3. VIXの歴史

割引あり

(ポイント)
このノートではVIXがどのように誕生し今にいたるのかを振り返ります。VIXがなぜ現行の計算方法になったのかを学習しましょう。マニアの人には常識ですがVIXの計算方法は複雑です。なんでこんな面倒な計算することになったのだろう、といった疑問も歴史的な経緯を知るといくぶん理解しやすくなりますよ。


3.1.    VIXってなに

みなさんはニュースやSNSなどで「VIX」という言葉を見聞きしたことはあるでしょうか。「投資家の慎重姿勢を示すように15日の変動性指数(VIX)は上昇し」というふうに市況記事の中などで登場します。VIXは金融市場にいろいろにある指数の一つで、市場が楽観的になっているか警戒を強めているのかによって上下するといわれています。事実、市場の不安心理が高まるタイミングで上がることが多いため「恐怖指数」の名で知られています。

こんな説明では物足りないよというマニアの方により詳しく説明しましょう。VIXは正式には「Cboe Volatility Index」をという指数の略称です。米国のシカゴにシカゴオプション取引所(Chicago Board of Option Exchange、以下「Cboe」といいます)というオプションの取引所があります。オプションというのはコールとよばれる「何かを買う権利」やプットと呼ばれる「何かを売る権利」のことで、Cboeでは主に株式を対象にしたオプションが取引されています。そのCboeがリアルタイムで計算しているボラティリティ(変動性)のインデックス(指数)ということでVIXという略称になりました。なおVIXと書いて「ビックス」と読みます(「ブイアイエックス」と読む人は多くないようです)。ちなみにCboeは「シーボー」と読みます(こちらは「シービーオーイー」でも伝わるのでどちらを使っても問題はありません)。

米国の主要企業500社の株価を加重平均して計算するS&P500指数という株価指数(以下「SPX」といいます)があります。Cboeは、このSPXを対象とするオプションの価格からVIXを計算しています。しくみは順を追って説明しますが、VIXは、投資家が予想する今後30日間のSPXの変動率を反映して動き、30日の間に相場が荒れそうだと投資家が考えているときに上昇します。理屈の上ではSPXが「上に行くのか下に行くのかわからないけれどとにかくどちらかに動きそうだ」と人々が考えているときに高くなる仕組みなので、市場参加者の予想を測ることができます。

3.2.    ブラック・ショールズ方程式

オプションは何かを買ったり売ったりする権利なので、将来の価格が今の値段から大きく動くほど高くなります。そのため、市場参加者が株式や通貨などの将来の値動きをどう考えているか知りたいという希望は、オプション取引が始まった瞬間からありました。

最古のオプション取引は古代ギリシャ時代のことでオリーブ絞り機が対象だったなどという伝承が教科書によく出てきますが、信頼性の高いところでは17世紀のオランダでチューリップの球根を対象としたオプション取引が行われていました。オプション取引は600年程度さかのぼることができ、少なくても株の取引と同じくらいの歴史があります。

対象は時代によって変わっていくのですが、オプションを取引している人たちは価格変動が大きくなる(と人々が予想する)とオプションの値段が上がるということを経験的に知っていました。とはいうものの、約50年前まで多くの人々は、どういう理屈で変動が大きくなると値段が上がるのかきちんと理解できないまま雰囲気で取引していました。そんな多くの人がなんとなく決めた値段で取引している中で、1973年にアメリカの偉い学者の先生方が画期的な研究を発表しました。先生方はこの年に「The Pricing of Options and Corporate Liabilities」という論文を発表して、オプション価格を簡単に計算できる計算式(マニアは「ブラック・ショールズ方程式」と呼んでいます)を人々に紹介しました。それまで感覚的にしか捉えられていなかった市場参加者の予想とオプションの価格の関係を、この方程式を使いきちんと数字で表せるようになったのです。(余計な話ですが現在でも仕組みを理解した上で細かなところは雰囲気で取引しているようです)

ブラック・ショールズ方程式を使うと専門家でない人でも株価や権利行使価格、金利、残存期間、ボラティリティ(変動性、標準偏差で表します)の5つの値があればオプションの値段を計算できるようになりました。ボラティリティ以外は相場をみたり日にちを計算したりして簡単にわかるのですが、ボラティリティだけは取引する人が考えて入力しなければいけません。逆に考えるとボラティリティ以外の情報は簡単に手に入ります。市場で取引されているオプションの価格も入手可能です。これらから市場参加者が予想するボラティリティが逆算できるのです。このようにして計算したボラティリティを難しい言葉でインプライドボラティリティ(以下「IV」といいます)といいます。

3.3.    オプション取引所(Cboe)の誕生

ブラック・ショールズ方程式で普通の人がオプションの価格を計算できるようになる以前から、米国の投資家の間ではオプション取引が普及していました。だいたいは会社が発行するワラント債のワラント部分(おおよそコールオプションと同じようなものと考えてください)を取り出してコールオプションとして売買したり、小さな証券会社が個人投資家相手に相対でオプションを発行したりしていました。ただ、当時のオプション取引はかなり不透明なものだったと伝わっています。個々のオプション(ワラント)ごとに行使価格や取引単位、満期などの条件がバラバラなうえに、取引相手もすぐ見つかるわけではありませんでした。新聞や広告に出ているオプションの価格はおとりで、広告を見た人が電話をかけると「それはもう売り切れです」と全く違う値段や銘柄を提示されることも多かったそうです。

そんな状況に目をつけたのが、アメリカの大手穀物先物取引所のシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade、以下「CBOT」といいます)でした。CBOTが運営する商品先物取引は第二次世界大戦終了後に活況を続けていたのですが、1960年代に入ってから主力商品だった小麦先物の伸びが停滞し次なる成長分野が求められていました。CBOT内で木材の先物取引や株価指数の先物取引、商品のオプション取引など様々なアイデアが検討されたのですが、当時の法制度や将来の見通しを考えるとどれも現実的な収益が期待できず、紆余曲折を経て株式のオプションの取引所を作ることに決めたのです。CBOTは、バラバラの取引条件を標準化して、オプションを売りたい人と買いたい人が集まって取引できる場所を作れば人気になり、商品先物のジリ貧を補うことができると考え、1973年4月にオプション専門の取引所としてCboeを設立しました。

1973年というのはブラック・ショールズ方程式が発表された年でもあります。オプション評価方程式の誕生を狙ってオプション取引所を作ったのかというとそういうわけではないようです。CBOTがオプション取引所を作ると決めて準備を始めたのが1969年で、1971年には監督当局に設立を申請しました。オプション専門取引所の設立がブラック・ショールズ方程式の発表とほぼ同じ1973年4月になったのは全くの偶然だったそうです。タイミングはたまたまでしたが二つの出来事が重なったことがオプション取引の普及に役立ったことはCboe設立メンバーも認めるところです。Cboeの設立によりそれまで証券会社ごとにバラバラだったオプションがわかりやすく標準化されたこと、買った後の転売が簡単になったことに加えて、ブラック・ショールズ方程式により電卓で簡単にオプションの価格が計算できるようになったことで、株をどれくらいの量だけ売ればオプションの価格変動を再現できるかもわかるようになりました。投資家にとっても仲介業者にとってもオプション取引が格段に身近になったのです。

ただし米国の規制の関係でCboe発足当初に上場したオプションはマクドナルドやIBMなど個別株を対象としたオプションだけでした。個別株のオプションは株式と同じ有価証券という扱いでしたが、株価指数を対象にしたオプションを有価証券としていいのか判断が分かれたのです。「そんなのどっちでもいいじゃん」で済みそうな気がしますが、有価証券なら証券取引委員会(SEC)の管轄で、有価証券ではなく先物の仲間なら商品先物取引員会(CFTC)の管轄になるのでマニアにとっては重大なことでした。オプション取引所Cboeの設立でオプション人気が高まったこともあり、SECとCFTCは互いに譲らず一向に話がまとまりませんでした。こうして個別銘柄のIV(つまり市場参加者の予想)は把握できるようになったのですが、市場全体の動向を表す株価指数のIVを入手できない状態が続きました。

3.4.    株価指数オプションの上場

1980年代になって株価指数を対象にしたオプションが有価証券なのかどうかの議論がようやく収束し、株価指数のオプションは有価証券とみなさずにCFTCの管轄にするということで話が落ち着きました。この手打ちをうけてCboeは設立から約10年を経てようやく株価指数を対象としたオプションを上場することができました。

1983年7月に、「3.1そもそもVIXとは何か」で説明したS&P500指数(SPX)を対象にしたオプションと、S&P100指数(以下「OEX」といいます)を対象にしたオプションが同時に上場しました。SPXは米国の主要企業500社の株式で構成する指数でした、OEXはSPXのうちでも時価総額の大きな100社に絞り込んだ指数です。当時から機関投資家はSPXをベンチマークにしており資産運用の参考にはSPXの方が広く利用されていたようですが、上場後しばらくはOEXの売買高がSPXを上回り続けました。SPXとOEXはほぼ同じ動きをすることに加えて、OEXオプションの売買単価がSPXの半分程度だったことが理由にあったようです。

ところで、オプション取引を嗜む方には常識ですが、IVは個々のオプションごとに異なります。IBMのオプションとマクドナルドのオプションでIVが違うのはもちろんですが、同じSPXを対象にしたオプションでも、期日の違い、行使価格の違い、コールとプットなどの違いでIVは異なるのです。かつては期日が同じなら行使価格が違ってもIVにほとんど違いはなかったと聞きますが、1987年のあるイベントが発生してがらりと状況が変わったそうです。

3.5.    ブラックマンデーとインプライドボラティリティ

1987年10月19日月曜日に米国のダウ工業平均株価が508ドル下落しました。前の週の金曜日の終値が2200ドル余りだったので20%以上の下落になります。有名なニューヨーク市場の大暴落「ブラックマンデー」です。ブラックマンデー以前のIVはオプションの期日が同じであれば行使価格が違っていても大きな違いはなかったそうですが、ブラックマンデー以降は状況ががらりと変わってしまいます。

行使価格を横軸に、IVを縦軸にしてグラフを描くと、IVは大きく左上がりの形をとるようになりました。突然の暴落を恐れた投資家が行使価格の安いプットオプション(売る権利、株価が下がると利益になります)をより高く評価するようになったためです。ほかの条件が同じでオプションの価格が高いときIVは高くなります。IVのこのような性質はその形からボラティリティスマーク(smirk、うすら笑い。ちなみに左右対称ならsmile、微笑みになります)と呼ばれています。同じ資産が対象の同じ期日のオプションでも行使価格が低くなるとIVが高くなる傾向はブラックマンデー以後現在も続いています。

図20:ボラティリティスマークの例(2021年12月14日付データ)

3.6.    「ボラティリティ指数」の提案

ブラックマンデーでは株価が下落しただけではなくインプライドボラティリティ(IV)が急上昇しました。それまでIV自体は大きく動かないと思われていたオプションの常識がひっくり返りました。投資家はオプションを売買することで、オプションが対象としている資産の価格だけではなくて、IVの変動にもリスクをとっていることを思い知らされたのです。ブラックマンデー当時、金利と株価指数はそれぞれ先物が上場しておりヘッジが可能だったのですが、IVに関してはヘッジする手段が存在しませんでした。ブラックマンデーの前に時期に、株価の下落リスクをヘッジする「ポートフォリオインシュアランス」という金融商品が大流行していました。これはオプション理論を利用して株価の下落リスクを回避するとうたっていたのですが、オプションの重要な構成要素であるIVの変化をヘッジしていなかった(できなかった)ためブラックマンデーで商品の欠陥が露呈してしまいました。

IVに対する前提が変わったことで、イスラエルの偉い学者の先生たちがボラティリティの先物やオプション作ることを考えました。しかし先物やオプションを作るにはその対象となる「なにか」が必要です。そこで先生方が考えたのがボラティリティ市場を代表するような指数を作ることでした。行使価格ごとにIVがそれほど大きく違わなければ、対象資産の価格付近(マニアの間で「アットザマネー」あるいは「ATM」と呼ばれる水準です)のIVひとつをみていればボラティリティの全体感がつかめたのですが、行使価格ごとに水準が違うブラックマンデー後の世界では簡単にいかなくなりました。イスラエルの先生方は過去の実績の株価変動率(難しい言葉で「ヒストリカルボラティリティ」、以下「HV」といいます)を使ってボラティリティ全体の指数をつくるとよいと1989年に「New Financial Instruments For Hedging Changes In Volatility」という論文で提案しました。先生方はこの指数を「シグマ指数(Sigma Index)」と名付けて、ただのHVではなく計算対象期間の長さで重みづけをしたり、IVも計算に入れるなどのアイデアを出しました。

3.7.    旧VIXの開発

イスラエルの先生方が考案したシグマ指数は一時期真剣に検討されていたようです。1980年代当時のアメリカには、その昔ニューヨーク証券取引所の前の道路で勝手に株の売買をしていた業者が集まって設立したアメリカン証券取引所(以下「アメックス」といいます)という取引所がありました。このアメックスは1976年にCboeに対抗(模倣ともいいます)してオプション取引に参入したのですが、1992年にシグマ指数を使った先物やオプションの開発準備を始めたことがプレスリリースで確認できます。ただアメックスの試みは立ち消えになった模様でシグマ指数が実現したという話はその後見かけません。

アメックスがボラティリティ指数の検討に入ったのと同じ1992年に、オプション取引所の先輩であるCboeもアメリカの学者の先生にボラティリティ指数の開発を依頼しました。アメリカの先生は「Derivatives on Market Volatility: Hedging Tools Long Overdue」という論文を書いて、当時最も取引量の多かったS&P100オプション(OEX)のIVを組み合わせてボラティリティ指数を計算するのが良いという研究をしました。HVは使いません。また、行使価格がアットザマネー(ATM)から離れたところのオプションの取引量も少なかったためIVの信頼が置けないとし、ATM近辺の行使価格のオプションだけを使うべきとしました。

こうして1993年に初めてのボラティリティ指数、すなわちChicago Board Option Exchange Market Volatility Indexが誕生しました。ただこの指数は現在のボラティリティ指数(VIX)と対象も計算方法も全く異なるので「旧VIX」と呼ぶことにします。計算方法を簡単に紹介します。おおまかなしくみを理解しましょう。

(参考)旧VIXを計算しよう

  1. Cboeに上場しているOEXオプションの期日のうちで、現在から8日以上先で最短の期日とその次の期日の2つを選びます。(当時のOEXオプションは月1回の期日だったので2つの期日は1か月離れています)

  2. 選んだ期日のOEXオプションの行使価格のうち、OEXの最新価格から上と下にもっとも近い行使価格、つまりATMに近い行使価格を2つ選びます

  3. 2つの期日それぞれに2つの行使価格が決まったので、4つの期日・行使価格の組み合わせそれぞれについてコールとプットを選びます。

  4. 選んだ8本のオプションのIVを計算します。

  5. 同じ期日、同じ行使価格のコールとプットのIVを平均します。

  6. 同じ期日のIVが行使価格別に2つあるので、OEXの現在の価格から各行使価格までの距離で按分して一つのIVにします。

  7. 異なる期日のインプライドボラティリティが2つ計算できたのでこれを30日相当になるように日数で按分します。

  8. これで旧VIXが計算できました。

旧VIXの計算が始まったのは1993年4月からでしたが、ボラティリティ指数開発の背景にブラックマンデーがあったということから、指数の値は1986年にさかのぼって計算されました。ブラックマンデーの時に旧VIXは150を超えたそうです。

Cboeは、ゆくゆくは旧VIXを対象とした先物やオプションを上場させて、ボラティリティ変動のヘッジ手段になることを目指していたようですが実現しませんでした。理由ははっきりしませんがOEXの先物やオプションで旧VIXの複製ができない、つまりVIXのリスクをヘッジし軽減する手段がないことが原因ではないかと思います。

それ自体を取引できない絵に描いた餅ではあったのですが指標としての旧VIXは注目を集め、株価が急落するときに上昇する傾向から「恐怖指数」の名で投資家やメディアから引用されるようになりました。

3.8.    ボラティリティの新しい計算方法

1993年に旧VIXの計算が始まってからもボラティリティに対する研究は続きました。

1994年にイギリスの偉い先生が「The Log Contract - A New Instrument to Hedge Volatility」という論文を発表しました。その中でボラティリティの変動を再現する方法として「log contract」(以下「対数契約」といいます)というデリバティブを作ればなんとかなると説明したのです。対数契約は想像上の先物契約の一種で、契約期間が終わった時に対象資産の対数を取った値で清算するルールです。イギリスの先生は論文で、対数契約を使うと契約開始(ポジションを取った)時点に予想したボラティリティと、契約終了(ポジションを閉じた)時点までの実際のボラティリティとの差を再現できることを詳しく説明しました。より具体的には対数契約の値動きと原資産の値動きの差がボラティリティの2乗(つまり分散ですね)に比例して動くのだそうです。

こうしてボラティリティの変化に連動するペイオフ(損益をマニア向けに言うときの言葉です)を作ることができそうだと分かったのですが、イギリスの先生はなにをどうすれば対数契約のようなペイオフを実現できるのかについてはよいアイデアを持ち合わせていませんでした。ボラティリティのペイオフの再現とボラティリティ売買の大衆化は依然として絵に描いた餅状態でした。

こんな中、対数契約の再現方法を見つけたのがアメリカの偉い先生方です。1998年4月に先生方が「Towards a Theory of Volatility Trading」という論文で、対象としている資産の先物、コールオプションとプットオプションの組合せを使って対数契約を再現する方法を明らかにしたのです。

アメリカの先生方の研究をさらに進めたのがアメリカの証券マンたちでした。アメリカの先生方がアイデアを出した、対数契約と先物を使ってボラティリティの2乗つまり分散の動きに連動したペイオフを作る方法をより分かりやすく具体的に示しました。1999年3月の論文「More Than You Ever Wanted to Know About Volatility Swaps」で証券マンたちは、対象とする資産を持った時に発生する価格変動(分散)だけを反映したペイオフを生み出すため、先物とオプションをどういうふうに組み合わせればよいかを丁寧に解説しました。このような組み合わせを作るためにかかる費用が分散の時価になります。これは翻って見れば現在の市場参加者(オプションや先物や対象資産を取引しているひとたちのことです)が将来どのくらいの大きさで値段が動くと予想しているのかを表す数字、つまりインプライドボラティリティ(IV)にほかなりません。

また、学者の先生方の研究は、あらゆる行使価格にオプションが存在することを前提にして対数契約を再現し、ボラティリティの計算をしていました。他方、アメリカの証券マンたちは現実に合わせて行使価格が50ドルごとや100ドルごとなど飛び石にしか存在しないときのIVの計算方法も解説したのです。これにより、複製可能なIVの計算方法がようやく現実的になりました。

このように、すべての(現実的にはたくさんの)行使価格のオプションのポートフォリオで対数契約のペイオフを再現して計算したIVは、旧VIXのようにブラック・ショールズ方程式を前提としていないので、「モデルフリーインプライドボラティリティ」とよばれています。

3.9.    ヘッジファンドLTCMの破綻とボラティリティ研究

1990年代後半の偉い先生たちの研究でボラティリティ(分散)の変動と同じペイオフを、今ある先物やオプションで再現できるということがわかりました。しかし研究にが進展する前に、ヨーロッパでは1990年代前半から一部証券会社がボラティリティに関連するデリバティブを取り扱い始めていました。90年代中頃にはアメリカでも顧客が予想したボラティリティと実際に発生したボラティリティを交換するスワップ取引を一部の証券会社が行っていたそうです。90年代後半にボラティリティ研究が進展したことで、さらに多くの証券会社が分散を対象にしたデリバティブ「ヴァリアンス・スワップ」を提供するようになりました。1997年のアジア通貨危機や、1998年9月に発生した巨大ヘッジファンドLTCMの破綻にともなう世界的なボラティリティ上昇も、ヴァリアンス・スワップの需要に貢献したといわれています。また、破綻したLTCMは最先端の取引にいろいろと手を出しており、そのうちの一つにボラティリティ取引がありました。LTCMの清算に立ち会ったことがきっかけとなって前述のアメリカの証券マンたちはボラティリティ取引の研究を始めたのでした。

ちなみにLTCMはアメリカの有名な債券トレーダーと、ブラック・ショールズ方程式を考えた偉い学者の先生たちが集まってできたヘッジファンドで、破綻する前までは大金持ちが争って出資したがる人気のファンドでした。IVの生みの親ともいえる先生たちが派手に失敗したことで、ボラティリティのデリバティブを取り巻く環境が前進したなんて運命のいたずらを感じますね。

3.10.    「新しい」VIXの誕生

さて、1990年代末にかけてボラティリティを対象としたデリバティブの研究が進んだことでボラティリティの2乗(分散)を対象にしたヴァリアンス・スワップを証券会社が少しずつ取り扱い始めるようになりましたが、一部の証券会社が大口の顧客を相手に取引する程度にとどまっていました。

ボラティリティ取引が大衆化するきっかけとなったのは、実業家で映画プロデューサーでテレビタレントの投資家の思い付きでした。2000年初めにITブームが終了して米国の株式市場が下落を続けていた2002年に、その実業家が、ボラティリティの現実的な複製方法を考案した人がいた前述の証券会社を訪れて「VIXを買わせろ」とごね続けたのです。当時その証券会社ではヴァリアンス・スワップを使い相対取引でボラティリティへの投資は提供していたのですが、VIXそのものに連動するという商品がなく証券マンたちは頭を抱えてしまいました。

1993年に計算の始まった旧VIXは、ATM付近のインプライドボラティリティを平均した計算上の数字で実際に取引することができませんでした。しかも対象はS&P500(SPX)ではなく、S&P100(OEX)でした。旧VIXの計算開始当初は取引の多かったOEXオプションの人気は1990年代を通じてSPXに移り変わっていました。研究で解明した複製方法をつかうにも不人気のOEXよりも、取引の多いSPXオプションを使ったほうが売る側にも都合がよかったのです。VIXに連動する商品を売ったはいいけれど、先物やオプションで連動するペイオフを作ってヘッジができなければ売った証券会社に思いもよらぬ損失が発生するかもしれないのです。それに細かいことを言うと旧VIXはボラティリティ(標準偏差)に連動しますが、オプションで複製できるヴァリアンス・スワップは分散(標準偏差の2乗)に連動するので、対象とする資産が同じSPXでも違う値動きをします。

悩んだ証券マンたちはVIXの元締めであるCboeに売買可能なVIXを作ろうではないかと相談をもちかけました。すると幸運なことにCboeもVIXの刷新を考えていたところだったのです。オプションの人気がS&P100からS&P500へ移り変わる中で、CboeはVIXの計算対象をS&P500に変えること、VIXに関連したボラティリティ商品を上場させることを内々に検討し始めていたのでした。渡りに船ということでCboeは証券マンたちと一緒に新VIXの開発をはじめました。

新VIXの設計は基本的には証券マンの会社が1999年に発表した論文に基づいたものになりました。市場で取引されている残存期間30日前後のオプションの値段をできるだけ多く使い加重平均して計算する設計にしたのです。別のノートで詳しい計算方法を紹介する予定ですが、このようにしてペイオフの複製が可能な「新しい」現行のVIX(以下単に「VIX」といいます)が完成しました。そして2003年9月22日にCboeは旧VIXの計算方法を刷新し現在のVIXの算出を開始しました。なおVIXの値に関してはスタートと同時に1990年までさかのぼってデータが計算されました。

3.11.    VIX関連商品の実現

VIX刷新の目的の一つに取引可能な商品を作ることがありました。Cboeでは先物取引を行っていなかったため、新たにVIX先物を上場させる先物取引所を設立することが計算方法の設計と同様に大切なことでした。Cboeの職員たちは組織づくりや監督当局との調整を進めて、VIXの算出開始から約半年が経った2004年3月に先物取引所としてCboe Futures Exchange(以下「CFE」といいます)を設立します。ついにVIX先物の取引が始まりました。これにより旧VIX検討時からあった「ボラティリティを売買したい」という人々の願いがやっとかなったのです。VIX先物に続き2006年2月にはCboeでVIXを対象としたオプションの取引が始まりボラティリティ取引の手段が更に拡充しました。

開始当初しばらくVIX先物の取引は低調だったのですが、VIXオプションのスタート、さらに2008年の世界金融危機によるボラティリティの急上昇を受けて次第に人気を集めていきます。2009年1月にはVIX先物を使った初めての上場投資商品(Exchange Traded Product、以下「ETP」といいます)のiPath VIX Short-Term Futures ETN(以下「VXX」といいます)が上場しました。VXXは2か月先までのVIX先物2つを組み合わせて残存期間1か月の先物を買ったのと同じリターンを実現するように設計されています。VXXを皮切りにVIX先物の2倍を目指す商品やマイナス1倍を目指す商品などボラティリティを参照するETPが続々と作られました。

VIX自体についても2012年にVIX先物を対象とするオプションの価格から計算したVIXのインプライドボラティリティ「VVIX」の算出が始まったほか、2014年にはVIXの計算対象として使うS&P500オプションをそれまでの月次オプションから、取引高が増えてきた週次オプションに変更するなどアップデートが続けられています。さらに2015年にはVIX先物にもそれまでの月次先物に加えて、週次の先物が追加されました。

3.12.    ボルマゲドンとその後

VIX先物の導入でVIX自体が売買可能になって以降、VIXとその関連商品は取引量と品ぞろえの両方で順調に成長を続けてゆきました。しかし、2018年2月初旬にVIXが1日で100%以上上昇するという出来事が起きました(マニアの間では「ボルマゲドン」と呼ばれています)。この結果VIX先物のマイナス1倍の値動き、つまりボラティリティショートの戦略をとるETPの一つthe VelocityShares Daily Inverse VIX short-term exchange-traded note(以下「XIV」といいます)が1日で94%下落しました。この規模の下落はXIVの繰上げ償還イベントに該当したため、XIVは暴落した水準のまま償還してしまったのです。XIVに投資していた人たちは1日で資産のほとんどを失った上に、損失を強制的に確定させられ、回復のチャンスもないまま退場することを余儀なくされました。

手軽にボラティリティを取引できるETPが増えたことで、さまざまな種類の投資家もボラティリティ取引に参加できるようになりました。その一方でボラティリティが持つリスクを甘く見たまま投資した人たちに、2018年2月のボルマゲドンは強烈な戒めとなったのです。2017年末に40程度まで増加していたVIX関連のETPはボルマゲドン以降その多くが運用を取りやめたり、レバレッジを下げた運用に追い込まれました。順調に伸びていたVIX先物の取引量も2018年をピークに一時減少に向かいました

2018年はじめをピークにVIX関連商品の人気に陰りが見られましたが、CboeではS&P500以外の株価指数や、いろいろな個別株、ETPのボラティリティ指数の算出を開始するなどVIX関連のビジネスに引き続き力を入れています。VIX先物の取引量も2020年頃に底打ちして少しずつ増加傾向にあります。

図 21:VIX先物の1日取引数

VIXまわりの出来事では2020年8月にVIX先物の10分の1のサイズで取引できるmini-VIX先物の売買がCFEではじまりました。そのほか、Cboeは2021年2月にS&P500構成銘柄間の相関係数を表すコリレーション指数、2023年9月からS&P500構成銘柄の変動の合計とVIXの差を表すディスパーション指数の算出をはじめました。Cboeはこのディスパーション指数の先物やS&P500の分散を対象にした「ヴァリアンス先物」の上場を計画しており、引き続きボラティリティ関連ビジネスに力を入れています。

3.12.    まとめ(と年表とチャート)

VIX、つまりボラティリティの歴史を考えるとき次の3つの期間に区切ることができます。

  1. インプライドボラティリティを定量的に把握する方法が広く知られていなかった1972年まで。

  2. ブラック・ショールズ方程式でインプライドボラティリティを数値で把握できるようになった1973年以降。

  3. VIX先物の誕生で幅広くボラティリティが取引されるようになった2004年以降。

この3つの転換点を踏まえて歴史を捉えればVIXの理解が更に深まることでしょう。本ノートではどういった背景でVIXが現在の形になったのかを学びました。次のノートでは現行VIXの計算方法について詳しく解説していく予定です。


図 22: VIXとS&P500の推移

3.13.    参考文献リンク集

本文のなかでも重要な研究のタイトルに言及しているので不要と思いますが、内容がためになったようであれば寄付をいただけると幸甚です。ついでにアフィリエイト経由で本の購入もどうぞ。

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