドコントロールの一般的な手口としては、まず優しそうに近づき、弱みを吐かせると知識、財力(偽のも含む)、などでマウントを取り、精神的な主従関係を構築させます。
時には暴力や体の関係を無理やりでも持たせてることで目に見える体の部分でもコントロールさせます。
心や体のマインドコントロールが出来ればあとは俗社会から隔離をすることで、情報を遮断させ自己判断能力を奪います。
この手の手口はレベル感は異なるかもしれませんが、男女の仲や友人知人、会社間の人間関係でも大いに起きていることだと思います。
さて、ここまで人民寺院集団自殺事件についてまとめましたが、次回この事件についての陰謀論的な都市伝説をお話します。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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