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東北の鬼伝説:鬼死骸村に隠された歴史

岩手県一関市に、かつて「鬼死骸村」という名前の村が正式に存在していたことを皆さんご存知でしょうか?

まるで、鬼滅の刃に出てきそうな村の名前ですね。
実は、その名前の背後に、鬼や妖怪退治の英雄『坂上田村麻呂』と『鬼とされた人たち』の歴史が隠されています。

鬼退治の英雄、坂上田村麻呂とは

坂上田村麻呂には、数々の伝説が伝わっています。
その中でも有名なのが、大鬼『大嶽丸』の討伐のような、鬼や妖怪を多数退治したという話です。

また坂上田村麻呂は、その功績と英雄的な行動から、死後に神格化され、現在多くの神社で守護神として祀られています。

そして、鬼死骸村の由来は、この坂上田村麻呂が鬼を討伐した鬼退治が大きく関わっているのです。

大嶽丸の伝説

大嶽丸は酒呑童子や玉藻前と並び、日本三大妖怪に数えられる伝説の鬼です。

大嶽丸は坂上田村麻呂との戦いに敗れ、斬首されたと言われています。

言い伝えによると、大嶽丸が坂上田村麻呂に斬首されたとき、「その亡骸や他の鬼を埋めた場所が鬼死骸村」と伝わっています。

そして、鬼死骸村には、今もその亡骸の上に蘇らないように置かれた巨大な石、「鬼石」があり、近くには「背骨石」「肋石(あばらいし)」といった、死骸や骨が石化したものといわれる巨石が多数存在します。

本当に鬼は実在したのか

では、そもそと鬼は実在したのでしょうか?

実際の歴史書に基づいて考えてみると、約1200年前の平安時代に東北地方に暮らしていた先住民たちは、大和朝廷に従わない者として「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、迫害されていました。 

朝廷にとって東北地方はまさに「鬼門」の方角にあり、朝廷からしたら、従えることのできない蝦夷を「鬼」と呼んでいたのです。

鬼とされた蝦夷の民

清水寺縁起絵巻

坂上田村麻呂の蝦夷討伐は清水寺縁起絵巻に描かれていますが、そこでは鎧を着た武将たちと戦う蝦夷が鬼として描かれています。

鬼死骸村に伝わる鬼退治の話は、実は侵略者から東北の地を守ろうとした土着民、つまり蝦夷の人々の奮闘記なのです。

そして、朝廷は自分たちの都合のいいように、蝦夷侵略を鬼退治のように描き、村の名前も鬼がつく名前にしたという、とんでもない陰謀が見え隠れする村の名前なのです。

この辺りは「もののけ姫」でも似たように描かれています。


物語冒頭でアシタカが住む村は祟り神に襲われてしまい、アシタカは呪いを受けます。
その呪いの原因を突き詰めるために、祟り神が来た方角へ旅に向かうのですが
アシタカは西へ向かうんですよね。
つまり、アシタカらは東の地方にいて、祟り神は西から来ました。

歴史書ではエニシが異形と描かれていたよつに、もののけ姫では東北エニシの民は人、東から攻めてくるのは祟り神、つまり異形と描かれていたわけです。
この辺りは宮崎監督の皮肉が込められているのかもしれませんね。

大嶽丸は実在したのか

坂上田村麻呂と大嶽丸の物語には、実際に似たような歴史的出来事があります。
それは、阿弖流為(あてるい)と大和朝廷の争いです。

束稲山のアテルイ像

この出来事は774年から802年にかけて起こりました。
当時、大和朝廷は財政難に直面しており、天皇である光仁天皇は62歳という高齢で即位し、自身の功績を早く上げる必要がありました。

なぜなら、光仁天皇の母親は朝鮮半島からの渡来人の子孫であり、天皇は自身の名誉を守るためにも、朝廷の財政を立て直す必要があったのです。

そこで、支配下ではない蝦夷の人々を大和朝廷の支配下に置き、彼らからも新たに税を集めることで税収を増やすことを期待し、多くの将軍をエミシ討伐に送り続けたのでした。

しかし、エミシ側は送り込まれた将軍たちを返り討ちにしていました。

その中心人物が阿弖流為率いるエミシ連合軍でした。

坂上田村麻呂の登場

大日本史略図会 坂上田村麻呂


792年、坂上田村麻呂がエミシ討伐に向かい、阿弖流為と激しい戦いを繰り広げました。
結局、双方ともに莫大な被害が発生し、坂上田村麻呂と阿弖流為が和平を結ぶことで、エミシ側が全面降伏しました。

この時、坂上田村麻呂は天皇に「阿弖流為を東北に帰して、他の一族も朝廷に取り込んではどうだろうか?」と提案しましたが、天皇はエミシらが野蛮で約束を破るに違いないとし、処刑を命じました。

伝説と史実の交錯


阿弖流為の強さやエミシ軍の強さを考えると大嶽丸の伝説は、坂上田村麻呂と阿弖流為の戦いがその伝説の背景にあることは確かです。
つまり、伝説と史実が交錯し、物語として語り継がれているのです。

歴史と伝説の交錯

鬼死骸村に伝わる鬼退治の話は、実は朝廷の侵略に抗った蝦夷の人々の物語であり、彼らを鬼として描いた朝廷の策略が見え隠れする悲しい物語が存在します。

そして、現在も一関市には鬼死骸村の名残がいくつかありますので、いつか行ってみたいなと思いました。

とんでもない停留所名


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