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【イチ×ココ#16】コロナ禍における緩和ケア病棟での「平等、公平、公正」

突然ですが、「平等」「公平」「公正」という3つの言葉を、皆さんは使い分けているでしょうか。
「…え? だいたい同じなんじゃないの?」という人もいるでしょうし、大ざっぱに言えば似たような言葉だと言えます。
しかし今回は、あえてこれらを細かく区別して、緩和ケア病棟での面会を例に解説してみたいと思います。

平等、公平、公正、それぞれの意味

この3つの言葉の違いを明確にするために、まずはそれぞれを英語に直してみましょう。
諸説あると思いますが、個人的には「平等=equality」「公平=equity」「公正=fairness」と訳すのが一番しっくりきます。
英語にしても、まだまだ違いがピンと来ないかと思うので、さらに平等と公平の違いを説明するのによく用いられる図を示します(下図)。

これは「大きい人、中くらいの人、小さい人の3人が柵の向こうの何かを見ようとするとき、そこにあった3つの踏み台をどのように使うか」という状況を用いて、平等と公平の違いを説明する図です(雑ですみません…)。

左の平等equalityの場合、3人の身長差には配慮せず、3つの踏み台を1つずつ分配しています。つまり、"equal(イコール)"という言葉が入っていることからも分かるように「どんな人にでも等しい(全く同じ)」のが平等ということです。

一方、右の公平equityの場合は、3人の身長差を考慮して、小さい人に2つ、中くらいの人に1つの踏み台を使わせ、大きい人は踏み台を用いていません。つまり「各々の違いに配慮して、同じ状態にする」のが公平ということです。

…あれ、公正fairnessは?と思うでしょうが、実はこの”公正”という言葉の解釈が個人的に一番難しいなと感じています。フェアであるというのは、平等であることを指すのか?公平であることを指すのか? 調べても色々な意見が出てきて、どれも決め手に欠けます。なので公正については、このコラムの最後で私見を述べるに留めようと思います。

さて、皆さんは上の図を見て、どう思うでしょうか? 平等と公平、どちらが望ましいと思いますか?

平等が良い?公平が良い?

考え方は色々あると思いますが、図の例だと、やはり多くの人は「”平等”の方だと小さい人が明らかに不利でかわいそうだから、”公平”の方が良い」と思うのではないでしょうか。
各々の違いに配慮してその差を埋めるというのは、理想的な世の中の在り方に思えますし、多様性を尊重する現代の風潮にもマッチしています。

ただ、公平であることには以下のような問題点もあります。
”各々の違い”をどのような尺度で測るのか。(身長や収入のように数値化できるものではなかったり、一つの尺度では測れなかったりする場合、どう考えるか。)
”各々の違い”への配慮には手間やコストがかかる。(各々の違いを把握するのにも、個別の対応をするのにも手間がかかる。大抵は一律に対応できた方が楽だしコストもかからない。)
対応に差をつけることに「不平等」だと不満を持つ人もいる。(例えば共働きで高収入の子育て世帯は、苦労して働いて高い税金を払っているのに各種手当や助成金の支給対象外になるため、かえって損をしているとの指摘もある。)

コロナ禍における緩和ケア病棟での葛藤

かくいう私も「公平=理想的」と思っていたのですが、そんな単純な話ではないと痛感したのが、コロナ禍における緩和ケア病棟での「面会」の対応についてでした。

コロナ感染が5類に移行になる前、ほとんどの病院・病棟では面会禁止の対応がとられていましたが、私が勤務する緩和ケア病棟は、その性質上、「しばらく面会を我慢すれば退院してまた会える」という保証がないことや、「病気で辛いときに家族と少しでも一緒に過ごすことが癒しになる」ということから、時間や人数などを制限しての面会を許可していました。

もちろん面会基準は考えに考え抜いて設定していたのですが、どうしても例外となる状況(子どもは面会禁止だが生まれたばかりの孫に一目会わせたい、数十年前に縁を切った家族が危篤の知らせを聞いて急に面会に来た、法的な手続きのためにどうしても弁護士と会わなければならない等)が多々あり、それらへの対応でスタッフは心身ともに疲弊して大変でした。

面会制限に関しては、”各々の違い”をどのような尺度で測るのか、どこまで配慮すれば良いのかという点が明確ではありませんし、患者個々の事情に対応するとなると大変な手間がかかります。そして、例えばある患者の家族から申し出があって、特別に小さな子どもの面会を許可すると、それを見た他の患者から「なんで子どもが面会に来ているんだ!」という不満が出て、説明のためにまた手間が掛かる…ということが起こります。

しかし結果的に、私の勤務する緩和ケア病棟では、できるだけ「公平」な対応をするというスタンスを継続しました。一定の基準は設けながらも、患者個々の事情にできるだけ配慮した柔軟な対応を心がけました。
ただ、これが正しい対応だ、他の病院・病棟もこうするべきだ、とは口が裂けても言えません。スタッフにも相当苦労をかけましたし、私自身も正直何度も全て投げ出したくなりました。
各病院・病棟の事情によっては、一律に面会人数や時間を決める「平等」な対応を取るのもやむを得ないと思います

平等か、公平か、それとも…

平等であることはしばしば「不公平」で、公平であることはしばしば「不平等」です。
どちらの方が絶対的に望ましいということはなく、それは状況によります。

ただ個人的には、どちらの対応を選ぶにしても、重要なのは関わる人たちの納得感に配慮することかなと考えています。

平等な対応に納得してもらうには、なぜ一律にそういった対応を行うかの理由を明確にすることが望ましいのではないかと思います。
例えば外科病棟であれば「当病棟は手術を受ける患者さんが術前・術後をトラブルなく過ごせることが最優先なので、感染リスク回避のため面会は一律禁止です」と説明されれば、私だったら納得すると思います。

一方、公平な対応に納得してもらうには、各々の違いや事情に応じて対応を変える理由をちゃんと説明できるよう判断の軸を持つことや、複数のスタッフで協議して決めるということが必要になると思います。
例えば私の場合、例外的な対応をとる場合は、必ず主治医と病棟師長を含む複数のスタッフで協議する、必ずICT(感染対策チーム)に許可をとるといった、「独断で決めない」意思決定プロセスを徹底し、そのプロセスや許可した理由を必ずカルテに記載してスタッフ全体で共有する、という工夫を行っていました。(まぁ、それで余計大変だったんですが…)

つまり、平等が良いか公平が良いかではなく、それぞれの利点と欠点を理解し、欠点を補うような工夫を行うことが重要であるということです。

ちなみに私は、フェア(=公正fairness)であるというのは、平等であれ公平であれ、関わる人々がある程度納得している状態を指すのではないかと思っています。
つまり状況によって”平等であることが公正”な場合もあれば、”公平であることが公正”な場合もあるのだろうと思います。

ただの言葉遊びといえばそれまでですが、平等、公平、公正、という言葉の違いを考えることが、自分にとっての”正しさ”の基準のようなものを見つめ直し、整理する機会になるのではと思います。

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