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箱根駅伝と私〜①箱根駅伝恐怖症〜


みなさんおはようございます、まつです。

有り難いことに、先日の中央学院大学の4年生についての投稿を本当にたくさんの方に読んでいただきました。

どれくらい読んでいただけたかというと、過去の投稿でこれまで1番閲覧数が多かったのは、昨年5月の関東インカレの得点などの解説回だったのですが、

その投稿の総閲覧数をたった1日で超えました。

こんなに読んでいただけたことへの驚きと感謝、あとはこのnoteというツールの可能性はまだまだ未知数だなあとか、色々なことを感じた次第です。

同時に、Twitterのフォロワーさんが遂に1,000人を突破しました。
決してファンが多いとはいえない、法政大学と中央学院大学の選手の写真ばかり投稿しているアカウントにも関わらず、こんなに沢山の方に見ていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

毎度前置きが長くてすみません。

実は以前からTwitterのフォロワーさんが1,000人を超えたら書こうと決めていたテーマがありまして、今回から暫くその投稿をします。

そのテーマはずばり、

「私が箱根駅伝にはまって、法政大学と中央学院大学の応援をするまでの過程」

です。

両校のファンになって6年ほどが経ちました。
その間、幾度となく「なんでその2校なの?」という質問を受けてきました。

駅伝ファンの人口は年々増えている気がしますが、法政と中央学院という2校の組み合わせで応援している人には未だ出会ったことがなく、珍しい存在なのかも知れません。

そのきっかけを話すととてつもなく長くなるので、いつも割と適当に答えてしまっていたのですが、今回から、そのとてつもなく長い話をじっくり綴っていきたいと思います。

陸上競技は小さい頃から身近な存在

私には3歳年上の兄がいます。

兄が小学4年生の頃、兄が通う小学校に陸上クラブが新設されました。
兄が、箱根駅伝が好きだったから陸上を始めたのか、陸上をするようになったから箱根駅伝を見始めたのか、どちらが先だったのかは定かではありません。

なにせ私は当時まだ小学1年生でしたから。

でも確かなことは、私は小学1年生の頃から兄を通じて陸上競技に触れていた、ということです。

また、その頃から我が家では、お正月は毎年必ず箱根駅伝を観ていました。
テレビ観戦にとどまらず、箱根に宿が取れた年には現地まで観に行くこともありました。

かの元祖山の神・今井正人さんが初めて5区で区間賞を獲り、「山の神ここに降臨! その名は今井正人!」という有名すぎるフレーズが生まれた年に、なんと私は箱根の山の上で今井選手を見ていたらしいです。

「らしいです」と書いたのは、

私自身はそのことを全く覚えていないからです。

当時の私は陸上競技、そして箱根駅伝を身近に触れられる環境にあったにも関わらず、全く興味をもてずにいました。

それどころか、小さい頃の私は「箱根駅伝恐怖症」とでもいえるくらいに、箱根駅伝が「怖い」という理由で見れなかったのです。

凄いお兄さんが走れなくなったこと

いつだったか正確には思い出せなかったので、覚えている情報からデータを辿ると、これは私が8歳の頃のことだったようです。

その年のお正月はテレビで箱根駅伝を見ていました。

レースが始まる前から、兄が興奮気味に「2区を走る選手に凄い人がいる」ということを言っていて、そんな人が走るなら見てみようという気持ちになっていました。

迎えた2区。
兄が言っていたランナーが走り始めます。

その選手は、まだ8歳で陸上競技を全く知らない私から見ても、凄く目立っていました。

周りの選手たちは黒髪で真面目そうな印象だったのに、その選手だけは明るすぎる茶髪にサングラスをかけた、なんかヤバい人みたいな見た目だったからです(8歳当時の感想)。

テレビの実況も、そのなんかヤバそうな「トクモト」というお兄さんをエースだと言っているのが聞こえて、見た目だけでなく兄が言うとおり実力も凄い選手なんだろうな、と思って見ていました。

トクモト選手は序盤、快調なペースで走っていました。

しかし、中盤に差し掛かったところで異変が起きます。

テレビに映ったトクモト選手が、明らかに脚を引きずっているのです。

脚を引きずりながらも、前に進もうとするトクモト選手。

それを止めようとする監督。

監督を振り払ってでも走ろうとするトクモト選手。

そして……。

監督に抑え込まれて涙を浮かべながら、トクモト選手はコースから去っていきました。


テレビの前でそれを見ていた兄と私は言葉が出ずにただただ、呆然としていました。

私はそれ以上、続きを見る気にはなれず自分の部屋に戻りました。

凄いはずのお兄さんが、エースと呼ばれて期待されていたお兄さんが、あんなことになってしまうなんて。なんだか怖い。

それ以来、私は箱根駅伝を見る気にはなれませんでした。

私は「箱根駅伝恐怖症」状態に陥ったのです。

ただ、箱根駅伝は見ずとも、中高と陸上を続けた兄の応援には定期的に行っていて、陸上競技と触れる機会はありました。

それに、先に触れたとおり家族で現地まで箱根駅伝を見に行く年もありました。現地に連れて行かれても全く見向きもしませんでしたが。 

こうして陸上競技、そして箱根駅伝に触れるチャンスが奪われなかったこともあり、こんな私にも箱根駅伝に興味をもつきっかけが訪れます。

あの衝撃の出来事から実に8年後、私は箱根駅伝から「新たな衝撃」を受けることになります。

箱根駅伝は怖いもの。

私の中に植え付けられた「常識を覆す」選手が現れるのです。

次回に続きます。

第2回はこちら

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!