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コロナ療養考察

コロナになってました。とある飲み会に参加したメンバーが全滅という分かりやすい感じで、この激増の時期の数値のひとつになってしまいました。

発症してから10日の自宅療養期間を経て、本日復帰。最初の数日は流石に高熱と、全身の激しい倦怠感と、咳と鼻水と頭痛でつらかったけれど、ワクチン3回の効果はあったのか、かなり軽い方だったのだと思われます。味覚嗅覚障害もなく、良くなったり、ぶり返したりを繰り返しながら、毎日少しずつ出来ることが増えていく感じで、本日は朝の家事ルーティンも体操も通常通りコンプリートして仕上がり良好 でした。

これでまず3ヶ月は強力な免疫を得たのかと思うと、それはそれでありがたい。10日間自宅の玄関から外に出ないという経験はなかなかのものです。あまり集中できない期間でした。本当に建設的なことも思考も何もできない空っぽの時間。

コロナにかかるとコロナ休暇みたいなもんだよね、とちょっと羨ましくも思っていたのはほんと。実際はどうだったかというと、ま、そうなんだけどさ、というところ。前半はそこそこ強い薬を飲み続けていたのもあり、ほぼ眠り続けていて、食べられないし、具合悪いしで全く余裕なし。

薬断ちをしてからは、頭がはっきりする時間が増えたけれど、とにかく前向きな気持ちにはなれずに本を読むか、眠るか、テレビを見るか、眠るか、動画を見るか、眠るか、それ以外のことをする気にもならない日々でした。

結局は最後の2日間くらいが、自分が「使える」時間でした。荒れた家の中が気になり始めて、洗濯や掃除、料理をする気になってきて、体力が落ちてるのもあり、ぜいぜい言いながらも動けるようになって、今日からの復帰に備えて準備をしていたような2日間。

結果、コロナ休暇 と言えるような優雅な感じではなかったな。たくさんの時間があったはずなのに、何をしていたのかぼんやりしています。

それにしても、こんなにもものを考えない時間が、成人してからあっただろうか。頭の中が一旦空っぽになってしまったようです。それが何か?と言われると、別に何もないんだけどさ。

ただ、例えば頭の片隅をよぎるようになったリタイアの現実は、こういうことか、と少し仮想体験したような感覚はあります。延々と長い時間をどうにかして過ごして1日を終わらせる。今日も、明日も、その次の日にも、同じような毎日が続いていく。やるべき仕事がないと、こんなにも1日は長いし、やりたかったはずのたくさんのことは、現実に手に取ると魅力を失ってしまうのだ。

稼がなくても良くなる、というのは、幸せなことなのかなぁ とふと思ってしまう。そんな贅沢が訪れる予定はないんだけども、憧れることと現実の間には大きな乖離があるように実感したのです。死ぬまで自分のやるべきことがあり、日々誰かと会い、話し、刺激を受けて、次の動きに繋げていくことができれば、その途中で人生が終わるなら、そんなに嬉しいことはないなと。

そういう意味では、貴重な体験をした時間だったのかもしれません。生産性はゼロだけどね。とにかく、忘備録的に書いておこうと思います。

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