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「先送り」≠「(後で)実現」

 先日、Voicyパーソナリティの澤円さんが興味深い話をされていました。詳しい内容は放送を聴いていただければと思いますが、「私も同じような経験した!」と思ったので、今日はそれについて書いていきたいと思います。


「●●したら」と言っているうちにチャンスを逃す

 澤さんは、Voicyの番組の中であるエピソードを紹介されました。プレゼンテーションに関する講演をしたときに、ある参加者が次のような感想を言ったというものですが、その感想というのが
「自分は今はプレゼンの機会がないのですが、機会が来たら今日の学びを活かします」
というものだったそうです。
 澤さんは、「この『●●したら』という思考でものごとを先延ばしにしているうちにチャンスを逃してしまう。新しい知識を得たら、その瞬間から試せるものを探すことが大事」とおっしゃっていました。

「●●したら」思考の人が永久にやらない理由

 ここから先は私の考えになります。
 私は、以前所属していた職場で「PADなどのツールやChatGPTなどを日常業務へどのように活用するか」といった内容の講演や研修を何度か開催しました。講演や研修後には毎回参加者にアンケートの記入をお願いしていたのですが、それらのアンケートには必ず以下のような回答をする人がいました。
「自分の部署では、(講演で取り上げられていた業務を)別の人が担当しているため自分にはそのツールは必要だと思わないが、今後その作業を担当することになったらすぐにでも使いたい」
 まさに澤さんがおっしゃっていた「●●したら」思考ですが、私はこれを読んだ瞬間「この人が新しいツールを使うことは今後も絶対にないな」と思いました。
 その理由は「今は自分には必要ない」と思い込んでいる部分にあります。この回答者は、自分がやっている仕事は新しい効率化ツールでできるような仕事ではないと思っているようですが、残念ながら私から見ると、この職場で機械を使って効率化できない(高度な?高尚な?)仕事しかしていない人など皆無です。
 講演の中で活用例として取り上げた作業そのものは担当していないかもしれませんが、少し抽象度を上げて考えてみれば皆、多かれ少なかれ同じような機械的な作業をしていることに気づきます。Excelのセルをコピーするのかそれともウェブサイトを検索して必要な場所をコピーするのかの差であったり、フォルダに格納している複数のファイルを処理するのかそれとも一つのファイルの中のデータをある条件でフィルターするような処理をするのか、これは人の目で見ると全く異なる作業なのかもしれないですが、機械で処理することを考えると(少々乱暴かもしれませんが)やっていることは同じです。
 このことはちょっとでも実際にツールを触って動かしてみればわかることだと私は思っています。「この方法でこの作業が自動化できるなら、あの作業もできそうだ」と想像がつくようになるからです。しかし、実際につかってみたことのない人にとってはすべてが個別具体的で特殊な作業にしか見えず「Aの作業が自動化できるならそれを応用させればA’の作業も自動化できる」という発想にはなれません。そして「私の仕事には使えない」と思い込んでいる人は、当然ながら「ちょっと使ってみよう」とはなりませんので「あの作業にも使えそうだ」と想像がつくチャンスは永久に訪れません。

新たなツールを使うための「合間の時間」など存在しない

 また、アンケートには
「本来の業務の合間に、紹介された新しいツールを試してみたい」
と回答している人もいましたが、この人もこの先新しいツールを使うことはないでしょう。なぜなら新しいツールを「本来の業務の合間」に使ってみたい、と言っているからです。
 私が紹介しているのは「本来の業務に使うためのツール」の活用方法であって、「合間の時間に試してほしい便利ツール」ではありません。ツールに関するそもそもの認識が違います。それに、この職場のどこに「本来の業務の合間」の暇な時間を持て余しているような人がいるのでしょうか?次から次へとくだらない作業をこなすために多くの人が残業までしたり、そうした作業を他人に押し付けることができてホッとしていたりする今の状況が、回答者にどのように見えているのかが謎です。
 そんな状況から抜け出して「私たちが本来すべき仕事は何か?」と頭を使って考えるための時間を生み出すためにデジタルツールを活用しましょう、と私は言っているのであって、もうすでに合間の時間があるなら効率化ツールなんてものは不要です。私たちにはそもそも「本来の業務の合間」などないのだということを自覚したほうがよいと思います。

本当はやりたくないのでは?

 では、この「自分が担当することになったら」とか「本来の業務の合間に」と言っている人は実際のところツールを使いたい、習得したいと思っているのでしょうか?
 私は「本当はやりたいとは思っていない」のではないかと考えています。本音では「私の仕事は機械でできるような簡単な仕事ではない」と思っていますが、さすがにそれを表明してしまうとやる気ない人だと思われてしまう。それはイヤなので、アンケートで「自分もやる気あります」というポーズを取った結果が「必要になったらやる」「合間の時間にやる」という回答なのではないかと思うのです。
 「PADで自動コピペ勉強会(第2弾)番外編」でも少し書いたとおり、この組織には確固たる目的や本気で実現したいというビジョンがありませんでした。もちろん、表向きには掲げているビジョンはありましたが、誰もそれを本気で考えてもいなかったしそれに向けた行動をする人もいませんでした。当然だと思いますが、そこで働く人達も個人として確固たる目的や実現したいこと、解決したい課題などはありませんでした(少なくとも私にはそう見えました)。そんな彼らが「自分の人生の時間をこれに使いたい」とか「自分も含めて人の時間は貴重だ」と思うことはありません。そんな彼らにとって仕事は人生の時間の暇つぶしのようなものなので、効率化しようとかそのためのツールの使い方を習得しようなどと思うはずがありません。むしろ、くだらなくても意味がなくてもより長時間がかかったほうが時間を消化するためには都合がよいのかもしれません。

私が感じた苦痛と恐怖

 Voicyで本気でやりたいことにコミットしているパーソナリティーの人の話を聴き続けるうちに、私はこの「周りにいる誰も時間が貴重だと思っていない環境」にいることが本当にしんどくなっていきました。「やらない人の中にいる私もやがてはやらない人になっていく」という恐怖もありました。それがこの職場から抜け出すきっかけの一つになったことは言うまでもありません。

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