No.958 10分間のセルフフォーカシングによって私の感覚は180度変化した、、
久しぶりに書いてみたいと思い、スマホの画面に向かっている。
4月から鹿児島へと帰ってきた。
帰ってきたと言う表現にはとても寂しい思いが乗っている。
何か、”帰ってきた”のではなく、”行った”のだと思いたい私がいる。
私は仕事の都合で熊本へ6年間住み、いつの間にか、その居心地の良さにどっぷりと浸っていた。
そして、沢山の知り合いもできた。まだまだ1週間くらいではその思いは消えない。
まだまだ、帰ってきたのではなく、”鹿児島へ行った”のだ、私の居場所は熊本であると思いたいのだ。
帰ると言う言葉には、嬉しさもあるだろうが、今の私には寂しさの方が大きい。
少しセルフフォーカシングをやってみたいと思う。
熊本から帰ってきたと言ってみる、、すると何か胸の辺りがキュッとする感覚がある。
ただ、そのキュッとした感覚と共にいてみる。
その感覚は胸の辺りから身体全体へと広がっていく。
その感覚は寂しさと言う言葉で全てを言い表せているだろうか、、
寂しさ、切なさ、愛しさ、後ろ髪を引かれる思い、色々な思いが混ざり合っている。
それは誰への、何への想いなのだろうか、、
何人かの顔が浮かんでくる。
そうなんだよな、そういう人への想いなんだなぁということに気づく。
そういう人と別れることに私の身体全体が寂しさや切なさを感じている。
そうかそうか、そんな感覚があるのは当然だよね、と優しくその感覚へと伝える。
すると身体全体から力が抜けて、ほっとしていることに気づく。呼吸も大きく、落ち着いている。
また、近いうちに帰っておいで待ってるから、、そんな言葉がふと聞こえてくる。
そうだな、近いんだからいつでも帰ろうと思えば帰れるよな、、そう思える。
その人たちとの関係はこれからどうしたいのだろう、、
これからも繋がりを大切にして、近いんだから、また会いに行こう、、
今は寂しさや切なさはない。今あるのは、近いうちにまた会いに行こうというワクワクした感覚だ。
フォーカシングとは、私たちがまだ実感していない、まだ言葉にならないような、からだで感じられる微妙な感覚に注意を向け、そこから気づきを深めていく方法だ。
私たちの身体の感覚は私たちの全てを知っている。その身体の感覚をゆっくりと感じることで、本当の感覚にで会うことができるのだ。
私のセルフフォーカシングでは、胸の辺りのキュッとした感覚がまだ言葉にならない身体で感じられる微細な感覚であった。
その感覚に私は、最初のうちは寂しさを感じていた。そして、その感覚と共にゆっくりと居てみると、寂しさだけではないことに気づいた。
切なさ、愛しさなど、様々な気持ちがあることに、そして、それは身体全体にあることに気づいた。
”そんな感覚があることは当然だよね”と、その感覚を優しく受け取り、認めてあげる、理解してあげる。
それは私の中に存在する、もう1人の私、その私をクライエントのクライエント(Client’s Client)と言うのだが、その私を認めてあげることである。
そのことによって、私の感覚は寂しさや切なさのような感覚で覆われていたものから、何かポジティブなワクワクしたエネルギーを感じる感覚へと変化していった。
私の現実の状況はフォーカシングをする前も、フォーカシングをした後も何ら変わらない。しかし、私の現実の感覚は180度変化している。
身体自体も、力が抜けてホッとした感覚が浮かび上がり、呼吸も大きく、落ち着きを持っている。
今は、熊本から帰ってきた、そして、また近いうちに熊本へ行こう、熊本は近いんだから、、そんな前を向いた気持ちへと大きくシフトしている。
わずが10分程度のセルフフォーカシングによって、私の感覚は、以前の私ではなくなった。とても心地良い感覚を感じている。
皆さんも機会があれば、フォーカシングを体験してみてください。目から鱗の体験となるはずです。
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