【追悼 志村けんさん】ザ・ドリフターズは心の禍(わざわい)を克服させてくれた〜世界自閉症啓発デーを迎えるにあたり
何とも、本当に言葉が出ない悲しみのニュース。
日本のコメディアン・志村けんさんがCOVID19による急性肺炎で亡くなられました。私は平成生まれで、バラエティ番組やお笑い・コメディ番組と出会ったのは幼少時からだったか、薄ら薄らと記憶に残っています。母親とザ・ドリフターズの大爆笑のテレビ放送のVHSビデオを何回も繰り返していたお茶の間。
志村けんさんを初めて見たときは私にとって「面白いオジサン」であって表現を笑いにかえて楽しませるという印象があって、いかりや長介さんとのもしもコーナーでは自分の想像を超えたようなネタがたくさんあった。品のなさから上品なものまですごく幅の広い表現方法に魅せられた。
観始めは不機嫌だった小学生
ドリフターズのコントを最初に観たとき、ドリフターズのコントを「虐められてる気がする」「ふざけんなと思う」というすごく否定的で狭い心であった。あれは「自閉スペクトラム症」によくある「冗談がわからない・嫌いであること」が祟ってしまって起こってしまったものだった。それでも色んなネタを観ていくうちに「ネタ」と「劇」、「演劇」と「現実で起きているもの」の区別ができるようになった。
区別ができるようになってから、こういう楽しみ方や「はしたなさ」の中からも美しさと面白さを見出せることができる、ということがわかった。
志村けんさんはこんな言葉を残した…
『やっぱ子どもたちにバカだと思われてるのはいい。お笑いやってて、子どもにまで「芝居してるんだよ」と言われたらみっともない。バカだと思われてるのはそう「見える」ということだから、演じている人にとって一番うれしい誉め言葉なんだ』
これに対して、自分の狭量さがわかった。当時子どもだった時に「バカな芝居」と解釈して受け付けなかったのだから、当時は厄介な子どもだったのかと自省している。芝居というものを作品をけなさずにまともに楽しむことができるまで、芝居の裏を理解するのに度が過ぎて憎悪へと変わっていったこんな私を子ども時代を懺悔している。
いま、発達障害と診断された後に志村けんさんに助けられた言葉
『変わった人、珍しい人、平凡な人、少し狂気なものを感じる人_ それを観たいから、世間はテレビや舞台を観る。芸人は変わってるんだからそれでいいの。』『個性は変人、常識は凡人』
この言葉に、「技量とプライド」の大切さを身にしみて感じた。特に、アスペルガー症候群としては個性を変人という言葉から、普通にはできないシナジーを発揮できる自信が持てるようになった。きっと彼らは芸人として色んな表現手法を作っているのだから「面白さ」の種類もたくさん作ることができたんだ、ということが分かった。私はそれをヒントにこういう表現手法をシナジーにした音楽の才能を生かせないかという発想が浮かび、楽器の演奏バンドやライブ音響、エンジニアなどを不定期だがフリーランスでできるようになった。
そして、珍奇で独特な表現を生むことのヒントになったことこそ志村けんさんが発揮された楽器の多さやリーダーいかりや長介さん率いるザ・ドリフターズというバンドだった。このバンドはコメディへ昇華してお茶の間へ笑いとストレスの解消を届けてくれた功績を作った。「変人的で、個性的なもの」を私の生きやすさにつながるような教訓として教えてくれた。
ドリフのコントと喜劇は、私がかつて厄介に思われていた「冗談嫌い、ネタにマジになる、表現に文句を言う」という自分も他人も生きづらさをもたらす私の心の禍(わざわい)を取り払ってくれた。そして、生きやすい人生の可能性を広げた。こんな功績をのこしたことに感謝する。
志村けんさん 笑いと感動をありがとうございました。
謹んで哀悼の意をしめします。