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何を今更安楽死尊厳死?

私は何年も前から延命拒否、安楽死/尊厳死の合法化を希望しているのだが、世論はQOL無視SOL万歳の反対派ばかりだった。

安楽死も尊厳死も本人の選択肢であり死にたくない人を死に追いやる話ではない、と何度説明しても理解しない。

そしてここにきて重税感を理由に主に高所得者層から、高齢者を標的に「安楽死させよ」「延命廃止」「尊厳死法制化」という賛成意見が出てきた。
然し、それは「殺人の希望」であって「本人の選択肢としての安楽死/尊厳死」とは全く異なるのだ。

今更、税を理由に安楽死だ尊厳死だ言い出すなら、何故今まで言わなかったのだ?
自分の親や祖父母は尊厳死させたのか?
本人希望で延命させなかったという話は最近チラホラ聞くようになったが、ACPしたか?リビングウィル書いたか?と尋ねたら誰一人できていないのが現状だ。彼らは今、高齢者に安楽死だ尊厳死だと叫ぶことで、自分達が今までいかに無知で無思考だったかという事実を露呈しているのだ。

今後少子化解消の為に日本人皆が努力すべきだが、子と高齢者の命を金でトレードオフするような言論は暴力でしかない。
糾弾すべきは、生きたくないのに生かされている本人を生かしてきた存在。それは主に延命至上主義の医師や家族であり、つまり、今になって安楽死尊厳死賛成延命反対と言いつつ、ちょっと前まで安楽死尊厳死反対延命賛成していた側であり、それが今高齢者に噛み付いている大多数であろうことは想像に難くない。

金を払いたくないから高齢者を殺す為に安楽死尊厳死?そんな話が通るわけがない。
安楽死尊厳死は本人のみが希望できる権利であり、他者が自分の利益の為に強要することは自殺教唆、つまり犯罪だ。

私の主張はずっと、私の生死の決定権は私に属する、それが私の人権であるという何者にも侵されない前提にて、安楽死尊厳死を希望し、延命を拒否する、という自分の希望を通すことだ。他人に強要するものでもされるものでもない。

私は、他者からの、本人の経済力等による命の選別に反対すると共に、決して私の為に他者の死を早めることを強要してはいない。
だからこそ私の安楽死尊厳死希望は正論と言えるのだ。

ただ、人は皆いつか必ず死ぬ。このことは誰も避けることはできないのだ。
だから、自分の生死を決められるのは自分なのだという自覚を皆に持ってもらいたいと強く思う。そして少なくとも自らの人生の終末期の意思をリビングウィルに書いてほしい。

私は、延命がいかに本人にとって苦痛で悲惨な拷問であるかを母の看取りまでを通して見てきたからこそ、多くの人にそれを知ってもらったうえで、嫌なら拒否する旨を事前にリビングウィルに書いておくことを勧めている。

その判断は、他者に依存することでも強要されることでもなく、他者からの圧力を全く感じない前提で自分で決めるという選択肢であるからこそ、自信を持って他者に勧められるのだ。


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