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【南房総インタビューVol.6】外から見た南房総の魅力と台風災害~ビルディングランドスケープ 春日広樹さん~

今回は、芝浦工業大学建築学科のOBであり、南房総館山市の布良に10か月間住まわれ、南房総での生活や、昨年の台風災害を経験された、春日広樹さんにお話し伺いました。

ーーーーよろしくお願いします。今日は、はじめに、富崎で二拠点居住をされていたということで、春日さんが南房総とどのような関わり方をしてきたのかということをお話しいただいて、後半に昨年の台風19号によって被災された当時の状況についてお話しいただければと思います。まず、簡単に春日さん自身についてお話しいただいてよろしいでしょうか。ーーーー

春日 はい。春日と申します。仕事は、山代(芝浦工業大学建築学科教授)が代表を務める『ビルディングランドスケープ』という設計事務所で、2017年からスタッフとして働いています。それと並行して、同じく山代が副理事を務める、『NPO法人南房総リパブリック』の事務局長として活動しています。
大学と大学院は、芝浦工業大学工学部建築学科の堀越研究室出身です。

南房総と関わるきっかけ

ーーーー南房総と関わるきっかけは、南房総リパブリックに入ったことだったのでしょうか?ーーーー

春日  そうですね。まず、ビルディングランドスケープに入るきっかけがいくつかあったんですけど、その一つが大学院時代に参加していた『空き家改修プロジェクト』で、その中で神奈川県の相模原市、静岡県の稲取、松園市とか、徳島県の樋沢地区という限界集落に関わっていまして。元々は、大学院で設計課題をやっている中で、大学の外に出て実践の場を求めて空き家改修プロジェクトに参加していて、実際に色々な地域に行って、現地の人や仲間と関わるうちに、人の場所を作っていくのがすごく楽しくて。

01空き家改修プロジェクト

(写真:徳島県那賀町の木沢にある築140年の古民家を改修し、ゲストハウスにしたプロジェクト。そのオープニングイベントにたくさんの人が集まった。)

そういった地域と関わりながら仕事をしている建築家はいないかなという中で、ビルディングランドスケープが南房総と関わりを持っているということを知って、働き始めたのがきっかけですかね。

ーーーー昨年まで、富崎の二地域居住トライアルシェアハウスである、布良ハウスに住まれていたということなんですけれども、それも同じような経緯だったんでしょうか?ーーーー

春日  それは、事務所に入って1年以上経ってから、南房総リパブリックで進めていた現地のプロジェクトの現地スタッフとして派遣されて、布良ハウスに住みながら、そこの管理人もやっていたというのがきっかけですね。厳密に言うと二拠点居住ではなくて、基本的には南房総に拠点を置いていました。

ーーーー南房総では拠点が布良にあって、時々東京に来ることがあるというかたちだったんですか?ーーーー

春日  そうですね。事務所の仕事柄(?)、テレワークが日常的だったので、そのまま南房総で仕事をして、たまにお客さんとの打ち合わせで東京に行ったり、熊本で現場がちょうどあったのでその定例会議に週一で参加したりしていました。なので、南房総と熊本の二拠点居住みたいになっていました。


ーーーー実際に南房総に住まれていた期間はどのくらいだったんでしょうか。ーーーー

春日  それが1年も住んでいなくて、2018年の11月から台風が直撃した2019年の9月までなので、10カ月くらいでしたね。

ーーーーそれまでは、東京に住まれていたんですか?ーーーー

春日  そうですね。

ーーーー実際に布良に移住してみて、生活の変化だったりを実感することはありましたか?ーーーー

春日  1番の変化は満員電車に乗るストレスがなくなったことですね。南房総ではシラハマ校舎というシェアオフィスで働いてたんですけど、そこに行くまでが海沿いの道で、海を眺めながら車で仕事に行くっていう気持ちいい生活に変わりましたね。そういういい景色が身近な場所になりました

ーーーー南房総の街の人と関わる機会はありましたか?ーーーー

春日  実を言うと、土日に一級建築士の勉強をしていて外に出ていなかったということもあって、僕自身は積極的には関われていなかったです。布良にどこか街の人が集まれる場所があるかというとそういうこともなかったのですが。

2019年の台風15号の被災

ーーーーここから昨年の台風15号の被害についてお聞きしたいんですけど、当時の状況を教えていただいてもよろしいでしょうか?ーーーー

春日  はい。まず、台風が来るというのは前日にニュースで事前に知っていて、夜帰った時に雨風が強かったので雨戸は閉めといたほうがいいかなくらいの、しっかりとした対策はせずに、0時くらいに寝たんですけど。それから1時間もしないうちに天井から雨漏りが始まっちゃって。しばらくしたら天井も全面的に雨漏りしだして困っていたら停電してしちゃって。

なので、暗闇の中で濡れちゃいけない書類とかをかき集めたりして、どうしようもないから寝ようと思ったんですけど、隙間風で建具とかが揺れたり、家自体も地震でいう震度2くらいの揺れがあって、外でも物がパリンパリン割れてる音がして怖くて全然寝れませんでした。

そうこうしてるうちに、深夜2時くらいに押し入れから滝のように水が出てきて、とりあえず車に避難しようと思って、飲料水とか携帯とか、最低限の荷物だけ持って、家の目の前に車を停めていたので、そこに移動しようとしたんですけど、その時も玄関に水が入ってきてしまってプールみたいになっていて靴を探すのに大変でした。

04台風被災時の様子2

(写真:台風15号により被災した布良ハウス。今は解体され空き地となっている。)

それでなんとか町中が停電して真っ暗闇のなか、車にたどり着いて一安心かと思ったら、瓦が飛んできて窓が割れてしまったのか、車の後ろの窓がなくなっていて。防災アプリで台風がどこにいるのかを5時くらいまで見ながら過ごして、6時くらいにはなんとか収まって、街の人が外に出てきたんですけど、屋根とか壁がなくなっている家があったりとか、困り果てた状況でした。僕の住んでいた布良ハウスも屋根瓦が剥がれ落ちてて粉々になってたり、木が倒れたりしていて、悲惨な状況でした。

それが月曜日の朝で、その時はまだ携帯の充電があったので、被害の状況を連絡したり、お隣さんから高枝バサミを借りて倒木を地道に折ったり、落ちてる瓦をまとめていたら日が暮れてましたね。

そこからご飯を食べようと思ったんですけど、冷蔵庫が壊れてしまいご飯がなくなってしまったので、スーパーに行きました。でもほとんど食料品は無くなっていて、水しか買えなくて、冷蔵庫に作り置きしていたやつを腐る前に食べて生活してました。

あと、台風一過ですごく暑くて、実際に熱中症で亡くなった方もいたんですけど、僕も熱中症みたいになってしまって。その後もずっと停電していたので夜は真っ暗で、20時くらいに寝ましたね。
しかも、お昼くらいから携帯も繋がらなくなってしまって誰とも連絡が取れなくなってしまってしまいました


東京で感じた現地との温度差

その次の日には雨漏りで、布良ハウス自体がほとんどダメになっちゃったんですね。ちょっとこのまま生活するのは厳しそうだったので、僕も最低限の荷物を持って東京の実家に帰りました。それが台風が来た2日後です。

東京でニュースを見たら、内閣の組閣のニュースとかしかやってなくて、台風の情報が全然なかったんですね。連絡が全く通じなかったから東京都とかすごいことになってるんじゃないかと思っていたんだけど(笑)

そもそも災害だったのかという認識自体もあまり感じられなくて。現地では、警察とか消防署も台風が明けた1日後にはまだ来ていなくて、近所の人たちが自主的に道路を塞いでいた倒れた木をどかしていました。

03台風被災時の様子

(写真:台風15号直撃から1週間後の風景。おばあちゃんがお互いに「助かってよかったね」と声を掛け合う。)

ーーーー台風被災当時の過酷なお話を聞かせていただきありがとうございます。台風以降の布良とのつながりはどういう感じでしたか?ーーーー

春日 台風直後に南房総リパブリックの中でボランティアセンターを立ち上げるという話がすぐ出て、僕は新宿のボランティアセンターで現地に送る物資を受け入れる作業をしていました。いろんな人がブルーシート、飲み物、非常食などを持ってきてくださりました。

その後、布良ハウスに置きっぱなしだった私物を取りに戻るために現地に行ったりもしたのですが、たくさんの屋根にブルーシートがかかっていました。その後すぐ台風19号が来て、その影響で屋根にかかったブルーシートが結構飛んでしまったんですよ。なのでブルーシートをかけ直す作業をやったりもしました。

数ヵ月後に屋根の防水メーカーさんと協力して、被災した屋根の応急処置方法を開発するという研究会を立ち上げて、建築家、大学などいろんな方々と関わり、今1年くらいが経とうとしています。現地の人と一緒にこれから来るであろう台風に備えて、開発研究をやっているというような感じです。

05新宿ボランティアセンターでの活動

(写真:新宿ボランティアセンターでの写真。新宿にあるINBOUND LEAGUE新宿の1Fにあるスペースの一部をお借りしてサポートセンターを立ち上げた。新宿にあるINBOUND LEAGUE新宿の1Fにあるスペースの一部をお借りしてサポートセンターを立ち上げた。大勢の方が物資を届けてくださった。)


これからの台風被害に備えて

ーーーー当時台風被害を受けたときの地域の台風に対する備えは春日さんから見て十分だったと感じていますか?ーーーー

春日 備えとしては十分ではなかったと思います。というのも台風の後、現地の方にヒアリング調査などを行ったのですが、92歳の方がこんな台風は初めてだ、とおっしゃっていました。実際に台風15号のときは避難所はありませんでした。ガムテープをバッテンにして貼って窓を補強するなどの対策もありますが、それをやってる家もなかったと思います。

ーーーー私も以前80代の地元の男性に話を聞いたとき、こんな台風は5、60年ぶりだとおっしゃっていたので、本当に突然の出来事だったんだと思います。これから台風の備えを地域としてどのようなものを整えていけばいいと思いますか?ーーーー

春日 避難所は本当に必要になってくると思います。それは富崎に限った話ではなくて日本全体でいろんなところで必要になるものだと思うんですけれど。特に富崎のような地方だと高齢者の方が多いので。

僕も台風が来たときに車に逃げ込んだんですけど、あれは本当はダメだったんですよね。瓦が雨戸とかを突き破る勢いで飛んでいたので、その中で外に出るという行為はかなり危険だったなぁと思っていて。そんな中少なくとも高齢者の方は夜は避難もできないですよね。もしかすると外で活動している昼間だったらもっと被害は大きかったかもしれません。

なので避難所も必要ですし、少なくとも地域の連絡体制は整えておく必要があるなと思います。ニ地域居住の話と組み合わせるとすると、ぼくはなんとなく避難所とか廃校になった小学校の場所とかを知っていますが、特に外から来た人間はあらかじめ町を知っておく必要があると思いました。高台に行く道はこっちだとか、その場所にいるからこそ知る情報があります。


地方都市の関わる小さなきっかけをつくる

ーーーーもう一つお聞きしたことが、富崎のような高齢化した街で、春日さんのような若くて東京とつながりのあるような方はとても重要な人材だと思うのですが、そういった方を増やすためにはどうしたらいいと思いますか?ーーーー

春日 僕が南房総に住んだきっかけも、すごい南房総が大好きです、というところからスタートしているわけではないんですよね。大学院時代に興味を持って、それがたまたま南房総だったというか。ただそのきっかけ、一歩目の理由は重要ではないけどそれがある、ということが大事なんだと思います

例えば、新宿のボランティアセンターに協力をしてくれた方の中には、たまたまニュースで見て、何か自分にできることはないかなと思ってきました、という人や、2011年の3.11の東日本大震災の時に何もできなかったから、今回は協力しようという方も結構いました。あとは昔旅行とかで南房総に行ったことがあったので、という人もいました。

そういった少しでもきっかけがあってきてくれる人がいて、そういった小さなきっかけを作っていくことが重要なんじゃないかと思います。それが食のイベントとか、サーフィンしに行くとか、友達がたまたま二地域居住してるとか、なんだってきっかけになりえると思います。

ーーーーありがとうございました。今日の話を聞いて、昨年の台風被害の実際の大きさと、東京を含め周りの地域の台風被害の捉え方にとてもギャップがあるなぁと感じました。これからはもっと台風被害の過酷さを全体で共有できていたほうがいいんじゃないかと思いました。ーーーー

春日 そうですね。僕も実際に被災をして、ニュース上で見る被害より生々しい現実があるという視点で、いろんな災害を見るようになりました。それぞれの被害に対する問題は少子高齢化、インフラ整備の問題とか、それぞれに異なると思うので一つ一つ見ていくことが重要だと思います。

ーーーー実際に台風被災をされた方からその時の状況をここまで詳しく聞いたことは今日が初めてでした。貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。ーーーー

インタビュー

(写真:zoomでのインタビューの様子。画面下が春日さん。)

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