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ホワイトカラー事務員の価値消滅の時代


佐々木俊尚さんの話

 ジャーナリストで作家でもある佐々木俊尚さんが、2月17日のVoicyで「今の時代に大学に行くことの意味」について話をされていました。

 現在、学歴というものはフィルタリングの材料として有効ではあるものの、もはやそれだけで就職が保証される時代ではなくなっている。いわゆる「高学歴の人」が担っていることの多い一般事務のような仕事は、AIの進化によって大幅に減少する。今はまだ現場の仕事の給与が低く抑えられていることもあってホワイトカラーを目指す若者が多いが、今後いっそう労働力不足が進むと需給バランスの関係から現場職の賃金が上昇し、現場の仕事が再評価されるという可能性もあると考えている、ということでした。

入山章栄さんの話

 また、高学歴の人に人気のある職業のひとつであるコンサルタントの仕事については、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が2月12日配信のPodcastで面白いことをおっしゃっていました。

 詳しくはPodcastをお聴きいただければと思いますが、簡単にまとめると

コンサルの仕事は大きく分けて以下の3つの段階に分けられる。

  1. クライアントの課題を引き出し、インサイトを提供する

  2. 1のために業界の調査やデータ分析を行う

  3. 2をまとめ、クライアントに納品するためのパワーポイント(パワポ)や報告書を作成する

 ここで、2と3はAIの方が速くて正確にできるため、今後は不要になる。また、そもそもクライアントが欲しいのは「インサイト(本質的な気づき)」であり、大量のパワポ資料ではない。しかし、調査や分析、パワポ作成というAIで代替可能な作業を若手コンサルタントが何十時間もかけてやっているというのが実態だ。そんな作業を20年間ひたすらやり続けて、ようやく顧客にインサイトを提供するような役割を与えられる。以前は「一流大学卒の優秀なコンサルが作成した何百ページものきれいなパワポ」といった雰囲気も含めて「コンサルティングの価値」として稼ぐことができていたが、今はもうそこに価値は見出されなくなってしまった。今後も引き続き必要とされるのは「クライアントに本質的なインサイトを提供できるコンサルタント」のみであり、そうしたスキルを持たないコンサルタントは淘汰される可能性が高いので、今後のキャリアを真剣に考えたほうがいい、ということでした。

事務職の仕事は人の仕事ではなくなる

 私は、佐々木さんの話にも入山先生の話にも完全に同意します。そして、最も高学歴(つまり、理解力・分析力・論理的思考力・洞察力といった能力が高い)の人達が担っているコンサルタントという、いわばホワイトカラーの頂点にあるともいえる仕事でさえAIに置き換わるのですから、単なる事務員がやっているような仕事(というか作業)がAIやデジタルツールに置き換わることは明白です。定型的な作業をするだけならAIのような高度な人工知能さえ不要で、ちょっとしたデジタルツールさえあれば事足りるでしょう。(ツールよりも人のほうが安上がりなら置き換わらないかもしれませんが、日本の場合、単に作業をしているだけの事務員であってもホワイトカラーというだけで給料は結構高いですよね)
 一つ前の投稿にも書いた通り、以前私がいた職場もほぼ全員が事務的なルーチンワークをやっている(だけの)ところでしたので、デジタルツールやちょっとしたプログラミングで仕組みさえ作ってしまえば数人で事足りると確信していました。これは私が実際にプログラミングをしてみたりノーコードツールを使ってみたりして得た結論ですし、仮に別の人が同じように自分の仕事(作業)を機械化していたとしても同じような結論に達したと思います。残念ながらそのような人はいなかったのですが。

多くの中高年事務職が「ホワイトカラー事務職の価値がなくなるという事実」を受け入れないのはなぜか

 では、ホワイトカラー事務職の仕事の価値はほぼなくなるということが事実であるにもかかわらず、前職のような職場にいた事務員たちの多くがこれを信じていなかったのはなぜでしょうか。
 ホワイトカラーの事務職が「知的労働」としての価値を持ちはじめたのは、1960年代以降の高度経済成長期だと考えられます。この時代は大企業のオフィス業務が増加し「ホワイトカラー=高給・安定」というイメージが形成されました。生まれたときからこの価値観に全身染まって育ったのが今の50歳~60歳(40代後半~60代半ば)の人達で、まさにそんな世代の人達がこの職場にも沢山いました。彼らは入社当初は確かに知的労働であったデスクワークに誇りをもっていたでしょうし、現場職に就いている同じ世代の人達よりも高い給料をもらっていました。しかも年功序列で給料が決まるので、同じ作業を繰り返せば繰り返すほど、つまり年数が経てば経つほど給料は高くなり職位もあがっています。こんな環境で長年過ごしてしまえば「自分は価値の高い知的労働者だ。しかもその価値は年々上がっている」という認識が強化されるのはあたりまえですし、実際は単なるルーチンワークだったとしても「ロボットにできる俺の仕事って意味なくね?」なんて考えるはずがありません。
 このようにして彼らの中に強烈に根付いていてしまった過去の成功体験に基づいた「自分の知的労働には価値がある」という幻想を崩すのはそうたやすいことではありません。実際にそうした作業をおこなっている本人だけでなく、その上司もそのまた上司も同じ幻想を抱いていて、職場全体が「俺たちって難しくてややこしい仕事(作業)をこなしててすげーよな」なのです。
 どれだけ世の中がデジタル、AIと騒いでいても、実際に彼らがそれらを使ってみることはありません。したがって自ら「自分のやっている仕事は単なる作業であり、人がやる価値はない」と気づくチャンスもおとずれません。以前私が自分の担当している作業の一つを自動化できたときに隣の席にいた先輩の人に「この職場の人の作業はほぼすべて自動化できますよ。私たちマジですることなくなります」と言ったとき「まあ、そうだとしても僕たちは逃げ切れるよね。20代の人はこれから大変だ」と真面目にまるで他人事のように返され「ここにいたらヤバい」と感じたことを思い出しました。

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